第一章⑯(これは俺たちが悪い)

 放課後、書いた手紙を白木しらきの靴箱に入れた。白木は毎日熱心に部活に取り組む生徒だと聞いている。だとしたら、部活が終わった後にはこの手紙を見つけてくれるはずだ。


 それからわたくしたちは再び屋上に移動し、そこで白木が来るのを待った。


千乃ちのちゃんはすごいね。わたしよりしっかりしてるよ。お姉さんみたい」

 ハヘ子さんが千乃に話しかけると、千乃はぶんぶんと首を振った。

「私など、お嬢様に比べたら全然だめだ」

「そんなことないよ! リコピンも千乃ちゃんも素敵だよ。二人は昔からの友達なの?」

「ああ、そうさ。私はお嬢様を護るという宿命の元に生まれたんだ」


 宿命――。


 わたくしはその言葉を聞いて、どこか引っかかるものを感じた。だけどハヘ子さんは単純に感動したようで、羨ましそうにわたくしの鼻頭に顔を近づける。

「いいなあ、リコピン」

「千乃にはずっとお世話になっていますからね。とても感謝しています」

「でもねでもね、わたしも自慢できること、あるんだ。わたしね、リコピンと千乃ちゃんととおるくんっていうとても大切な友達ができて、すっごく嬉しいんだよ。寝る前にも三人のことを考えたりするんだ。そしたら一人で笑っちゃってさ。弟から『気持ち悪い』って言われちゃったよ」

 友達、か。それも「大切な友達」ですって。なんだかくすぐったい。千乃も嬉しいようで唇の端を少し上げている。でも祖父江そぶえはどうなのだろう。友達と言われて複雑な思いにならないのかと疑問に思ったりもしたが、見れば頬を緩めていた。ハヘ子さんが幸せそうなのだから、祖父江としてもそれはそれでやっぱり嬉しいのでしょうね。


「ハヘ子さんには弟様がいらっしゃるのですか?」

「そだよ。あいつ、いつもわたしのことを馬鹿にするんだ!」

「いつも……って、ハヘ子さんのどんなところをですか?」

「最近だったら、電気炊飯器を開けようとして蓋を壊したり、お風呂場でゴキブリを見つけて裸で家中を走り回ったり、そんなのかなあ。でも仕方ないよね、ゴキブリ見つけたら怖いもんね。わたしが大声を出したらゴキブリもびっくりして立ち上がってたよ!」

戸田とださんの家は大丈夫か?」

 千乃は完全に呆れている。

「え、えへへ、大丈夫だよ。弟もお母さんも元気だし……」

「いや、そういう意味じゃなくてさ。戸田さんの行動があまりにもおかしいから……」


 そこでわたくしの耳は、校庭からかすかに聞こえてくる賑やかさにくすぐられた。


「ハヘ子さん、千乃、お話は後にしましょう。あれを見て下さい」

 わたくしは二人の会話を止め、校庭を指差す。男子の集団が全員似たようなバッグを持ってぞろぞろと歩いている。まぎれもなく、あれはバスケ部の人たちだ。

「どうやら部活が終わったようですね。いよいよ白木が来ますわ」

「ほんとですね。よし、戸田さん、頑張れよ」

「え、わたし、どうしたらいいの?」

「俺たちはここから見てるから、とりあえず扉のとこまで下りてスタンバっとけよ」

「一人で?」

 ははっ。祖父江は乾いた笑いをした。

「俺たちが一緒にいたらおかしいだろ」


 純粋に(それもそうだ)と感じたのか、ハヘ子さんは無言のまま、しぶしぶという感じでハシゴを下りた。わたくしたちの座っている場所からちょうど一階分だけ下にいるハヘ子さんはこっちを見上げて、「おーい! おーい!」と諸手を振る。


「しっ。もうわたくしたちはいないと思って、お一人で頑張って下さい」

 わたくしは人差し指を唇に当てて注意しているのに、ハヘ子さんはなおも手を振り続ける。さらにその場でくるくると回って、車ひだのスカートを春風に躍らせる。五分くらいが経っても、彼女はまだおどけるのをやめなかった。


 わたくしたちがそろそろ苦笑いを含み始めた時、ハヘ子さんはさっきまでの多動をぴたりと止め、右手の人差し指をぴんと立てた。それを左手で握りこみ、さらに左手の人差し指を立てる。なにをしているのですか、こんな大事な時に。



「忍法! 隠れみのの術っっ!!」



 だっ。

 ――――しゅ……!?



 なんと。


 なんとハヘ子さんは屋上から、三階へ降りる階段へと逃走した。


「えっ、は、ハヘ子さん?」

「おい、俺たちも下りよう! こりゃまずいぞ!!」

 わたくしと千乃と祖父江も、滑るようにハシゴを下りた。


 どういうこと? なんでいきなり?

 わけがわかりません!


「わたくしと祖父江はハヘ子さんを追いかけます! 千乃はここにいなさい!」

「え、私はここでどうすればよいのですか」

「白木が来たら待たせておくのです! さ、祖父江、追いましょう!!」

「よし!」

「ちょ、ちょっと! お嬢様あッッ!!」


 千乃の声が背中の向こうから聞こえたが、わたくしは返事をせずに階段を下った。祖父江が後ろからついてくる。


 三階に下り、廊下を見渡した。だけどハヘ子さんはどこにもいない。

「二階に行ってみよう!」

 祖父江の言葉に、わたくしは強くうなずく。

 そして二階、廊下。……いた! ハヘ子さんはなぜか床に座りこんでいる。


 もう、なに? 今からという時に逃げ出すなんて、いったい彼女の心の中のなにに火がついたというのだろうか? もしかするとハヘ子さんは緊張に弱いのでしょうか。まあ、そういう気持ちはわからなくはないのだけど、それにしても彼女の行動はあまりにも突飛すぎる。


 ハァハァと肩で息をするわたくしの前で、ハヘ子さんはおしりを床につけ脚を上げた。手で床を斜めに弾き、おしりを軸にして身体をぐるんぐるんと回転させる。それも、ものすごく楽しそうな顔をしながら。


「ハヘ子さん!」

「どしたのー?」

 ぐるんぐるん。

「どしたの、じゃありませんわよ! なにをしているのですか!?」

「ブレイクダンスだよ。面白いよ。リコピンと徹くんもやってみなよ」

 わたくしはハヘ子さんの肩を掴み、ピタッと回転を止めた。


「そんなことはしません! さ、屋上に戻りましょう?」

「やっぱり、戻らなきゃだめ?」

「ええ。もしかして、告白するのが怖くなったのですか?」

「いや、別に、そういうわけじゃないんだけど……」

 この言い淀みはなんなのか。わたくしは、彼女の真意をはかりかねる。

「ハヘ子さん、これはわたくしが言い出したので偉そうには言えませんが、白木にはもう手紙を出してしまったのですよ。彼は今から彼は屋上に来るのです。このまま放っておくのは、白木に対して失礼にあたると思いますよ」

「だって……」

「もし恥ずかしいのなら、手紙を出す前におっしゃればよかったではありませんか」

「おい、やめとけ」

 祖父江がわたくしの腕を掴んだ。


「これは俺たちが悪い。ハヘ子に無理やり告白させようとした、俺たちが悪いんだ」

「祖父江……でも、まあ、そうかもしれませんわね。それでは、白木にはどう対処しましょうか」

「そうだな……いたずらってことにして、俺たちで謝ろうか」

「ですわね……」

 がくりと頭を下げるわたくしと祖父江を、ハヘ子さんはじっと見てくる。

 ハヘ子さんはいったん目線を床に落とし、そしてもう一度、わたくしたちに戻した。

「リコピン、徹くん、ごめんね。わたし、行くよ。屋上に行く」


 ハヘ子さんの目の動きから、わたくしは彼女の一大決心を感じとった。ハヘ子さん自身の意志というよりは、わたくしと祖父江に悪いと思って決断してくれたようだ。だからわたくしはハヘ子さんのことを不憫に感じたし、告白を中止しようかとも考えた。

 でもどういう理由があるにせよ、せっかくハヘ子さんが考えを変えてくれたのだ。わたくしのために、祖父江や白木のために、そしてなによりハヘ子さん自身のために――。

 だったら、やっぱり今日、決着をつけておくべきなのではないでしょうか。


 わたくしは迷いなくハヘ子さんの手を握った。薄い笑いを、浮かべながら。

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