第一章⑫(OTLがっくし)

 わたくしたちは裏山から下りて校庭に向かい、ハヘ子さんの姿を探した。


 幸運にも、ハヘ子さんはすぐに見つかった。彼女はさっき草をはんだ場所から一歩も動かず、一人、夕闇の中にたたずんでいた。アンリたちはもう帰ってしまったようだ。

 よかった。これなら、ハヘ子さんに話しかけやすい。


「ハヘ子さん、ご機嫌麗しゅうございますか」

「あっ! リコピン! どしたのどしたの」

 ハヘ子さんは口をハート型にして、わたくしたちの方にテコテコと近づいてきた。

「リコピンだあ……?」

 祖父江そぶえは訝しげな顔をしているけれど、とりあえず放っておくことにしましょう。

「今日はですね、あなたに伺いたいことがあって参ったのですよ」

「えっ? わたしに!? なになに?」

 逆ツリガネ型の口が、いっそう大きく開いた。

「……ごほん。まず、誤解していただきたくないのですが、これは生徒会の意識調査の一環なのです。もちろん回答者の個人情報はわたくしが責任をもって扱わせていただきますから、どうぞ安心なさって下さい」

 ナイス! とでも言いたげに祖父江が親指を立てる。……目立ちますわよ。

「そんな堅っ苦しくしなくても大丈夫だよ! なんでも訊いておくれやしいいいいい」

「えーと、それでは。あなたには今、好きな人はいますか?」

 なるべく冷静を装おうと思ったが、少し声がうわずってしまった。

 だけどハヘ子さんは即答だった。


「いるよっ!」


 ぴしーっ! 祖父江の顔が一瞬でフリーズする。

「そ、それはどなたですか?」

 これはさすがに答えてくれないかしら。でも、答えてほしい。そしてぜひ「祖父江そぶえとおる」と言ってあげてほしい。どうなの? どうなのですか、ハヘ子さん?


「バスケ部のキャプテンの人だよ!」

「え、バスケ部の……あら、そうですか……」

「てへへ、好きっていうか、憧れみたいなもんだけどね」


 ハヘ子さんは自分の好きなものや人を堂々と教えてくれる。普通は誰が好きかなんて隠すものだし、こんなに簡単にホイホイと話すなんてよっぽどの信念がないとできない。そりゃ、こっちが訊いたわけだから結果に問題はないのだけど。


 でも……。バスケ部のキャプテンですって?


 わたくしはその男を知っている。名前はたしか、白木しらき太湖たいこといったはずだ。白木は先日の生徒会選挙でわたくしと生徒会長の座を争った。結果はわたくしの圧勝だったのだが、その選挙戦において、彼の掲げたマニフェストがこれだ。



(白木太湖 マニフェスト)……学校への貢献度をポイント化する。

 自分が学校に貢献したと思ったらその内容をポイント申請書に書き、証拠をつけて先生に提出する。先生が間違いないと認めたら、内容に応じたポイントが付与される。

 ポイントごとに生徒にランクが割り当てられ、食堂を使用する際の順番、部費の配分などはランクによって先後や金額が決まる。



『人間に差別はあってはならないが、区別はあってしかるべきです――』

 彼は選挙演説で、このフレーズを繰り返し使っていた。


 だけど皆は気づいた。


 生徒会長は『生徒会長に就いている』というだけで学校にかなりの貢献をしていることになる。つまりは白木が生徒会長になれば彼自身にポイントが加算され、結果として学校は白木の思うままに操られてしまうのではないか。


 白木の狙いが本当にそうだったのかどうかはわからない。けれど大半の者はわたくしに一票を投じた。残念ながら、白木の戦いはあっけなく終わってしまったのだ。


 しかしこの選挙戦をきっかけとして白木が皆に嫌われるということもなかった。なぜなら白木は話しぶりも丁寧だし、バスケ部の新キャプテンとして熱心に練習に取り組んでいるからだ。成績だって悪くない。

 なにより笑顔がかわいい。白木が笑うと何人かの女子が騒ぐので、ちょっとしたアイドルみたいな存在だ。もちろん白木を真剣に好きになってしまう子もいるらしく、学校の中ではベスト10には入らないまでも、女子からはそこそこ人気を集めているようである。

 形のよい唇にはなんの傷も荒れもなく、眉毛だってきちんと手入れがされている。バスケの練習がない日に彼の横を通り過ぎると、嫌な感じではない香水の匂いが漂ってくる。しかもウワサではかなりお金持ちの家の子らしい。

 悪くはないと思うが、白木は『まさに女子に好かれそうな男!』という感じなので、ハヘ子さんが彼に憧れているのが逆に不思議だった。ハヘ子さんなら一風変わった男を好きになってもおかしくはないのに。けれどハヘ子さんも一人の女の子に変わりはないのでしょう。そう考えると、ちょっと微笑ましくも思えた。


 ただ、わたくしが微笑んでいる横では重っ苦しい負のオーラがもわんと広がっていた。


 どよーん。

 がくーん。ほげー。


 もちろん祖父江である。祖父江はがっくりと膝を地面に落とし、この世の終わりみたいな顔をしていた。鋭い目つきはどこにいったのか、ほろりと涙をこぼしていたりもする。

 どすん、と音を立てて、筋肉の塊が地面を突いた。OTLがっくし。


「あう……あうああ……」

 祖父江は発声練習のような情けない声を出している。

 そこにすかさず、ハヘ子さんの純真無垢な顔が最終兵器となってのぞきこんでくる。

「大丈夫? どこか痛いの? えとあの、名前は……」

「祖父江ですよ。祖父江徹。きっとどこかが痛いのでしょう。ハヘ子さん、なるべくそっとしておいてあげて下さいね」

「徹くん? 徹くんっていうんだ。おーい、徹くん。生きてるかーい?」

「あうわ……あうあわわ……」

 これはだめですわね。今彼にかまえば、余計に傷口を開けてしまうかもしれません。


「ハヘ子さん、ご回答ありがとうございました。それではこれで、ごめんあそばせ」

 わたくしはきびすを返し、スピカの輝く空の下を歩き出した。千乃ちのがわたくしの後に続く。背中には「あうおおお!!」という咆哮ほうこうと、「がんばれー!!」という謎の応援が届く。


 ごめんなさいね、祖父江。でもこれが恋の味なのです。時には甘く、時には苦く……。

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