第三章⑤(私はそんなふうに言われたことがない)

 日曜日。僕は千乃ちのさんと二人で映画を観た。ミュータントとやらが人間と対立しつつ街中でどんちゃん騒ぎを引き起こすという荒唐無稽こうとうむけいなものだった。横に座っている千乃さんはハラハラとしながらも、エンディングではほろりときていたようだ。アクションあり、恋愛あり、ちょっとしたテーマあり。こういう映画に、女の子は弱い。


 映画館を出た後は、千乃さんが行きたがっていたパステルというカフェに入った。


「おおお! なめらかプリンだ!」

 映画の感想なんてひとことも発さず、千乃さんはメニューに釘付けになっている。

「メープル味! それにいちごミルク味だと……!?」

 千乃さんはあれこれと迷った末、プレーン味とメープル味といちごミルク味を全て頼んだ。あっという間にそれらをたいらげようとするので、たいらげる数十秒前に紙ナプキンを差し出してやった。甘そうな色に染まった口元を拭け、という親切を提示する。


「あ、申し訳ないな……」

 千乃さんは一礼して、大人しく口元を拭いた。

「甘いものが好きなんだね」

「まあな。だが、辛いものも好きだ」

「もしかして酸っぱいものも?」

「苦いものも忘れてもらっては困る」


 僕は話しながら手を挙げて店員を呼び、氷水のおかわりを頼んであげた。甘いものを食べた後にはいっそうおいしく感じられるはずだ。それに間もなく七月がやってくる。喉の乾いた千乃さんからすると、僕は実に優しい男に映っていることだろう。


「おいしい?」

「……ごくごくごく。……えっと、あれだな……」

 千乃さんは悪事がばれてしまったかのように、水を飲む手を止めた。

「なに?」

「いや、なにか、すまんな、と思って」

「すまんなって……別になにもしてないじゃない」

 と僕は訊き返したのだけど、千乃さんの思考はすでに筒抜けだ。

「あの、私は、そのな、こういう扱いにはあまり慣れてなくて……」

 そうだろうそうだろう。ウワサによれば千乃さんは小さな頃から加賀谷かがやさんにつきっきりだったと聞く。それに、二人してお嬢様ごっこなんかをしていたと。その行動の真意がどこにあるのかはわからないが、とにかく彼女は気を遣ってばかりだったと思われる。

 そういう健気な女の子に対しては、紳士的に振る舞うのが一番の策だ。


白木しらきくん」


 ――と。いきなり名前を呼ばれた。


「なにかな、千乃さん」


 今日のデートの途中から、僕は彼女を「千乃さん」と呼ぶようにした。最初は戸惑っていたみたいだがそのうちに慣れてくれたようで、僕への呼び方もいつしか「白木くん」に変わっていた。


「白木くんはもてるだろう?」

「いや? 全然?」

 的外れ、みたいな感じで答える。しかも嘘だ。僕はけっこう女子連中に気に入られているし、バレンタインにもらうチョコだって十個は固い。それでも千乃さんのポイントアップに繋がると判断したため、あえて嘘をついた。

「そうかな……」

 僕は考えこむ千乃さんを見て、

「どうしてそんなふうに思うんだい?」

 けらけらと嘘笑いをした。

「だって戸田とださんは、白木くんのことが好きなんだぞ」


 戸田? 戸田さん……あ、もしかしてハヘ子か!? ほほう、なるほど。ハヘ子も僕のことが好きなのか。いやいやこれはまた、珍妙な奴に好かれてしまったものだ。

 正直言えばあんなめんどくさそうな奴、お断りだ。性格も行動も異常だし、病院に通ってるとか、よく保健室にいるとか、彼女については嫌な話しか聞かない。病気もちの女なんて僕的にはアウトだ。


 ただ、ハヘ子は相当かわいい。学校中を探せばハヘ子くらいかわいい子は数人いるだろうが、あいつほど笑顔が眩しい女は一人もいない。もしハヘ子がまともだったらあいつを決め打ちで彼女にしているところだな。


 ま、論外だが、もしかすると万が一の彼女候補の押さえになるかもしれない。

 そんな存在である。


「それは光栄だね。でも僕は彼女に対して恋愛感情をもっていないよ」

「あんなにかわいいのにか?」

「ああ。今は違う女の子に興味があるんだ」

 千乃さんの唇がきゅっと内側にくるまった。肩幅を狭くして、テストの点数を発表される直前みたいな強い緊張の面持ちをしている。

「誰だ? もしかして……お嬢様か?」

 声の調子を落とす、千乃さん。

「加賀谷さん? 違う違う」

 そんな選択肢はいの一番に却下だ。なにしろ、彼女は僕から生徒会長の座を奪った憎っくき敵以外の何者でもないなのだから。

「嘘だろ。お嬢様はとんでもない美人だぞ」

「かわいいとか、美人だとかだけで好きな人を決めたりはしないよ。ま、だけど、僕が今気になっている人も美人だから説得力はないけどね」

 続けて、あはは、と笑った。

「誰だ?」

「うーん、言ってもいいのかな」

「かまわん! いいに決まってる!!」


 たっぷりじらして。

 迷ったように見せかけて。

 それでもって、ためらいもなく宣告してやった。


「千乃さん、かな」


「そっ……!」


 ガコン――カラカラカラ……びしょびしょ。千乃さんの手からコップが離れると、神様が氷河含みの川を創生するように氷水が広がった。


「そんなばかな! ばかなことがあるか! お、おかしいだろっ!!」

「しっ。みんなこっちを見てるよ。落ち着いて」

 その言葉は嘘でなく、周りの客は何事かといった感じで僕たちをじろじろと見ていた。


「これが落ち着いていられるか! なんで私なんだ? おかしいだろ。いや絶対におかしい。私は戸田さんのようにかわいくもないしお嬢様のように流麗な振る舞いもできない。サックスを吹いてウマいものを食ってばかりだ。……あ、剣術もできるがそんなの白木くんは知らないだろ? なのにいったいどうして。どうしてっていうか……ああ、もう!」

「わかんないよ、気になるものは気になるんだから。理由なんてないさ。でも少なくとも戸田さんや加賀谷さんより千乃さんの方が、ずっと魅力的だと思うけどなあ」

 千乃さんは荒い息を精いっぱいに抑えこんでいる。僕は彼女の気持ちがまとまるまで待った。けしてなにも言わずに、慌てず、焦らず、じっと目を見つめながら。


 しばらくして店員がテーブルにこぼれた水を拭きにきた。目の前で店員の手がせわしなく動いているというのに、千乃さんは黙ったままだ。ふふ、きっと身体中を使って幸せを味わっているのだろう。


「ありがとう」

 店員が去った後、千乃さんはぽつりと漏らした。

「ありがとう、白木くん。私はそんなふうに言われたことがない。それにお嬢様より魅力的だなど、恐れ多くて、そんなこと……」

「喜んでくれて、僕も嬉しいよ」

 僕はここぞとばかりに、ニコッと笑顔を決めてみせる。

「なら、あれだな! 場所を決めないとな!」

「な、なんの?」

「恋人になって一周年記念のデートをする場所と、結婚式場と新婚旅行の行先と、働く場所と家を買う場所と子供を通わせる保育園、小学校、中学校に高校。あとあれだ、今から決めておくのもどうかと思うが、墓の場所をどうするか。むむ、難しいことだらけだ!」

 おいおい、飛躍しすぎだ。いくらなんでも冗談がすぎる。僕たちはまだ十七歳なんだ。これまで生きてきた年月の約五倍先までなんて考えていられるもんか。

「でもそんなのは、どうでもいいんだ。いつも白木くんが私の傍にいてくれて、毎日ウマいものが食べられたら! そうだ、それだけでいい」


 千乃さんの空色のワンピースがふわりと揺れる。


 どうしてだろう、心がしくっと痛んだ。こんなの初めての経験だ。だけど、きっとこれは勝利に必要な痛みというやつなのだと自分に言い聞かせた。痛みを伴わないところに成功など存在しない。僕は自分の左胸を、ポンポンと二回叩いた。


「でさ、千乃さんに訊きたいんだけど」

「なんだなんだ? 言ってみろ」

「千乃さんは加賀谷さんのことを、ほんとはどう思ってるの?」

「ほんとは……って、どういう意味……」

 この言葉は最後まで言わせない。途中で切る。

「昔から一緒にいるらしいけど、千乃さんにとって加賀谷さんはどういう存在なの?」

「私にとってお嬢様は……お嬢様は、私の護るべき存在で、それから……」


 そうか?


「お嬢様は素晴らしい方なんだ。私などに気を遣って下さる。それに美人だ。誰よりも美人だ。皆は戸田さんの方がかわいいなどと言うが、私にとってはお嬢様が一番なんだ」


 そうか? そうか?


「私は一生をかけてお嬢様にお仕えしなければならない。も、もちろん白木くんとの生活とは両立させるがな。ただ、それが私の、役割なんだと思っている」


 そうか? ほんとに、ほんとーに、そうなのか?

 千乃さんの気持ちは『それ』だけではないはずだ。


「もし僕が千乃さんの立場だったら、こう思うだろうね――」


 から、僕の話は始まった。話は延々と続き、最初のうちはある程度の否定を繰り返していた千乃さんもやがて黙って聞くようになった。なので別の店に移動して、千乃さんと一緒にチーズケーキを頬張った。夜は沖縄料理を食べたのだが、僕の話はまだ続いていた。


 ゴーヤーを箸でつまむ千乃さんの手は、小刻みに震えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます