第一章⑧(兄と妹が結婚できないと!)

「お兄様」

「はい……」


 ぼろぼろになったお兄様が、椅子に座ったままで呟いた。その向かいでわたくしはソファーに腰かけている。お兄様のソファーは本皮製で見る人が見ればきっといい値段をつけてくれるのだろうが、なんだかぺたぺたするのでわたくしはあまり好きではない。


「冗談が過ぎますわね」

「お前も、いてて、暴力が過ぎるぜ。これ、ドメスティックバイオレンスってやつだな」

「ふん。正当防衛ですわ」

「ところでお前は本気で信じているのか!?」

 突然、お兄様は真剣な目をして言った。あまりの剣幕に、気圧されるわたくし。

「な、なにをですか」

「兄と妹が結婚できないと! なぜにそのような戯言を信じる!?」

「はいはい。民法第七百三十四条――直系血族又は3親等内の傍系血族の間では婚姻をすることができない、ですわ」

「かわいいよ璃子りこくぁわいいよ」

「もう! 早くしないとどんどん遅くなるではありませんか!」


 わたくしはふざけるお兄様を制し、決まりごとを始めることにした。今日一日、わたくしがなにをしたかをお兄様に説明するのだ。通学、授業、お昼休み、生徒会の仕事、千乃と遊んだことなどを、一つ一つ丁寧に語っていく。

 わたくしは一日に必ず一時間、お兄様とこの時間を設けている。それは言わば、加賀谷かがや璃子りこ加賀谷かがや栖汀すていの『約束の時間』なのだ。

 ただし、ハヘ子さんの話はあえて割愛した。ハヘ子さんの人となりについては以前に話しているのだけど、彼女の味方をしたところまでは話さなくてもよいと考えたからだ。お兄様が騒ぎ出したら大変だし、ちょっと照れくさいという気持ちだってある。


「かわいいよ璃子くぁわいいから、いい夢をみるんだよキリッ――」

 ふとももにしがみつくお兄様に残像も浮かぶくらいの連続パンチを見舞い、わたくしは自分の部屋へと帰った。


 そこにタイミングよく、内線がかかってきた。

 きっと千乃ちのだ。この時間に内線をかけてくるのは千乃くらいしかいない。


「はい、璃子です」

「千乃です。まだお休みになっていませんでしたか」

「大丈夫ですわ」

「少しおうかがいしたいことがあるのです。お嬢様は今日、戸田さんを助けましたが、あれは……」

「あっ、ああ! あれ!」

 千乃が言い終わる前に、わたくしは千乃の質問を止めた。

「あれは気の迷いですわ! お嬢様は常に正義を重んじなければなりませんものね、おほほほほほほほ!!」

「ははっ」

 受話器の向こうに、千乃の飛ばし笑いが聞こえた。

「そうですか。こんな夜分に失礼いたしました。それではお嬢様、よい夢をご覧下さい」

「ええ、あなたも」

 受話器を置く。よく考えたら、お兄様も千乃も二人して同じようなおやすみの挨拶をしてくれるものだから、なんだか笑えてしまう。


 明日も学校だ。いい夢を見よう。でもあまりいい夢を見すぎたら学校に通うのがおっくうになってしまうかもしれない。よし、そこそこいい夢を見よう。わたくしはわけのわからない目標を立てて、ベッドへと転がった。

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