放浪の画家

さい

画家に必要なものあるいは偽りを述べる者(老婆)

「画家です」


 と、俺は言った。

 すぐに滑舌の悪い声で「墓ぁ?」と返ってきた。


「違いますって。画家ですよ」

「馬鹿ぁ?」


 相手の口から発せられる見当違いの言葉に、俺は軽くため息をついた。

 俺のような放浪者を、タダで泊めてくれる人の好い老婆なのだが、生憎と耳は悪いらしい。

 際限なく繰り返される会話にうんざりして、俺は、口を閉じることを選んだ。

 それを見て、老婆は会話が終了したものと判断したのだろう。俺に背を向けると、さじを片手に、のろのろとかまどの方へと歩んで行く。

 

 村はずれにあるこの家は、老婆の一人住まいだという。

 居間の他に部屋が二つほどある、割と大きめの家。ひなびた土地にあることからして、そして、以前は家族で住んでいたことから考えても、家の規模ついては、大して疑問に思うこともないのだが、それにしては、家の中が隠遁生活には不釣り合いである高価な品で溢れ返っていることが、気に掛かっていた。


 テーブルの上には、書物の山。背表紙を飾る気取った文字を目で追えば、そのどれもが、実用には向かない内容であることがわかる。

 向かい側にある椅子の背もたれには、老婆が普段愛用しているのだろうか、繊細な刺繍の施された肩掛けが。

 壁に備え付けの棚の上には、青い玻璃はりの器。その棚の下にある用途不明の壺も、表面の光沢具合からして、渡来のものだろう。


 訊けば、一番下の息子が風来坊で、思い出したようにふらりと家に帰って来ては、旅先で手に入れたものを置いていくという話だった。


 俺は、椅子から立ち上がると、老婆の曲がった背中を一瞥する。

 そして、壁際に置かれた白い壺の傍に屈むと、その表面に人差し指をそっとなぞらせてみた。

 指を裏返して、その先を凝視する。が、皮膚に汚れは見られない。


 俺はしばらく考えた末に、老婆に「鳥の様子を見てきます」とだけ告げると、戸口の方に足を向けた。

 がたついた扉を開け、家の外へと出る。

 途端に押し寄せて来たひんやりとした夜気が、肌に心地よかった。

 日は既に暮れ、辺りには、黒い絵具で塗り潰したような闇が立ち込めている。

 民家もまばらで、人工的な灯りが少ないせいか、星が一層の輝きを放っているように見えた。


 俺は、視線を元の位置に戻すと、さっと周囲に目を走らせる。が、目的とする生き物の姿が見当たらないことに気付き、すぐに眉をひそめた。

 

「……ウィング?」


 呼び掛けてみるが、応じる声はなかった。


「ウィング!」


 先程より声を大きくしてみるが、やはり応答はなかった。涼やかな虫の音が、かすかに耳に届くくらいである。

 一体、どこへ消えたというのだろうか?

 胸の中に一抹の不安を感じつつ、手がかりでも残されていまいかと、ぬかるんだ地面に目を落とした。

 窓から漏れるわずかばかりの光源に、くっきりと浮かび上がった足跡。それを辿ろうとしたところで、背後からしたばさりという羽音に、俺は再び顔を上げる。


 振り返れば、そこにいたのは、人の背丈ほどもあるアヒルのような鳥である。

 鋼のように硬いくちばし、走行に適した太い足、橙色だいだいいろの羽毛――そのどれをとっても、およそアヒルと見紛うことはないのだけど、生憎と種族名がわからないので、俺は、アヒルと思うことにしている。


 俺は、ウィングの身に何もなかったことに安堵し、その柔らかな羽毛に手を触れた。


「ドル?」


 ウィングが、不思議そうな目で俺を見てから、こっそりと家の方を振り返った。

 俺の名を呼ぶ声が、いつもより遥かに小さい気がした。

 それは、家の中にいる老婆を気にしてのことだろう。


 この世界の常識では、鳥は喋らない。

 なのに、こいつは、喋る。


 ウィングは、再び俺の方へと視線を戻すと、不安げな面持ちで訊いた。


「本当に大丈夫なの?」

「どうだろうな」

「だって、噂だとここのお婆さんは――」

「待て」


 俺は、ウィングの嘴に左手で制止をかけると、家の壁へと近付く。

 そこに、妙なものを発見したからだ。


「ドル?」

「苔……か?」

「え?苔?」


 背伸びをしてよく見てみれば、扉の隣――外壁の上の方に、ほんのりと光を帯びている箇所があった。

 苔が発光しているのだが、自然にしたものでないことは一目で知れる。

 手を伸ばして指の先で拭ってみると、粘っこい感じの液体が指先に付着した。

 俺は、人差し指と親指とをこすり合わせ、その感触を確かめる。


「どうやら、苔をすりつぶしたものらしい」

「そんなものが、何でここに?」

「さあね」


 俺が黙り込んだのを見て、自然とウィングも口を閉ざした。

 束の間の沈黙が、冷涼たる夜のとばりを支配する。

 その静寂を突き破ったのは、俺でもウィングでもなく、家の中から聞こえて来た老婆の声だった。


「ああーっ……!!!」


 外壁を振動させるかのような、大きな悲鳴。

 俺とウィングは、何事かと顔を見合わせてから、ようやく行動に移った。

 押し開いた扉の隙間から居間の様子をうかがうと、老婆が曲がっていたはずの背を大きく仰け反らせ、わなわなと震えているのが見えた。

 皺だらけの手の間には、黄ばんだ一枚の紙。老婆はカッと目を見開いたまま、破けんばかりの勢いでその紙を握りしめている。


「……何かあったんですか?」

「手紙が……!隣村に住んでいる孫娘が、今日うちに来るって言うんだよ!」

「隣村?ああ……あの風車のある村ですか」

「それは北の村だろ?そっちじゃなくて、西の方にある村さ!」


 どうやら、老婆の言う隣村というのは、俺が昼間をした村とは、異なる村のようである。

 位置関係からすると、ここは東の村ということになるのだろうか。

 老婆が動揺している理由については、すぐに思い当たった。

 今日という日付は、あと数刻で終わる。それなのに、この家に孫娘らしき若い女性の姿はないのである。


「既に来た後ということでしょうか?」


 念のため質問してみるが、老婆は青ざめた顔をぶんぶんと振ってみせるだけであった。


「今日来たのは、あんたと、道を尋ねて来た四人の旅人くらいだよ!」

「では、どうして――」

「最近、この辺りで盗賊が出るって噂なんだよ!こうしちゃあ、いられない!」


 老婆は叫んだかと思うと、手にしていた手紙と匙とを高く放り投げ、戸口に突っ立っている俺を押しのけるようにして、闇の中へと飛び出した。

 これまでの亀のような歩みが、嘘のようである。

 その豹変ひょうへんぶりに若干驚きつつも、俺も老婆につられるようにして、再び外へと引き返した。


「旅人さん!火の番は頼んだよ!」

「どこに行くんですか?」

「迎えに行くに決まってるじゃないか!」

「これから?もう夜ですよ?」


 俺は、家の裏手へと消えて行く老婆を、足早に追いかけながら問いかける。


「それに、足はどうするんです?まさか歩いて行く気じゃあ――」

「裏に馬がいるんだよ!」

「僕も見た。彼の人参を頂いたところだよ」


 俺のあとに続いていたウィングが、小声でそっと耳打ちした。

 家の前にいないと思ったら、どうやら家畜小屋にお邪魔していたらしい。

 心配して損をした。

 馬の食糧を奪うとは、さもしいやつである。


「これでも若いときは、草原の風と言われていたのさ!」


 老婆は、馬を繋いである綱を手早くほどいたかと思いきや、颯爽さっそうとそいつにまたがった。

 そして、乗ったのとは逆側から見事転落した。


「ああっ……!腰がっ……!!」


 苦し気にうめきながら、地面を転がり回る老婆。


「あれって風なの?」

「いや、ガセじゃね?」


 呆れた声を出しつつも、茫然ぼうぜんと立ち尽くすウィングの隣で、俺は素早く思考を巡らす。

 予定外ではある。が、だ。


 俺は老婆を助け起こすと、仕方なく提案を口にした。

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