第二章②(人のおしりを叩かないで下さいっ!!)

 駄菓子屋からの帰り道、三人で並んで川沿いの道を歩いた。苔とか藻の匂いを含んだ、川沿いの風が鼻腔に当たる。川の両岸は河川敷になっているのだが、そこの芝は荒れ放題なので、犬の散歩やキャッチボールをできるような場所ではない。


「これ、いつまでやるんだ?」

 祖父江そぶえがわたくしに尋ねる。「これ」とはハヘ子さん改造計画のことだろう。


 ぽこぽんぽこぽん。


「そうですわね、いつまでかしら。……祖父江はちょっと疲れましたか?」


 ぽこぽんぽこぽん。ぽこぽこぽん。


「いや、そんなことない。てゆーか、けっこう面白いじゃねーか」


 ぽんぽこぽんぽこ、ぽんぽんぽん!


「あら。おやつれになったり目が無になったりしているからてっきり疲れていると思っていましたわ。……って、ハヘ子さん! 人のおしりを叩かないで下さいっ!!」

「ごみーん。ふひひひ、いいおしりだからさぁ」

「カガリコの声、でけえな」


 ハヘ子さんはくるくると回りながら道を歩いていた。祖父江はそれを見て微笑んだ。ポケットには手をつっこんだままだがその笑顔は本物だし、祖父江が先程言った「面白い」という言葉に嘘偽りはないのだろう。わたくしも祖父江も疲弊したようには振る舞っているが、要はそれはハヘ子さんの奇行に対しての返事みたいなものなのである。こうやってわたくしたちがちゃんと呆れてあげることでハヘ子さんは喜んでくれる。いつの間にか三人の中に、ワンツーパスの呼応みたいなものができ上がっていた。


 ふふっ。わたくしは目元を緩めた。目の前のかわいい女の子は天真爛漫で、超お嬢様のわたくしや一見するといかついマフィアみたいな祖父江を存分に困らせてくれる。


 このままでいいのかもしれない――。


 そういうふうに思わないではない。けれどわたくしも祖父江もそれを口にすることはなかった。それを認めてしまえば、ハヘ子さんと過ごす放課後は終わりになってしまうからだ。だからわたくしは、「いい加減になさって!」といつまでも声を荒げ続ける。


「ねえねえ、秘密基地をつくりたいよ」

 ハヘ子さんが滔々と流れる川の流れを見つめながら、またわけのわからないことを言い出した。

「秘密基地って、お前、何歳なんだよ」

 祖父江は、ぼやくように答える。

「えーっ、いいじゃない。とおるくんの秘密も守るし、基地の掃除もするからさぁ」

「……ハヘ子さん、秘密基地とは基地自体が秘密という意味ですよ」

「だいたいなにを目的とした基地なんだよ」

「じゃあわたし、オレンジマン軍曹の役やるっ!」

「誰だよそれ! それに役って言うな、役って!」

「ぶーっ。徹くんのケチ。……あ、あんなのがいいな。あの家、秘密基地にしない?」


 ハヘ子さんが指差した先、ちょうど線路の高架下に古びた一軒の小屋がある。人が住んでいる様子もなく、薄いベニヤや焦げ茶色の木材を乱雑に張りつけてつくられただけの小屋だ。あの中にはおそらく六畳くらいの部屋が一つか二つあるくらいだろう。入念な計画を経てつくられたものとは到底思えなかった。


「だめだだめだ、あれは人の物だろ」

 祖父江はとんでもない、といった感じで首を振る。

「あら祖父江、あなた意外と常識的なのですわね」

「う る せ え! ここは俺の散歩コースなんだよ。もし持ち主に叱られたらもう出歩けなくなるじゃねーか」

「祖父江の家はここから近いのですか?」

「歩いて、五分くらいかな」

「近っ! 貞操の危機を感じますわ。ぶるぶる……」

「感じるな! とにかくだ、この辺りで変なことしたらだめだぞ!」

「ハヘえええええええ……」

 ハヘ子さんはがっかりして、ちぇっ、とか言いながら足元の小石をコツンと蹴った。

 祖父江はそんなハヘ子さんの様子を見て、仕方なさそうにがしがしと頭を掻く。


「……わかったよ。じゃあ俺がいつも使ってる裏山、あれを秘密基地にすればいいだろ」

「え、いいの、徹くん?」

「祖父江、それだって学校の土地ではないのですか?」

「いいんだよ。学校にあそこを管理する気はまったくないみたいだし、あのくつろぎスペースだって俺が草むしりをしたり剪定鋏せんていばさみで余計な枝を切ってつくったものなんだぞ」

 へえ。祖父江には意外とマメなところがあるんだ。

「やった! やったぁ! それじゃ明日から秘密基地づくりしようね! 約束だよ」


 ハヘ子さんは両手を挙げ、その場でくるりくるりと回転した。セーラー服の青いスカートがひらひらと風に膨らみ、ハヘ子さんの膝上くらいまでが露わになる。赤い顔をする祖父江は実にシャイな男だ。ま、そういうのが祖父江らしいといえばらしい。


 ほんのりと雨の気配がした。明日になれば六月。春から夏へと季節が変わる。春とは約九ヶ月間のお別れとなるわけだが、けして憂鬱な気分にはならない。なぜならこの深く重なった雲を抜けた先には、きっと眩しい太陽が待っているのだろうから。路傍ろぼうのオオニワゼキショウだって薄紫の花をつけて、梅雨の恵みを待っている。


 秘密基地、か。


 明日から、忙しくなりそうだ。

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