最終章⑦(拳に「ハア――ッ」と息を吐きかけて)

 わたくしたち四人は白木しらきの行方を確認するために、小屋の外に出た。


 白木は小屋の外の草むらに倒れていた。意識はある。だけどさっきの祖父江そぶえの一撃がよっぽど効いたのだろう、間断なく咳をしている。


「白木ぃっ!」

 祖父江は白木の胸倉をぐいと掴み、片手だけで引っ張り上げた。白木はしばし無抵抗だったが、すぐに「ペッ」と祖父江の顔に向かって唾を吐いた。


 祖父江は右のこめかみをヒクヒクと震わせ、

「二度と! こんなマネできないようにしてやるぜえええええっっ――!!」

 拳を振り上げ、渾身の力で振り下ろそうとする。そのまま殴れば白木は死んでしまうのではないかというくらいの勢いに、わたくしと千乃は並んで息を止めた。


「やめてえっ!」


 ぴたり。祖父江の手がすんでのところで止まる。


とおるくん、やめてあげて」


 祖父江のとどめを制したのは、ハヘ子さんのすがるような懇願だった。


 祖父江が悲しそうに拳を震せる横をすり抜け、ハヘ子さんは白木のそばに寄った。


「白木くん、大丈夫?」

「……なぜだい?」

 白木は信じられないような顔をして、くぐもった声で訊く。

「え……」

戸田とださんはなぜ僕を助けた? 僕を憐れんでいるからか?」

「違うよ」

「なら、どうして……」

「あるもん。わたしにだって、あるもん」

 ハヘ子さんは白木の手をそっと包みこむ。

「悔しい時もあるし、ずるいことをしちゃおうっていう気持ちになる時もあるよ。でもだめだよ白木くん、こんなことしちゃ……」

 白木は首を倒し、前髪で自らの目を覆った。

「戸田さん、きみは僕を恨んでいいんだよ」

 そうだ。白木なんか一発引っぱたいてやればいいのですわ。白木のやったことを考えればそれだけ済むような話ではありませんが、少しは気も晴れるというものでしょう。

「ううん」

 ハヘ子さんは衒いなく微笑んで、かぶりを振った。

「わたし、あなたを許してあげる。だって白木くんは、嘘でもわたしのことをかわいいって言ってくれたんだもん。ほら、白木くん、立って?」

 ハヘ子さんが白木の手を取って起こす。まさか、ついさっき身体を狙ってきた相手を笑顔で許してあげるなんて……わたくしは目の前の光景をにわかに信じることができない。

 ところがハヘ子さんは、白木によくわからない注文をつけた。

「白木くん。ここに立って……うん、そう。それであっちを向いてじっとしててね」


 鈍い動きでなすがままになる白木に対し、ハヘ子さんは10メートルほどの距離をとった。白木は、ハヘ子さんに背を向けた体勢で直立している。


「それじゃ……いくよっ!!」


 なんの儀式なのか。なにが行われるというのだろうか。わたくしと祖父江と白木の頭の上に、三つのクエスチョンマークが並ぶ。


「ハヘえええええええええええええええええええええええ――――――っっ!!」


 ハヘ子さんは川の流れの音にも負けない大音声を発しながら駆けてきて、


「どか――――――――――――――――ん!!」


 飛躍の後、白木の首にジャンピングエルボーを見舞った。


「ぐわああああぁぁぁぁぁッッ!?」

 かなりの威力をともなっていたらしい。白木の身体はハヘ子さんの腕から分離して前方に浮遊し、ちょうど河川敷への階段の麓に生えているエゴノキに胸郭から激突した。

「ぐ、ぐうわあああああ……げほっ! げほおっ!!」

 ハヘ子さんは湿った地面に足をやや滑らせながらも、なんとか腹筋で上半身を起こす。

「これは、嫌がらせをされたリコピンのぶん!!」


 な、なんですの……これ?


 さらにハヘ子さんは白木に向かってためらいなくジャンプ。白木に肩甲骨に形のよいヒップから墜落した。どすん、と落ちれば白木の身体はびくん、と跳ねる。

「ぐほおおおおおおおおおおっっ!!」

「これは、心をもてあそばれた千乃ちのちゃんのぶんっ!!」


 白木は青息吐息になっているにも関わらず、まだ、ハヘ子さんは白木の襟首を掴み上げる。拳に「ハア――ッ」と息を吐きかけて、言った。


「そしてこれが、貴様のために全てを失ったこの俺の恨みだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――っっ!! ……って、ごめんごめん、わたしのぶんはいらないんだった」


 ハヘ子さんは手を自分の後頭部に当てて、てへぺろ。白木は立ち上がろうとするもたちまちに腰を抜かし、ハヘ子さんに開いた手を向けたままガタガタと震えている。

 ハヘ子さんはくるりと振り返り、わたくしと千乃に向かってニカッと笑った。

「ね、これで許してあげよ?」


 こめかみに冷や汗をたらりと這わせる祖父江から、コメントが一つ。

「こ、これ、俺が殴った方がまだマシだったんじゃね……?」

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