第8話 ドライブデートは深夜まで

 彼女が、また一歩を踏み出した。

「今日はとても楽しかったです。ありがとうございます、博人さん」彼女は僕に微笑んだ。

 彼女は帰る気でいるが、そんなことはさせない。

 ―まだ、帰さない。

 僕は彼女の手を引っ張り、強く抱き締めた。困惑している彼女が、目の前にいる。

「博人さん…?」

 もう、どうしたんですか、と彼女が笑う。

「もう、帰らなきゃ」

 彼女は腕時計を見ようと僕から離れようとしたが、僕はそれを許さない。

「んっ…博人さんったら…」

「まだ帰さない」

「そんな…だってもうこんな時間」

「まだ十時じゃないか」

「もう夜の十時ですよ?色々と準備してたら日付変わっちゃう」

 彼女は困ったように言った。

「…どうしても帰るのか」

「また会えるでしょう?もう、どうしたんですか?今日の博人さん、いつもより変」


 ―僕を狂わせているのは、心愛ちゃんじゃないか。

 当の本人は、全く気付いていないけれど。


「わかった。…もう帰るんだろ」

 僕は彼女を突き放した。彼女は驚いていた。

 僕は、ハンドルを握った。

「博人さん、博人さん」

「…」

「博人さん」

「運転中なんだ。危ないだろ?気が散る。話しかけるのは後にしてくれ」

 僕は冷たく言い放った。

「…!」

 彼女の顔はみるみるうちに悲しい顔へと変わった。

 今にも泣きそうだった。彼女は俯き、黙った。

 こんな風に言うつもりは、なかった。ただ、彼女ともっと一緒に居たいだけ。

 彼女が帰るというから、素直になれず意地を張っているだけ。

 つまらない意地を、張っているだけー。


「…着いたよ」

 着いてしまった、彼女の家の前に。

 彼女はずっと俯いたまま、何も言わなかった。

「…」彼女は黙って俯いたままだ。

「心愛ちゃん、着いたよ」

「…」彼女は黙っている。僕は溜息をついた。

「心愛ちゃん」

「…博人さんっ!」彼女が顔を上げたかと思うと、僕は彼女に手を握られていた。

「ここあ、ちゃん…?」僕の思考は、一旦停止した。

 僕の大きな手に、小さな柔らかい手が重ねられている。彼女の手は、冷えていた。

「怒って、ますか…?」彼女の声は、震えていた。

「…心愛ちゃん」

「怒ってますよね…ごめんなさい、私…博人さんとは一緒に居たいんです。でも…」

「わかってるよ」

「ごめんなさい…」

「もう、いいから」

「お願い…怒らないで、博人さん」

 彼女は僕の手を放し、躊躇いがちに僕の胸に飛びついた。

「怒ってないよ」僕は彼女を抱き締めた。

「ほんと…?」

「ほんと」

「ほんとに?」

「ほんとだよ」

「よかった…」彼女は安堵した。

「どうしよう、私…」

「ん?」

「博人さんと…離れたくなくなっちゃった」

「…いけないだ」

「だって…まだ帰さない、ってさっき博人さんに言われた時、

 すごくどきどきして…どうしようって思っちゃった」

「何かされると思った?」

「はい…何かされるんじゃないかって…。ドライブデートってだけでも、緊張してるのに…」

「へえ、緊張してたんだ」


 ―何かを、期待していたのか?


「はい…」

「何もなくて…ごめんね」

「いいんです。次、期待してー」

 ―もう限界だ、我慢ができない。

 僕は彼女の額に、唇を押し付けた。

「…!」彼女は僕の唇の温もりが残る額を押さえ、顔を赤くしていた。

「今日は…このくらいにしとくよ」

 これ以上触れたら、止まらなくなってしまう。

「博人さん、博人さん」

「ん?なに?」

「だいすき…」

 彼女は僕の手を握り、頬に僕の手をすり寄せた。

 僕の手の温もりを感じるように、彼女は目を閉じた。

「僕もだよ。こんなに冷えて…」

 僕は彼女の両手を握り、彼女の冷えた手を擦った。

「あったかい…」

 僕と彼女は時間を忘れ、互いにずっと見つめ合っていた。

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