第一章――威風堂々なり、加賀谷璃子――

第一章①(『信じてもらえる』のではないわ。『信じさせてあげる』のよ!)

 カタカタカタカタ……、と打鍵。


 バックスペース、バックスペース、バックスペース……、と半歩後退。


 うーん うーん、と思考を巡らせつつ、またもカタカタカタカタカタカタカタカタ。難しいですわね。生徒会の仕事が、なかなか終わらない。


 わたくしが今やっているのは、体育祭のスケジュール調整だ。

 応援合戦を昼前にもってきた方がすんなりと昼食に入ることができる。でも、どのクラスも応援合戦には事前にかなりの準備をかけてきたので、せっかくだから後半にもってきてあげた方が盛り上がるような気もする。


 書いては消し、消しては書きを繰り返すも、うまく案がまとまらない。今日中にメールで先生にスケジュールを送らなければならないというのに、まとまりそうなところで必ずなにかの問題を見つけてしまう。


 困り果てて「ふう」とため息をつくと、生徒会室の外からサックスの美しい音色が聞こえてきた。この音色は千乃ちのが吹いているものだろう。なぜならわが三編みあみ高校に吹奏楽部なるものはないし、だいいちあんなに澄んだ音を出せるのは千乃くらいのものなのだから。わたくしは妙なる音に、思わず聴き惚れてしまった。


 ……って! 聴き惚れている場合じゃない!


 そういえばあの子だって生徒会の会計という役職に就いているのよ。さっきまでわたくしのそばでパソコンを開いていたはずなのに、前年度の実算の資料づくりをもう終わらせたっていうの?


 千乃はわたくしの屋敷の世話をして下さっている方の娘で、わたくしたちは生まれた時から同じ家で暮らしてきた。もちろん寝室は別だけど、お互いに姉妹のような関係だ。


 千乃はとにかく仕事が早い。彼女はこの高校に入学してきてまだ一ヶ月も経っていないというのに、すでに学校の会計制度を理解してしまったようだ。わたくしが年下の子に遅れをとるなんて……。苦笑いを浮かべざるをえないが、同時に誇らしくもある。


 まったく、どんな涼しい顔してサックスを吹いているのよ。わたくしは休憩がてらに、生徒会室の窓から外を眺めてみた。四月の空は広くて、出会いの色をしている。誰かと誰かが出会う気配に満ちている。わたしがかざす手のひらを、太陽の光が透過した。


 ――ん、千乃がいない?


 ああ、そうか、校舎の反対側に回ったのね。わたくしの視界には、裏山の雑然とした景色だけが映っていた。


「あ、またあの人!」


 思わずひとりごちる。裏山の景色に混ざる、一人の男子の姿。その男子は寝転んで空を見上げているのだけど、頭の横には漫画雑誌と……い、いかがわしい、本っ! しかも咥えタバコで……ってなに堂々と喫煙してるのよ! 傍若無人というかなんというか……。あ、裏山だから傍若無人で合ってるのね。どうでもいいけど。


 偶然でも視線がぶつかるといけないので、すぐに席に戻りタイピングを再開した。


 カタカタカタカタ……。


 バックスペース、バックスペース、バックスペース……。


 うん、いい感じ。

 満足感たっぷりに背もたれで伸びをした時、サックスの音が止んだことに気がついた。

 あら。ということは――、


「お嬢様ああぁああぁぁああぁああああっっ!!」


 大声疾呼とともに、ズバーン! と生徒会室の扉が開いた。またですか。この扉はたぶん、あと半年ももたないわね。恨むなら千乃が入学してきたことを恨みなさい。南無妙法蓮華経――。


「お嬢様、どんな感じですか? 困っていませんか? お手伝いしましょうか?」

 千乃め、こっちが一つ答える前に三つの質問をしてくれる。Q&Aをさせなさい!


 ちなみに千乃は元気な子だけど、見た目は意外と女の子らしい。わたくしをのぞきこんでいる瞳は大きくつぶらだ。駅前で募金活動でもしてそうな、真面目一直線レッツゴーって感じ。そのぶん小ささが際立つ、鼻と口。筆でえいやっと描いたような眉は、外はねの目立つショートカットの前髪に隠れている。うーん、あの『はね』、本人は何度か直そうとしたらしいのだけど、結局はだめだったみたいね。

 黙っていればかわいいのに、食べ物のことになると別人みたいにわぁわぁ騒ぎ出すのだから面白い。そうそう、学校ではやたらと気どっているようだけど、家に帰ったらあぐらなんかもかくのよね。千乃の表の顔も裏のテキトーぶりも、このわたくしにかかっては全てお見通しなのですから。


「ねえねえ、お嬢様ってば!」


 千乃は小学生の時の『あの一件』以来、わたくしのことを「お嬢様」と呼ぶ。わたくしがそう呼ばれるのを喜ぶものなので、彼女も合わせてくれているのだろう。今となってはちょっとばかりの違和感を覚えないでもないが、それでも嬉しいことに変わりはない。


「いいですか? どんな! 些細なことでも! 私に申しつけて下さいっ!!」


 なにか気迫のようなものが伝わってくる。彼女はとにかくわたくしの世話を焼いてくれようとするのだ。だから夏休みは毎年大変だった。わたくしは夏休みの宿題くらいちゃんと終わらせているというのに、千乃はわたくしのぶんまで絵日記や工作を仕上げてくれるのだもの。おかげさまで、先生に「なぜ加賀谷かがやさんは二つ提出しているのかな?」と訊かれたことも数知れずだったのですからね!


 雨が降ったら大事件。千乃は持参した傘を十本ばかり広げ、ドーム状にわたくしを包みこんでくる。「どこの中国雑技団なのですか!」とツッコミ混じりの注意をしたところ、今度は裾の長さが4メートルにも及ぶ巨大な雨合羽をつくってかぶせてくれた。

 あれ? バージンロードが見える? ……っていうか、余計に濡れるから! それ!


「大丈夫、千乃、大丈夫ですから」

「そうですか。いえ、苦戦なさっているように見えましたもので」

「たしかに苦戦していますわ。なかなかうまくいきません。あーあ、こんなことなら生徒会に入るんじゃありませんでしたわね」

「なにをおっしゃいますか……。お嬢様に弱音は似合いませんよ!」

「そ、そう? では、もうちょっと頑張ってみることにしますわ」

「お嬢様は皆を見返すために生徒会長になられたのではなかったですか? それ、とても素晴らしいことだと思います! 私はいつでもお嬢様を応援していますからね♪」


 そうなのだ。

 小学校の頃から少しマシになったとはいえ、わたくしは皆の前で、自分がお嬢様であることを毅然とした態度で示し続けた。言葉遣い、振る舞い、そして誇りと気品。

 誰がどこからどう見てもわたくしはお嬢様なはず……なのに、皆はわたくしを嘘つき扱いした。三編高校に進学した今になっても、いまだにクラスの中ではわたくしを貶めるウワサが流れているとかいないとか。


 例えば、わざとらしくこういう質問をしてくるクラスメイトがいる。


璃子りこちゃんのもってるものって、どれも年季入ってるよね。お嬢様ってブランド品をもつものなんじゃないの?」


 お嬢様=ブランド品ですって? なんて安易な等式。ブランド品だろうがそうでなかろうが、自分に合うものかどうかというのが大事なのではありませんこと? だいいち加賀谷家では、お婆様、お母様、わたくし――と、代々同じものを大切に使っています。それを貧乏くさいとおっしゃりたいのなら、お好きにどうぞ。


 もちろん、けして貧乏扱いされたというわけでもない。皆はわたくしのことをある程度のお嬢様だとは思ってくれているだろう。だけど、自家用機を持っているとか、新聞に載っているような会社であっても買収できるくらいのお金持ちというところまでは信じてもらえないようだ。


 では、そんな彼ら、彼女らを見返すために、わたくしはなにをすればいい?


 考えて、わたくしは揺るぎない地位を確立することにした。お嬢様に似合いそうな地位を確立してしまえば、少しでも皆にお嬢様だと信じてもらえる。


 ……いや、今のは失言でした。


『信じてもらえる』のではないわ。『信じさせてあげる』のよ!


 生徒会長という役職は、そんなわたくしの狙いにぴったりな地位だった。わたくしは高校二年生に進級した今月、生徒会長選に立候補し、一人の男子と接戦の末、見事に当選をなし遂げた。ちなみに千乃は、同じ選挙で会計に当選した。


 仕事はけっこう多くて大変だ。体育祭の準備、部活動の視察、校内新聞の発行、学生弁論大会への出席、ホームレスの方への炊き出しボランティア、エトセトラエトセトラ。一つ一つに入念な準備を要し、資料の作成が必須となる。

 この資料づくりというのが実にくせもので、書いては先生にダメ出しを受け、書き直してはさっき『OK』だったはずの個所に赤を入れられる。先生に言われたとおりに書いたというのに「これはだめだ」とボツをくらうこともある。おっしゃることをころころと変えないでほしいものですわ。


 でも、まずは一生懸命やっている――と自分では言いたい。


 怠けてはダメ。焦ってミスをしてもダメ。そんなのはお嬢様にふさわしくありません!


 わたくしはようやく掴んだ『お嬢様であることを証明する』地位、つまり生徒会長という役職に心から誇りを感じている。中には「『お嬢様』なんかに生徒会長をやらせて大丈夫なのか?」というような声もまだあるようだけど、そういう妄言を各個撃破するために、わたくしはたとえ血を吐こうともこの役職を務め上げなければならない。

 わたくしの直近の目標は、学校に存在する全ての問題を大小問わずに解決することだ。そして、ゆくゆくは全校生徒にこのわたくしの神々しい姿を崇め奉ってもらわないと。

 そう決意をあらたにするわたくしの前で、


「あれは痛快でした!」

 千乃は目を閉じ、気持ちよさそうに言う。


「なにがですか?」

「お嬢様が当選なさった瞬間ですよ。圧勝でしたもんね」

「ああ、そう、ですわね」

 わたくしは恥ずかしくて頭を掻いた。あらまあ、はしたない。


「お嬢様と競った相手も、少しおかしな人でしたし」

「そうだったかしら?」

「そうですよ! 『人間に差別はあってはならないが区別はあってしかるべき』なんて全校生徒の前で言えますか!? 学校にどれだけ貢献したかをポイント化して一人一人のランクを決める? そんな発想、明らかに歪んでいますよ」

「たしかにユニークな意見でしたわ。しかし選挙は時の運で決まるところもあります。一歩間違えれば、落選していたのはわたくしの方だったのかもしれませんよ?」

「はっ、お嬢様が落選するなんてありえません! だってだって、この海のような瞳!」

 千乃がぐんと顔を近づける。


「しなやかで気品あるまつ毛!」

「ちょ、ちょっと、千乃……」


「ぷっくりもちもちのほっぺは、ほんのりとルビーレッドに染まっており……」

「千乃ってば!」


「ワッフルパーマ風の豊かな黒髪はなみなみでふわふわ!」

「こ、声が大きいですわよ。外に聞こえるじゃありま……」


「そしてなにより!」

 千乃はわたくしの背後に回るなり、その手をにゅいっと胸元に伸ばしてきた。


「制服を今にも破壊してしまいそうな、この巨乳ッッッ!!」


 わし――っ!!


 千乃は両手でわたくしのたわわんとした膨らみをもち上げて……、


 もみもみもみもみもみもみもみもみもみもみもみもみ――――ッッッ!!


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――っ!! 千乃! 人のチチを、もとい! お胸を揉むのはやめてっ!!」


「ふふ、今日も楽しませていただきました。ありがとうございます」

 ぺこりと一礼の後、手は離れる。


「はぁはぁ……あのですね、ご、ご自分のをお揉みになってはいかがですか……」

「無理です」

 きっぱり。

「私のCカップごときでは幸せを感じとることができません」

 いまだキュピーンと光る千乃の目にわたくしは幾分の恐怖を覚え、サッと胸を隠す。

「で、なにか私が役立てることはありますか?」

「そうですね……とりあえず、そこに座っていて下さい……」


 千乃は言いつけたとおりちょこんと椅子に座ってくれたのだけど、じっとわたくしの方を見てくるものだから非常に仕事がやりにくい。なるほど、千乃はわたくしの仕事が終わるのを待っているんだ。だったら、一刻も早くスケジュール調整を終わらせてこの視線攻撃から抜け出さないと。


 ひぃ……。わたくしは声にならない声を上げつつ、震える手をキーボードに乗せた。

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