第三章②(『思い出』として処理している)

 次の日からもわたくしは学校に通った。ハヘ子さん一人のことで思い悩んで欠席するなど、お嬢様として、さらには生徒会長としてあるまじき行為だからだ。


 幸いにもハヘ子さんは話しかけてはこなかった。というか、ハヘ子さんが学校に来ているかどうかすらも知らないままでいようと考えていた。そして彼女は元からいなかった、と思いこもうとしたのだ。わたくしに許してもらえなかったとなれば、ハヘ子さんはまたアンリや他の友達と彼女なりの楽しい時間を過ごすだろう。だったらそれでいい。自分がわざわざハヘ子さんの心に入っていかなくても、彼女にはずっと昔から築いてきた彼女なりのやり方があるのだから。


 でも放課後になれば毎日、裏山には行った。生徒会長として祖父江そぶえの風紀を改善しなければならないわけだし、それに祖父江とまで疎遠になってしまう必要もない。わたくしは裏山に行っては祖父江と、学校の行事や試験についての話をした。


 そして六月も終わりに近づいたある日に、祖父江は言った。

「今日もハヘ子は来てないぞ。お前ら、なにかあったのか?」


 祖父江は前々から気づいていながら黙っていたのだろうし、わたくしだって祖父江がそういう気遣いをしてくれていることは重々承知していた。けれどごまかし続けるにも限界がきてしまったのだろう。

 とうとうこの質問がきたか。そう思いながら、そっけなく返した。

「……別に、なにもありませんわ」


「そっか。じゃあ、なんで毎日こんなとこに来てるんだ?」

「さ、最近、千乃ちのを見ませんのよ。ですから裏山に来れば見つかるかと思ったのです。ほら、千乃はわたくしがいつもここにいることを知っていますし……」

 これはけして全部が全部、嘘ではない。千乃を心配に感じている気持ちだって本物だ。

 なのに祖父江はこっちも見ずに、週刊少年ジャンプを読みながら言った。

「嘘つけ。だったら、生徒会室で待ってたらいいだろ」


 黙りこくるわたくしに対し、祖父江はばりぼりと背中を掻いて続ける。

「なあ、カガリコ。真面目な話、ハヘ子となにがあったんだ? 今だってほんとはハヘ子が来るのを待ってるんだろ?」

 なんでそんな言い方をするんだ。本心を言い当てられたのかどうかは自分でも定かではないが、祖父江の決めつけたような言葉に、わたくしの身体の中がかーっと熱くなった。


「うるさい! うるさいうるさいうるさいですわよっ!!」

「そんなムキになるなよ」

 祖父江がいたって冷静に返すものだから、込み上げてきた感情を振り下ろす場所がなくなってしまう。なので、どうして声を荒げたのかもよくわからないままだった。


 これ以上は袋小路になってしまうので、わたくしは仕方なく話題を変えることにした。


「それより、整ってきましたわね」

「ん?」

「秘密基地のことですわ。不便ですが、過ごしにくくはありません」


 祖父江が元々私物として置いていた漫画やいかがわしい本、それに酒やタバコなどは論外だけど、いつの間にか敷いてくれた古いカーペットは悪くなかった。ごみ捨て場にあったものを拾ってきて洗剤でしっかりと洗ったそうだ。それでもわたくしは最初、ここに寝転がるのを拒否していたが、祖父江がなにも気にせず転がっているのでマネをするようになってしまった。ハンモックも同じだ。

 わたくしはよくクッキーやスコーンなどのお菓子をもってきた。わたくしが手間暇かけてつくったものを祖父江はガリガリと噛んであっけなく胃に流しこんでしまう。それでも「うめえな、これ!」と言ってもらえるとつくってきた甲斐があるというものだ。急いで食べて喉を詰まらせる祖父江のために、水筒に入れた紅茶も出してあげた。

 こういったのんびりとした時間を過ごせるのも、ひとえにこの椅子とテーブルのおかげだ。これを運んできたのはたしか……、


 と考えて、わたくしの頭は、ぎっしりと詰まったこしあんのように重くなった。


 そうだ。これを運んできたのは、ハヘ子さんだ。


 わたくしはハヘ子さんの姿をできるだけ想像しないようにしていた。それも無意識に。


 ……でも、たしかにいた。ハヘ子さんだって同じ空間にいたんだ。ハヘ子さんはハンモックに揺られながら雲に名前をつけたり、クッキーをもぐもぐと食べては目を細めたりしていた。三人の会話があれだけ盛り上がったのも、ハヘ子さんがいたからだと思う。


 ハヘ子さんは『あの日』以来、裏山には来ていない。そしてわたくしがあれだけ彼女を傷つけてしまったのだから、二度と来ないかもしれない。そうだとしてもこの秘密基地は大事にしようと思う。彼女が用意してくれたテーブルと椅子もずっと大切に使おう。物に罪はない。ハヘ子さんに苛立ったからといって物まで粗末にしては、物がかわいそうだ。


 わたくしはいつしかハヘ子さんを『思い出』として処理していることに気がついて、いっそう頭がはちきれそうになった。

 そんな折だった。祖父江が、わたくしの横で一句を詠んだのは。



 花菖蒲はなしょうぶ 隔てて振られる 子供の手



 祖父江の声はどこか透きとおっていて、ごちゃ混ぜのスープみたく混乱したわたくしの頭にすうっと入ってきた。


「俳句ですか?」

「ああ、俳句だ。でも、いつものとはちょっと違うぞ」

「…………? どういう意味でしょう?」

「ま、頭の体操だな」

 頭の……ああ、そういう意味か。


 だけど、こうやって祖父江が俳句を詠んでくれるのは本当に助かる。俳句なんてお世辞にも高校生男子としてかっこいい趣味とはいえないけれど、俳句を聞けば心が落ち着くというのはまぎれもない事実だ。

 祖父江はカーペットの上で漫画を読み、わたくしは体育座りで顎を膝につける。照りつける太陽の光に身体のあちこちをぽかぽかにしてもらいながら、二人、黙った。


 時間が流れた。校舎の廊下を色んな生徒が歩いていく。クラブに行く人、友達同士でじゃれ合っている人、先生と話しこんでいる人。


 それぞれがたぶん、夏の訪れを待っている。

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