第二章――毎日がハヘ子さんで、いっぱいで――

第二章①(目を無にしたままで、ぺろぺろぺろ)

 さあ、長期戦の始まりです。延長戦とも言い換えられましょうか。


 青葉空がきらきらと輝いている。プラスチック製のベンチに手の甲を当てると、そこはフル稼働しているパソコンみたいにじんわりと温かくなっていた。わたくしの隣には祖父江そぶえが座っていて、ぺろぺろと木の棒を舐めている。目を無にしたままで、ぺろぺろぺろ。


「おばちゃーん、もう一本ちょうだいなー」

 ハヘ子さんの声が空気に弾む。

「あんた! これで何本目なの!?」

 中年の女性独特の強い声だ。

「んーとね、いち、に……次で五本目かな?」

「ええっ。もうだめ。もうだめよ。これ以上食べたらお腹を壊しちゃうわ」

「お願いー、もう一本、もう一本だけえぇぇぇぇ!」

「だ、だめっ! あんた高校生でしょ? 子供みたいなこと言わないの!」


「ハヘ――――っっ!!」

 ハヘ子さんの顔がボカンと爆発する。


 きゃあああああああああああ――――っっ!!


 ……中年の女性独特の金切り声。はあああ。ぺろぺろぺろぺろ……。


 どうしてわたくしは駄菓子屋の外のベンチでソーダアイスを食べているのでしょうか。どうしてハヘ子さんはチョコバーを五本も食べようとしているのでしょうか。しかもおばちゃんに「驚いた? にゃははははーっ☆」とか言って。美少女の顔にころっと戻って。


 ここら辺りで、ちょっと頭の中を整理する必要がある。


 まず、ハヘ子さんには正攻法で白木しらきと仲良くなってもらうことにした。祖父江には辛いかもしれないが、「乗りかかった船ですよ。降りては男が廃りませんか?」と説得した。

 聞く祖父江の目はやっぱり、無になっていた。



 あの薔薇を 食べてみたいと きみ走る



 ハヘ子さんを想っての作句だろうか。祖父江は一句詠むことで心を落ち着けたようだ。



 失恋の こころも映す 白い薔薇



 二句目。どうやら今回注目の季語は『薔薇』らしい。


 というかまだ失恋なんてしないで下さい。わたくしだってこのまま諦めるわけにはいきませんのよ。今ハヘ子さんのサポートをやめてしまうと、ハヘ子さんへのいじめもなくならないし祖父江の他人嫌いも治らない。そんなことは許されませんし、だいいちわたくし自身が納得できないのです。


 でも考えようによっては、わたくしのエゴに二人を付き合わせているだけともとれる。そこで放課後になったら、日替わりでハヘ子さんの行きたいところと祖父江の好きな場所で集まるようにした。三人で集まって、なにをするわけでもない。ただ自然体で好き勝手に過ごすだけだ。話をして、ハヘ子さんが変なことを言う度にそれを直していく。それがわたくしの考えた『正攻法』だった。


 彼を知り己を知れば、百戦危うからず。

 ……『彼』ではありませんけど、まあ、そういう感じでいいでしょう。


 ところがハヘ子さんの変人っぷりはわたくしの予想の斜め上をすいすい泳いでいった。北島康介の平泳ぎばりに、すいすいすいすいと。


 最初にハヘ子さんに案内されたのはトタン製の外枠と屋根をもつ駐輪場だった。そこでハヘ子さんはなにを思ったのか、懸垂けんすいの要領で器用にトタン屋根へと上った。


「ハヘ子さん、どうしたのですか? 危ないですわよ!」

「おーい、下りてこーい!」

 わたくしと祖父江、二人して下から呼びかける。

 ところがハヘ子さんはニヤリと不敵に微笑むと、


「ニンニンニンニンニンニンニンニンニンニンニンニン

   ニンニンニンニンニンニンニンニンニンニンニンニン

     ニンニンニンニンニンニンニンニンニンニンニンニン――――!!」


 手でエア手裏剣を撒き散らしながらトタン屋根の上を猛ダッシュした。どれだけ忍べば気が済むというのでしょう。


 で、先生に見つかって叱られた。連帯責任でわたくしも説教をくらった。このわたくしが。なんたる屈辱。ただし先生は、祖父江に対しては舌打ちを一つしただけだった。


 後で聞いたところによると、忍者部の練習だったらしい。


 屋根があるところでの待ち合わせを禁止した。するとハヘ子さんは次に公園を選んだ。公園にはブランコや滑り台などに加えて『メロンボール』という遊具があった。メロンの造形をマネてつくられていて、その球体の中に入ることができる。地面とは一本の軸で繋がっているので、くるくると回して遊べるとても楽しい遊具だ。


とおるくーん、入って入って!」

「ええーっ、なんだよこれー、小学生の遊び道具だろー」

 えへへへ。祖父江はハヘ子さんに話しかけられてすっかり鼻の下を伸ばしている。

「それじゃいくよ! 3、2、1、ゴゥ――――!!」


 ぐるん ぐるぐるぐるぐるん。

 ハヘ子さんは鉄格子を外から掴み、メロンボールを回し始めた。


 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。


 おえええええええ――――ッッ!?


 祖父江の悲鳴と胃の内容物が込み上げてくる音が重奏となって、園内に響く。


 おえええええええええええええええっっ!


 祖父江はたまらず脱出を試みたが、メロンボールの回転は予想以上に速かったようだ。祖父江の身体は遠心力をもろに受けて、黒ひげ危機一髪のようにすぽーん! と飛んだ。


「にゃははははははは! あれ? 徹くん? 大丈夫? 徹くん?」


 ぴくぴくぴくぴく。痙攣痙攣痙攣――。


 これにて、公園での待ち合わせも禁止になった。


 こういう放課後が半月くらい続いた。祖父江の筋肉は日に日にやせ細っていく。


 そして今、ハヘ子さんお勧めの駄菓子屋でアイスを食べているというわけで。ハヘ子さんは話しているぶんには楽しい子なので、これが一番よかったわけで。わたくしが自分自身の話をしたら「それはすごいね!」とか「わたしも行ってみたいなあ」とか興味津々で聞いてくれるわけで。それでも狂ったようにアイスをどかどか食べるわけで。


 祖父江の目はとことん無になっている。


「ちょ――気持ちいいっ!」

「こ、こらっあんた! アイスボックスに顔を突っこまないで!」

 ツイッターに投稿したら炎上しそうな絵づらに、わたくしは深い深いため息をついた。


 ただ、現状がつまらないかと訊かれれば答えはノーである。ハヘ子さんがなにをしでかすかわからないのは迷惑だけど、同時に愉快でもある。わたくしは駐輪場でも公園でも駄菓子屋でもしゃっくりが止まらなくなるくらいに爆笑した。こんなに笑ったのは祖父江の俳句を読んで以来だ。


 それにハヘ子さんみたいなかわいい子が変なことをするのは、妙にミスマッチで絵になる。だからわたくしは毎日の放課後をけっこう楽しみにしていた。ハヘ子さんはよくわたくしの手を握ってくるのだが、彼女の手は洗濯したてのシーツのように、およそ摩擦というものを感じさせない。

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