最終章――太陽の笑顔――

最終章①(どれだけ尻軽な女なんだろう)

 雑木林の通りを抜けたところに、扇状に広がるマンション群が建っていた。


 雑木林からの木洩れ日と影が地面にアートをつくり出す。爽やかな風が吹き抜ける中、マンションの門の前でわたくしを待っていたのは、白木しらきだった。


「ようこそ、加賀谷かがやさん」


 白木はグレーのTシャツの上に黄色い薄手のシャツを羽織っていて、それらは白木の笑顔によく似合っていた。数日前の午前中まで親の敵のように憎んでいた相手なのに、なぜか清潔に見えてしまう。わたくしは胸の辺りが熱くなったが、知らない振りをした。


「いい天気ですわね」

「ああ。でも、夕方からは曇るみたいだけど」


 そんなたわいもない話をしながらオートロックの門をくぐった。門はしばらくの間、開いたままだった。マンションの中庭は広く、白木によると敷地内に温泉があるらしい。緑もたくさん生えているし、ちょっとした散歩が楽しめそうなくらいだ。


「なかなかお洒落なところにお住まいなのですね」

「まあね。このマンションは二十二階建てなんだけど、うちは最上階なんだ。夜景もきれいだし、家のベランダからは花火大会だって見られるよ。蚊だって入ってこない。ベランダで涼みながら飲むコーラは格別だね」


 なるほど、白木の家はそこそこのお金持ちらしい。この立地でこの規模のマンションだと、普通の家庭ではなかなか購入できないだろう。

 ただ、マンションの値段とは関係なく、わたくしは白木のことを羨ましくも思った。わたくしの屋敷は地下にあるので高層マンションとは対極だ。知らない景色を想像しては羨ましく思い、(いやいや、羨ましがってはなりません)と自分を律した。


 わたくしたちはエレベーターで二十二階まで上がった。マンションの中心は吹き抜けになっていて、吹き抜けの部分には非常階段が設けられている。高級マンションにも関わらず階段のどこかからドンドンという誰かの足音が聞こえてくるのは、ファミリー向けのマンションだけあって子供もたくさん住んでいるからに違いない。

 たどり着いた先、白木の家の扉は濃い灰色をしていた。白木が静脈認証口に人差し指を挿入すると、赤い数字がものすごい早さで現れては消える。

「その数字はなんですか?」


「あ、これね。このマンションのシステムのバグらしいんだ。家に誰もいない時に親戚が来たとかいう場合に暗証番号でも開けられるんだけど、その暗証番号の解読コードが一瞬出ちゃうんだって」

「そんな。でしたら、泥棒だって入ってこられるではありませんか」

「それは大丈夫。さっきの数字を一瞬で暗記して、掛け算と割り算を交互に繰り返さないと暗証番号は割り出せない。どんな天才でも……いや、そもそも人間には不可能だよ」

 ふーん。なら、問題なしということでいいのでしょう。


「さ、どうぞ」

 白木が家の扉を開けてくれたので、わたくしは白木に続いて入り、

「本日はお招きいただきましてありがとうございます。同級生の加賀谷璃子と申します」

 気合を入れて挨拶した。


 しかし、玄関先には誰の姿もない。


 ……おかしい。てっきり白木のご両親が挨拶に出てくると思って頭を下げたのに。挨拶もなしにリビングまで入ってこいということだろうか。妙な気もしたが、白木が「どうぞどうぞ」と言うので誘われるままに靴を脱いだ。


 廊下の左右には合計四つの部屋が並び、突き当りにも扉がある。進行方向からしておそらくあそこがリビングなのだろう。二回目の挨拶を頭の中で暗唱しながら、廊下を進む。

 白木はわたくしの予想どおり、突き当りの扉を開けた。そこは二十畳くらいのリビングで家具は少ない。群青色のソファーが一脚、その前にガラス製のテーブルが一台、少し離れたところにテレビとオーディオセット……と、それだけだった。壁の一面が全て窓になっていて、その向こうにはベランダがある。カーテンは特注で仕立てたものと思われる。


「本日はお招き……」

 今度こそ挨拶の機会だと考えて言いかけたのだけど、なにか様子がおかしいので続きをやめた。ぺこりと倒していた頭を上げて左右を見渡したが、リビングには誰もいない。

「白木、ご両親はどこにいらっしゃるの?」


 白木はリビングの中にある横開きの扉を開ける。リビングはその扉でもう一つの部屋と繋がっているらしい。あら、白木のご両親は隣の部屋にいらっしゃるのかしら。


 しかしまたもわたくしの予想は空回りをする。

 白木はただ扉を開けただけのようで、目線をわたくしから外し続ける。


「父さんと母さんは違う家に住んでるよ。僕はここで、一人暮らしをしてるんだ」

「え……?」

「このマンション、父さんに買ってもらったんだ。学校に近くて便利だからね」


 ……どういうことだろう。話が違う。いや、違うことはないのだけど、わたくしは白木のご家族も一緒にランチを楽しむものだと想定していた。なのに部屋には白木しかいないという。なにかが違う。どうも雰囲気がおかしい。


「で、ランチはどうなさるのですか?」

 わたくしはお土産に買ってきた老舗しにせの饅頭の紙袋を、床に置いた。

「ああ。これだよ」

 テーブルの上にはひと皿のショートケーキが置かれている。なんの変哲もないただのショートケーキなのだが、1.5人分くらいはありそうな大きさだ。

「……これは?」

「見てのとおり、ショートケーキさ。ぜひ加賀谷さんに味わってもらいたくてね」

 白木は怖気おぞけを誘うような声で言う。


 わたくしは眉をひそめた。ショートケーキが昼食だなんて意味がわからない。それに、一万歩譲ってこれを昼食にするとしても、どうして二人分ではなく一人分しか用意されていないのだろうか。


 わたくしは本能で身の危険を感じた。

 しかしそれを苛立ちが上回った。手紙を読んで一度は白木を信じたというのに、ここまでわたくしを馬鹿にするとなればもう、相手にならない。


「面白い冗談ね」

「冗談じゃないよ。本気だ。でも安心して、けっこうおいしいと思うから」


 わたくしは泣きたくなった。さっきまで白木のことをちょっとはかっこいいと思っていた。話し方も丁寧でいいなと感じた。それに彼と二人でデートに出かけるところまで想像してしまった。祖父江そぶえと三人でディナーを食べにいけたら、みたいなことも。


 なのに、なによ。どうしてなの。これは白木に対する苛立ちじゃなく、浅はかな考えをしていた自分自身に対する苛立ちなのだ。よーく考えてみなさい。白木は秘密基地を壊してほくそ笑んでいたのですよ。それなのにたかが手紙一つで家にまでついていくなんて、わたくしはどれだけ尻軽な女なんだろう。わたくしはわたくしに、呆れた。


「帰らせていただきますわ」


 わたくしがきびすを返すも、白木からは動揺の気配が感じられない。


「そうはいかない」

 白木が指を鳴らした瞬間、わたくしはリビングの隣の部屋に誰かの気配を感じた。しかも複数だ。たちまちに見知らぬ二人の男が並んでリビングへと入ってくる。


「……っ、ど、どなた、ですか」

 わたくしはもう荒い呼吸を隠せなくなっていて、詰まりながら言った。

「うちの部員の山崎やまざき小椋おぐらだよ。あれ、加賀谷かがやさんは会ったことない?」

 山崎と小椋なんて知らないのだが、それ以前にわたくしは白木の問いには答えられそうにない。床に丁寧に置かれた饅頭の袋の手前で、わたくしはひたすらに息を吸って吐くことしかできないのだから。


 白木はわたくしに顔を近づけ、射殺さんばかりの眼差しを打ちこんできた。


「僕の父さんは、ちょっとした会社の社長なんだ。名前は言えないけど有名な会社だよ。で、彼らはうちの専務と常務の息子ってわけさ」

「ひ、そ、それがどうしたの?」

 そこでようやく、声が出た。

「つまり僕たちは一枚岩。お互いに裏切ることはないんだよ。こんなふうにね!」


 白木が挙げた片手を合図にして、床がドタドタドタッとけたたましく鳴り、山崎と小椋がわたくしの身体を乱暴に押さえつけた。抵抗しようにもほとんど力が入らず、これでは手で雨を払っているようなものだ。むしろ中途半端に暴れたため、わたくしの身体は床に崩れ落ちた。


 山崎がわたくしの脚を手早くロープで縛り上げ、

「いい脚してるよなァ。加賀谷は、黙ってりゃいい女なのに」

 そう言ってわたくしのふとももをぺちぺちと叩く。手をじたばたと動かしたが、小椋に両手首を結束バンドで固められた。もう、芋虫みたいに這うくらいしかできない。口には猿ぐつわ代わりにタオルを巻きつけられた。どうしてこんなことになるの……。


「よーし、ゆっくりと起こせ。ゆっくりとだぞ」

 白木を含む三人の手によって、無理やりに立たせられる。脚がロープで縛れらているせいで自由が利かず、倒れそうになってしまう。それでも白木たちは遠慮なしにわたくしの脚を触りまくり、わたくしを硬い壁に押しつけて両腕を挙げさせた。背中が少し壁から浮く形になり、わたくしの胸はブラウスのボタンを弾けさせんとばかりに柔らかく揺れる。


 これからなにをされるのかはわからない。しかし、これ以上身体に触れられるのが嫌だったので、わたくしは不本意ながらも自力で立とうと試みた。白木たちはそれを降参の証と見てとったのか、うん、と満足げにうなずいた。とにかく、虫唾が走る。


 わたくしは奥歯をもって猿ぐつわに強い圧力を加え、絶対に、絶対に泣かないぞと誓った。涙なんかを流してしまえば、それこそこいつらに屈したことになってしまう。


「よーし、それじゃ、笑って笑って」

 白木がわたくしになにかの符丁ふちょうを送ってくる。

 小椋がわたくしの頭にオモチャの銀色のティアラを乗せると、白木はわたくしの首から上をカメラで撮影した。

「やっぱりお嬢様といえばティアラだな。うん、似合う。似合ってるよ、加賀谷さん」


 馬鹿にしている。


 白木は、わたくしを虚仮にしている。100円均一で売ってそうなティアラをわたくしの頭に置いて、似合っているだと?


 わたくしが目を細めると同時に、白木はなにかを思い出したように手を叩いた。

「そうそう、お昼ご飯がまだだったね。これはこれは、失礼いたしました」

 両脇の二人が、ぷっ、くく、と笑いを噛み殺す。白木はテーブルの上のショートケーキをもってきて、ずぶりと刺したフォークごと巨大なケーキの塊をわたくしの顔面に近づけてきた。わたくしの喉が猿ぐつわに、「もが?」という振動音を与える。

「はい、あーんして……って無理だよね、ごめんごめん」


 白木のフォークを持つ手が、


「はい、」


 わたくしの閉じられた唇に、


「どうぞ!!」


 ケーキをぐしゃりと押しつけてきた。


 もがぁ――ッ! もがががががぁぁぁぁァァァぁぁあああ!!


 当然ケーキは口の中に入らない。反作用の力を受けて分散したケーキはわたくしの口元を汚し、鼻をも覆った。わたくしは呼吸の危機を感じ、鼻息をもってクリームを飛ばす。クリームは大粒の飛沫しぶきとなり、スポンジはわたくしのブラウスの胸元にぽろぽろとこぼれた。「うわっ、きったねーっ!」と小椋が叫んだが、今は外聞などを気にしている場合ではない。わたくしはクリームを吸いこまないようにと鼻息を制御し、なんとか通気口を確保するので精いっぱいだった。


 そんなわたくしのみじめな姿を、カメラのカシャーッというシャッター音が襲う。しかも今度はフラッシュをかれたものだから、網膜には薄緑の輪っかが焼きついた。


「いいね、これはいい写真が撮れたよ! この写真を学校にばら撒けばなかなか面白いことになりそうだ。加賀谷さんのご両親だって、まともな顔をしてここいらには住んでいられなくなるだろうね」


 もが……という無駄な叫びを止めた。

 その代わりに、殺気を含んだ目で白木を睨みつけてやった。涙こそ流していないもののわたくしの涙腺はもう限界にきていて、水中から見上げたみたいに視界がぼやけている。


 そうか、わたくし、ついに泣いてしまったんだ。


「なぜこんなことをするか、知りたい?」

 白木は、カラカラと笑う。

「それはね、きみが軽率にも僕から生徒会長の座を奪いとってしまったからだよ。いいかい、僕は金持ちなんだ。きみにはわからないかもしれないが、金があればなんだってできる。僕はそれを知っているんだ。だから僕はなんだって『できなければならない』。ほら、あの祖父江だって屈服したじゃないか」


 ……違う。祖父江は違う。彼はあえて仕返しをしなかったのだ。それを金の力で解決できたと思いこんでいる白木は、なんて情けない男なんだろう。


「あ、そうだ。いいこと考えたぞ」

 白木は茶目っ気たっぷりに言った。

「なんですか、白木さん?」

「ほら、たすきってあるじゃん。なんか、パーティーとかでつけるやつ。あれに『わたくしは世界一のお嬢様です』って書かない? 超面白い写真になりそう」

「さすがは白木さんっスね! ……で、そのたすきはどこにあるんですか?」

「ないよ。今からみんなで駅前に買いにいこうか?」

「あ、えと、俺らもいりますか?」

「ん、どういう意味?」

「いや、俺らは、まあ、ここで加賀谷を見張ってようかなーと思いまして」

「だめだめ。僕がいないうちに、加賀谷さんにいやらしいことをするつもりだろ?」

 わたくしは半瞬で、恐怖を覚える。

「……ぎく。えーっと、じゃあ、俺たちも行きます……」

「あはは。まあ、お前らが僕の獲物に手を出したら、お前らも殺すんだけどね」


 白木の笑みは邪悪だけれど、こいつが山崎と小椋を止めてくれてよかった。もし白木が独善の極みを目指す人間でなければ、皮肉にもわたくしはとんでもない目に遭っていたことだろう。


 白木が部屋のカーテンを閉めると、パノラマの景色は一瞬にして消え、部屋の中がアイヴォリーグレーに沈んだ。白木は財布をおしりのポケットに確認し、わたくしに向かってバイバイと手を振った。わたくしは床に転がされた状態で、三人を見上げる。


「それじゃ、ちょっと待っててね。すぐに戻ってくるから」


 白木たちがリビングを出ていった後、わたくし一人だけがポツリと残された。

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