最終章⑥(てめえ! ハヘ子になにをしやがった!?)

 ……もう、正視できない。


 せめて最後は、自分だけは見ないようにしようと思い、わたくしは床を見つめた。そして下唇を強く噛んだ刹那、わたくしはスローモーションの世界を垣間見たのだ。


 ベニヤが――それも、いかづちのようにギザギザに尖ったベニヤの欠片が。


 一枚、二枚……三、四、五、六七八九――、

 スコールみたいに床へと降り注いだ。


 轟音を、ともにして。



 祖父江そぶえだった。

 祖父江の大きな体躯が小屋の壁をぶち破ったのだ。


「てめえらぁあぁぁあああああああああああぁぁぁ――――――っっ!!」


 来た。来てくれた。わたくしの願いが、通じた。

 神様にではない。祖父江そぶえとおるにだ。


 わたくしはさっき祖父江にかけた電話の中で、祖父江がかつて「」と言って詠んだ句を思い出していた。



 花菖蒲はなしょうぶ 隔てて振られる 子供の手



 その俳句は、五七五の頭文字をとれば『はへこ』――つまり『ハヘ子』になっていた。まさに『頭』の体操だったというわけだ。そしてわたくしも同じように俳句を詠んだ。

 頭文字は『たすけてはへことかわぞいのこや』……。



『助けて。ハヘ子と川沿いの小屋』



 このメッセージが祖父江に伝わったんだ。


 ありがとう祖父江。さあ、ハヘ子さんを助けてあげてね。

 彼女の目の前で、完璧で最強で最高なヒーローになってあげてね――。



「うらああああっ!」

 早速、祖父江の左フックが山崎やまざきの顎に飛んだ。

 圧砕の鈍い音が立ち、わたくしに抱きついていた山崎は白目を剥いて床へと崩れた。たったの一発だった。自分の身体を封じこめていた力はこんなにも脆いものだったのか、と不思議さすら感じてしまう。


「こ、この野郎っ!」

 小椋おぐらは羽交い絞めにしていた千乃ちのの身体を解き、ポケットから銀色の棒を出した。肘のスナップを利かせる。銀の棒は幾層にも重なった構造になっており、振ればすらりと伸びていく。

「危ない、祖父江! 警棒ですわよっ!!」

「見てわかるだろうが、お嬢様よぉ! くらえ祖父江――――――ッッ!!」

 小椋は瞬息、祖父江の右肩に斬の一線を引いた。バドミントンのスイングに匹敵する高速の振り下ろし。にもかからわず、祖父江は自分の肩をかばわない。返す刀で二発目。これも横っ腹にクリーンヒットし、内臓の音が鳴り響いた。

「よっしゃあ!」

 効果があるとわかったからか、小椋の声の調子はいっそう攻撃的になった。三発目、四発目を乱斬りに振った。祖父江の身体が、だんだん後ろへと傾いていく。

「やめてっ!!」

 わたくしは小椋にしがみつくが、

「どけこらっ!」

 警棒を持っていない方の手であっけなく弾かれた。

 なんてわたくしは、無力なんだろう。

「とどめだ祖父江えええええぇぇ」


 ふっ。祖父江が、鼻で笑う。


「なにいきってんのかわかんねーけど、俺が『力を溜めてる』って考えなかったのか?」

「な、なんだと……」

 じゅうぶんにしなった祖父江の身体が解き放たれる。狼が、獲物を仕留める勢いで。


「飛べやこらああああああああっっっ!!」


 祖父江は小椋に向かって驀進し、ショルダータックル。これは見事に相手の鳩尾を突いた。小椋は立っていた部屋から――隣の部屋まで弾き飛ばされ――、


 バイプベッドに、頭を打ちつけた。ぞっとするほどのしたたかさで。


 白木は山崎と小椋の意識が飛んだことを確認し、ハヘ子さんから身体を離した。

「ふ、野犬狩りといくか」

 ベッドから下り、シャツの袖を捲る。固い衣擦れの音が鳴る。

 小屋の床が、キシリとうめいた。


「てめえ! ハヘ子になにをしやがった!?」

「ふふふ、きみのお姫様は見てのとおりさ」

「こ、殺す! ぶっ殺してやる白木!!」

「しかしこいつらはだめだな」

 白木は床でノビている山崎と小椋に、侮蔑ぶべつの目線を送った。

「狂犬相手には、それなりの戦法があるというのに」

 白木は中段に構えた。両手を広げて、胸の前でゆらゆらと躍らせる。どんな攻撃が来てもさばいてみせようという、防御の構えだ。


「ほざけ白木いいいっっ――――!!」


 祖父江のストレートが放たれる。当たれば一発で決まりだ。

 だが白木は祖父江の豪拳に軽く手を添えるだけで、外側に軽々と受け流した。

 一呼吸を置かず、祖父江はアッパーカットを繰り出す。しかし白木の心は水面のよう。半歩後方に下がるだけでこれをかわした。しかもニヤリと笑う余裕すらある。


「この野郎、ちょろちょろと……」

「おっと、勘違いしないでもらいたいなァ。誰が逃げてるって? きみにはわからないのかな、攻撃の阿吽あうんというものが――」

 ふしゅうッ! 白木は自らかけ声を上げて、カミソリのような中段蹴りを放った。恐ろしく迅い斬撃が走り、四半秒を経過することなく祖父江のふとももを直撃した。

 ふしゅうッ! しゅうあッッ! 白木は同じ着弾点を何度も蹴った。祖父江もわざと受けているわけではない。できるものならかわしたいのだ。けれど白木の蹴りが迅すぎて、身を引く隙がない。相手の足先がぴくんと動いたかと思えば、すでにふとももは打たれている。

 そして四発目が決まったところで、祖父江は二、三歩と後退した。


「あはは、効いてるんだね。パワータイプにはローキックが効くんだ。だってさ……」

 白木は話の途中でも躊躇ちゅうちょなく踏みこみ、祖父江の側頭部に固く握った拳の横側をぶつけた。登山をする時に崖に刺すピッケルというものに似ているその拳もまた、迅かった。

「ふとももも、こめかみも、鍛えられないもんね」

 白木は再度、ヒットアンドアウェイで距離を置く。


「祖父江くん、どんな気分だい?」

 あの祖父江が、挑発されているというのにうつむいたままひとことも答えない。わたくしにはそれが無音ながらも、終わりを告げる鐘の音に聞こえた。

「あっはっはっは!」

 代わりに、白木が高らかな笑い声を上げる。

「きみにはうちの部員がたくさんかわいがってもらった。加賀谷かがやさんには僕のいるべき場所を盗られてしまった。だからきみたちには罰が下る! この美しいお嬢さんの操をもって、すべからき神託が下るんだっ!!」

 白木の咆哮ほうこうの残響が消える前に、祖父江はボソリと呟いた。

「……られるよ」


 祖父江の目は死んでいるのか、今も闘志を宿しているのか、わたくしにはわからない。


「なに? なんだって、祖父江くん!?」

「鍛えられるって言ったんだ。身体じゃねえ。その身体を司っている気持ちをだ!」

「意味がわからない。きみには心底がっかりだ。頭の中も筋肉でできているのかい?」

「黙れっ! 鍛えられるんだ! 気持ちを! 誰かを護りたいっていう気持ちを! そうすれば思うことができる。絶対に死なないって。俺の身体は傷つかないって!」

「な、なにを……」

「今、この一時!! なにをされても『俺は痛くないんだ』ってなああああぁ――っ!!」

 祖父江のきびすが床を蹴った。壊れたベニヤの部分から、七月の太陽の光が燦々さんさんと注ぎこまれる。

 生きとし生けるものの匂い。全てを押し流してしまう、川の水の匂い。

 祖父江はありとあらゆるものの力をもらったように、白木へと一直線に走った。



「きみの脚はもう限界だろう!? 二度と歩けなくしてやるぞ祖父江くん――――っ!!」

「ふざけろ白木いいいいいいいいい――っっ!! てめえの業ごとぶっ飛ばしてやる!!」



 白木のローキックが血風に巻かれて放たれる。祖父江のふとももを完全に射程圏に捉えたその蹴りは、さっきまでのどの一撃よりも強烈だった。

 だが祖父江は痛んでいるはずの方の脚で躊躇なく蹴りを打つ。白木の脚の下に、祖父江の脚が潜りこむ体勢となる。瞬時斬り結び、祖父江の脚は白木のキックを下方からすくい上げた。天井をも貫くばかりのその蹴りは、白木の身体をやすやすと宙に浮かせる。祖父江の脚と白木の身体が直角に交わる様は、まるで悪の泥を打ち払う十字架だ。

 白木の身体は側転や側宙をするように二回も三回もまわり、壁に叩きつけられる。その勢いは死なずにベニヤをも打ち砕いた。べきい! という音が轟くと同時に震度3か4クラスの揺れが生じ、白木の身体は小屋の外へと消えていったのである。


 祖父江は羽織っていた半袖シャツを脱ぎ、それをぽーんとハヘ子さんに投げた。

「き、着ろよハヘ子……」

 猛獣のような男が背中までまっかっかになっている。

「…………」

 放心状態に近いハヘ子さんに向かって、祖父江はもう一度言い放った。

「は、早く着ろってば!」

「……うん。うん。う、うああああああああああああん……」

 ハヘ子さんはようやく祖父江のシャツに袖を通したのだけど、ボタンを留める間もずっと泣きっ放しだった。


 祖父江徹はハヘ子さんの前で、とうとうヒーローになれたんだ。

 わたくしは千乃に肩を貸しながら、透明なグッドラックを贈る。


 よかったですわね、祖父江――。

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