第三章③(どうしてお互いにいじわるをしてしまうのだろう)

 はっと顔を起こしたのは、誰かの足音が聞こえてきたからだった。


 それも数人、いやもしかしたら十人以上。年中散らばっている落葉がガシュガシャと砕かれる音がする。体育館の裏手から山に登る道を、誰かが歩いてきているのだ。


「……祖父江そぶえ? あの足音……」

「ああ。誰か来たみたいだな」

「誰ですか? こんなこと、初めてですけど」

「いや、俺だって初めてだよ」

「先生ではありませんの?」

「それはない。先公どもは俺を見放してるはずだ。カガリコの友達じゃねーのか?」

「知りませんわ……」


 戸惑ったけれども、今からこの大量の荷物を持って逃げる場所もない。仕方ないのでじっと待ち構えることにした。足音は最後のカーブを曲がり、予想どおり十人くらいの生徒がこちらに向かって歩いてくる。全員男子だ。そして集団の先頭では――、


 白木しらき太湖たいこが、冷たい眼差しをわたくしたちに向けていた。


「白木」

「やあ、加賀谷かがやさん。生徒会長選以来だね」


 実は生徒会長選以来ではない。ハヘ子さんに告白させようとして、千乃がその本人に間違われたというややこしい事件があったのだけど、白木はその事実を知らないのだ。


「どうしましたの、大勢で」

「いやあ、加賀谷さんが祖父江くんと仲良くしているってウワサが立ってるからさ。もしやと思ってバスケ部で手伝いにきたってわけさ」

「手伝う?」

「そうだよ。僕たちだって学校に貢献したいからね。……で、加賀谷さんが祖父江くんと仲良くしているのは『振り』なんだろ? ほんとは彼の風紀を改善したいんだよね」

「え、そうなのか?」

 祖父江がわたくしの方に目を動かす。

「い、いえっ、違いますわ。そういうわけではありません」

 たしかに白木の言うとおり、当初は祖父江の風紀を改善するために近づいた。今もその目的を忘れているわけではない。だけど今は、それだけじゃ、ない。


「へえ。じゃあどうして一緒にいるのかな。もしかして二人は、つきあってるの?」

 突然の問いかけに、わたくしと祖父江の顔が真っ赤になった。


「そ、そんなことありませんっ!」

「ば、ばかじゃねーのお前ら! 俺とカガリコが……んなわけねーじゃねーか!」

 そうよ。祖父江はハヘ子さんのことが好きなのですもの。


「ふうん。だったら、やっぱり目的は『こっち』なんだね」

「こっち……?」

「おい! やれっ!」

 白木の合図で、バスケ部員三人が一斉に祖父江を抑えこみに入った。後ろからいきなりこられては、さすがの祖父江も防げない。


「なんだお前ら! この野郎っっ!!」

 祖父江は怒号を上げるが、しっかりと腕の関節を極められている。

「ちょっと、どういうことですか?」

「加賀谷さんの目的は風紀改善にあるとみた。それを、この男には隠してたんだよね」

「そ、そんな……」

「よーし、仕事をやっちまおう!」

 仕事? どういう意味か一瞬疑問に思ったが、それはすぐに解けた。


 バスケ部の連中が秘密基地を破壊し始めたのだ。


 ハヘ子さんが持ってきた椅子の脚が折れる。テーブルにはハンマーが振り下ろされ、真ん中からメキリと割れた。油のようなものが撒かれ、火がつけられた。山火事になるくらいの大きさではないが、テーブルを二度と使えないようにするにはじゅうぶんだった。


「おい、やめろ!」


 次に祖父江の漫画雑誌、いかがわしい本、そしてわたくしの雑誌と文庫本がびりびりに破かれた。ああ、まだ読んでいないのに。千乃に貸してあげる約束をしていたのに。


 不思議なことにわたくしはなに一つ言葉を出せなかった。足も震えていた。男子ってもっと大人しい生き物だと思っていた。でも彼らが本気になったらどんなものでも壊してしまうんだ。力いっぱい、壊してしまうんだ。わたくしは、自分の身体も壊されるのではないかという気持ちになった。もし彼らがその気なら、この身体になにをされてもおかしくはない。お嬢様なのに、無力だ。お嬢様なのに、敵わない――。


 それでも。まだ、今なら。彼らを止められるのはわたくししかいない。


 わたくしは、荒れ狂うバスケ部の連中に向かってよろよろと歩く。それを、白木が遮断機のように威力のある手で制した。

「おっと、あまり近づくと危ないよ。加賀谷さんもばらばらにされちゃうかもね」

「お前らっ! カガリコには手を出すな!!」

 祖父江の叫び声がむなしく響く。


 白木は笑っていた。嫌な笑みだった。白木の「ばらばらにされちゃうかも」という言葉はさっきのわたくしの想像とシンクロしていて、足はそれ以上、動いてはくれなかった。


 わたくしのつくってきたクッキーが宙を舞う。ハンモックは大きなハサミで切り破られた。カーペットもいつの間にかずたずただ。秘密基地の全ては、跡形もなく破壊された。


「さて、これくらいにしようか」


 白木がストップをかけ、祖父江の腕は離された。バスケ部員たちは離すとすぐに臨戦態勢をとる。だけど祖父江は反撃しようとはせず、わたくしの前にすっくと立っただけだった。安堵の息をつくバスケ部員に対して、白木は息一つ乱していない。


「僕は品行方正ってやつが好きなんだ。だから祖父江くん、これからはちゃんと教室に来ないとだめだよ」

 白木はひどい仕打ちをやるだけやって、勝手な説教をたれる。

「加賀谷さんもこんな不良は嫌いだろ? ……生徒会長・さ・ま」

 言って、白木たちは去った。


 後には、ばらばらになった秘密基地だけが残った。もはや椅子と呼べるものは存在しない。カーペットもちぎられ踏み荒された。わたくしたちの座る場所はどこにもなかった。


「なんで、こんなこと……」

 わたくしはようやく、声を出した。

「俺のせいだろ。俺が昔、あいつらを……」

 ……そうか。思い出した。祖父江はかつてバスケ部の連中に暴力を振るい、一人で四人を叩きのめしたことがあるのだ。そのため、彼らの恨みを買ってしまったのだろう。


「祖父江、たしかあなたは以前に彼らを……。どうして……?」

「あれか……あれは、仕方なかったんだよ」

「えっ?」

「あいつら、下級生や喧嘩が苦手な奴を相手にカツアゲを繰り返してたんだ。そんなの見てて気持ちのいいものじゃねーだろ。だから、つい、やっちまった……」

「……それって。それって! あなたは悪くないじゃないですか!! 悪いのは彼らでしょう。あなたに殴られたのも、彼らの自業自得なのではありませんか!?」

「いや、怪我をさせたのは事実だ。それにさっきはカガリコには怖い思いをさせたし、これでハヘ子が帰ってくる場所もなくなっちまった。俺、どうも……だめだな」

「……こんなの、逆恨みもいいところですわ」


 肩を震わせるわたくしに、祖父江は前を向いたままで言った。

「おい、ハヘ子には言うなよ」

「い、言えるわけありませんわ。秘密基地がめちゃくちゃになってしまったなんて……」

「違うよ。俺があいつらをボコボコにしたってことの方だよ」

「え、ええ、そっちですか。ではそれも、承知しましたわ」

「すまんな。でも、好きな女には知られたくないし、見られたくないんだ。暴力を振るうところなんてさ――」

 祖父江は、悲しい目をしていた。


 それからわたくしが椅子の残骸や雑誌の切れ端を一ヶ所に集め出すと、祖父江の太い腕も同じようにした。裏山をこのままの状態で放置するわけにはいかない。焼け焦げた木材を拾い上げると、目の奥がじりっと熱くなった。


 みんな、ちょっとした幸せを求めているだけなのに、どうしてお互いにいじわるをしてしまうのだろう。


 そんなふうに……考えてしまったから。

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