8. 異変

 ファリア大陸をケイオスから奪還して数日。イツキはガイナス首相と通信を用いて会談し、ユエルビア共和国に領土を奪還したものの、南端200平方kmの大地を失ったことについて報告した。

 ガイナス首相としては、失っていた領土の大半を得られたので、失った地域については特に意見することはない。エイジス側を労うと、事前に約束していたとおりに人材の引き渡しに応じた。

 ファリア大陸奪還作戦が発令されてから約1か月半――。ユエルビア共和国にファリア大陸が返還されたと同時に、黎明の旅団が目標としていた多くの人材の奪還を達成したのであった。



 ユエルビアとの交渉を完遂し、タイタスへ人材の移送が完了した数日後。

 ケートス表層の発着場では、カナタたちを見送るために、イツキ、ハルカなど家族4人が訪れていた。


「じゃあ、俺らはしばらくアジトやタイタスで旅団への報告やミナトさんの支援に行ってきます」


 黎明の旅団専用の飛空艇に乗りこむ前にカナタが笑顔で告げると、イツキが力強くうなずいた。


「よろしくお願いします。作戦に協力していただき本当に心強かったです、助かりました」

「いえいえ、イツキさんのおかげで俺らが予定していた数年分の活動を達成できました。助かったのはこっちの方です」


 カナタの言葉に対し、同意するようにケンジ、リュウ、ルイ、アヤメの4人がうなずいた。


「今回はちょっと疲れたから休ませてもらうけど、また大規模なケイオス討伐の作戦があった時には呼んでよね!」

「だな。やっぱりあれは放っておいたら住める土地がなくなるからな」


 ルイとケンジが、ハルカに告げる。大地が崩落していく光景を見てからでこそ、彼らもケイオスの脅威をあらためて実感したようだ。

 しばらく離れるのは寂しくはあるが、また同じ目的を持って共闘できるのは嬉しいことであった。戦争に巻き込まれるよりも、よっぽどいい。

 その時、リュウがハルカに近づいて声をかける。


「あのさハル。気になってたんだけど、大陸を離脱する時のプロームのエネルギーの回復って……」


 問いかけられてぎくり、とハルカの身体が震えた。

 おいそれと説明できるものではないので、まずい、どうしたものか、と悩む。

 すると、リュウの頭を上からカナタの手が抑えた。


「いーいじゃないか、奇跡ってことで。実際助かったわけだし」


 な、というとカナタはハルカに微笑みかける。何か特異な現象であると薄々察して追及しないでくれているのだ。

 カナタの心遣いをありがたくハルカは感じた。




 無事に旅団の飛空艇がタイタスへ向けて飛び立ったのを見送った後、家族がケートス内に戻っていく中、滑走路でハルカは一人空を見上げていた。

 雲一つなく、太陽ではない陽の光が輝く青空が広がっている。


「なんで感応能力のことを言わなかったのですか?言ってもあの方々だったら問題なかったでしょうに」


 ふと声をかけられ、隣を見るといつの間にか現れたノインが不思議そうな顔を浮かべていた。


「感応能力ってさ、フェアリスたちの間では禁忌なんでしょ? そうでなくても、人類と精神を同意のもとで交わらせたフェアリスは差別されるって。前、ナノのところでノウェムが泣いてた時そう言ってたから」

「ああ……」


 ハルカの意図が分かって、ノインは納得した。


「カナタさんたちは言う人じゃないけど、もしかしたら他のフェアリスが知ったらいけないかと思って」

「それでも、戦場に立ち続けていればいつかはバレてしまうのです。私としてはすでに覚悟を決めたことだから別に良かったのに」


 澄ましたように話しつつも、ノインの耳としっぽはぴこぴこと動いている。

 嬉しそうなノインの様子を見てハルカが苦笑した。


「ありがとう、ノイン」

「ん? 覚悟を決めていたことがですか?」

「それもあるんだけど。感応能力があのような形で現れたっていうのがうれしかったんだ」


 意図せず感応能力を得てしまったが、周囲に力を分け与える、憧れの人を体現したような力だった。


「自分が情けなくてあきらめていた可能性だったけど、また目指してもいいのかな、と思えるようになれたから」


 ノインが少し首を傾げ考え込むと思い出したようで、ああ、と声を漏らした。


「あきらめていた可能性を目指すっていうことは、勇者を目指すんですか?」


 ノインの直球な言葉にハルカの表情がひきつる。


「勇者って言っちゃうと大仰だから気が引けるんだけど。たぶん大事なのは固有名称じゃなくて、その前の部分だと思うんだ」


 ハルカが再び空を見上げる。空ではなく遠く遠く目指すべきものを確かめるように。


「目標を高くもって、自分が成長することで周りも成長させる。戦場、人が辛かったり不安なときに安心や勇気を分けてあげられる」


 ここはゲームではなく、実際の戦場がある現実で。

 ケイオスという明確な恐怖があって。

 人とフェアリスが争いに興じて疑いあうような悲しい世界だけど。


「そんな存在になれたら、いいな……」


 もし、憧れた人のような在り方を、この世界で体現できたとしたら、それはとても素晴らしいことだと思うから。

 遠い空を見上げながら、思いをこめて少年は呟いた。



 ◇



 同時刻。ファリア大陸から遠く離れた、サザン大陸の南端の街にて。

 警備部隊所属のプローム機がいつものように哨戒の任についていたところ、奇妙な連絡が入った。住民からの通報で数時間前から遠距離通信ができなくなり困っており、電波塔の方で黒い影を見たというものである。ケイオスによって電波塔の設備が破壊されたと推測されるが、連絡が入ったきり、住民からの通信が途絶えてしまっていた。


「いたずらじゃねえよな。ったく、エネルギーだって馬鹿にならねえのに」


 ぼやきつつも職務に忠実な警備隊員が電波塔の様子を確かめに行くと、塔周辺の鉄柵に向かって強襲型のケイオスが体当たりをしていた。

 当たりか、と隊員が舌打ちしつつ軍刀を構えると、強襲型ケイオスに向かって加速し、勢いよく振り上げる。

 回避する間もなく黒い獣は不意打ちを受けると数メートル先へと吹き飛び、地面を転がっていく。木に激しくぶつかり、止まると砂状に身体を散らし地面へと還っていった。


「やべえな。危機を察して分体の数が増える前にコアを探さねえと」


 面倒そうに隊員が言うと、ひしゃげた柵を越えて電波塔に近づく。すると、遠目では見えなったが、網目状の鉄の塔の土台には謎の黒い植物が蔦のようにまとわりついていた。


「何だこれは? 報告だとこんなものはなかったが」


 植物が何なのか確かめるために警備部隊のプローム機が無造作に掴む。すると、その植物はプローム機に意志を持っているかのように絡みついてきた。


「なに!?」


 驚いたのも一瞬、隊員が後退させようと操作するが、黒い植物が素早く脚の関節部を完全に捕縛し推進器の軌道を阻止する。軍刀を振りかざそうとするが、その前に電波塔に絡みついていた別の蔦が腕へと絡みつき、動きを封じた。


「馬鹿なっ!?」


 焦って隊員が操作盤に触れるがエラーの表示とともに微かに機体が動くのみ。その間にもメインモニターを黒い蔦が覆い、コクピット内部の隊員の足元まで迫っていた。


 ぐちゅり。


 生々しく何か潰れた音が響くと、抵抗するように動いていたプローム機が完全に静止し、糸の切れた人形のように脚部から崩れ落ちた。

 興味を失ったかのように黒い蔦がプロームから離れると、プロームの機体を中心に赤と黒の混じった液体が地面へと広がっていく。

 数分後、謎の黒い植物は完全に電波塔を覆うと、さらに鉄柵を越えて黒く侵食していく。その先には、異変を知らない人々が日常を送っている、穏やかな街並みが広がっていた。



 ◇



 穏やかな街を突如襲った黒い植物の形をしたケイオスの侵食は、実は南端だけではなくサザン大陸の各地にて同時多発的に発生していた。しかも、発生した街のほとんどが1時間以内に侵食され、陥落したである。

 恐るべきことに該当のケイオスは電波塔を優先的に侵食し通信機能を無効化する特性を持っていた。そのため、貴族院官邸に報告があがったのは、午後になってから――すでに事態が絶望的な状態まで進行してしまった後であった。



 サザン貴族院官邸の廊下をアナンは早足で進んでいく。

 窓から差し込む光はすでに傾き、橙色に廊下を照らしている。

 未確認のケイオスが各地に発生したと報告を受けたのは1時間ほど前。その後から、続々と報告が寄せられ、現在は貴族院官邸の廊下を慌ただしくスタッフが行き交っていた。


「状況はどうだ?」


 歩きながら、隣を歩くサザン軍部総長のゲンに確認する。


「最悪だ。すでにサザン大陸外周の街の7割、内陸の4割の街が連絡途絶となっている」

「それは通信で? それとも人的手段でもか?」

「どっちもだ。軍の有線信号、書簡、光信号や発煙筒など原始的な連絡手段、いずれでも安否が確認できん」


 ゲンの報告にアナンが険しい表情を浮かべる。原始的な方法でも応答がないということは、そこの街の住民はロストしたと見ていい。


「ただ、報告としては、電波塔など侵略されたところでは黒い植物のようなものが繁殖していたとのことだ」


 ゲンからの報告されたケイオスの形態に、アナンが目を見開く。見たことはないが、つい最近文章で聞いたものだ。


「外的危機の排除よりも、土地の侵略を重視に進化した土地浸潤型のケイオス……」

「なんだそれは? そんなケイオスがいるなど聞いたことはないが……」

「最近知り合ったある人物が書いた、ケイオス分析レポートからの情報だ。土地浸潤型ケイオスは植物の形態をしており増殖が早い、と」


 アナンが話しているのは、第一次オービス会議の際にイツキから貰いうけたケイオスに関するレポートの内容だ。既に発見されているケイオスだけでなく、今後発生する可能性のあるケイオスの形態の推測についても書かれていた。


「そんな学者のような人物がいるなら、今すぐにでも意見をもらいたいところだが」

「確かに。だが、ゲン、今は通信が途絶しているのだろう?」


 ケイオスは電波塔を中心に占拠しており、その通信機能のほとんどがやられてしまっている。


「国外、ノトスはおろか国内ですら無理だ。おかげで生存者の位置がわからず救援すら出せん」


 悔しそうな表情でゲンが話す。

 電波塔を中心に、しかも同時多発的に発生している。レポートの内容では、ケイオスがこの形態に移行するには、早くても1年後になるだろう、と予測していた。現状、発生していることは異常と言うほかない。

 偶然、突然変異により発生したケイオスが、不幸にも電波塔の付近で発生してしまった。

 偶然や不幸でこのサザン大陸の窮地を片づけられるほど、アナンはおめでたい頭をしていない。

 明らかに人為的なものであり、推測でしかないが、このような暴威を実行してくる人物に心当たりがあった。


「ヤムナハ……どこまでお前は!」


 2か月ほど前にレポートを送った人物、自国のもう一人の主席の名をアナンは怒りをこめて口にした。



 ◇



 ノトス大陸側首都、共和院官邸の貴賓室。

 夕暮れから夜へと移行する中、陶器製のランプの仄かな灯りだけが暗い室内を照らしている。

 人形のようにソファに座る女性、サリを眺めつつ、ヤムナハはため息をついた。


「結局貴方は、最後までそのままなのだな。心を閉ざし、動かそうとしても強固に拒み、何もしないという選択をとる」


 ヤムナハの言う通り身じろぎ一つしないサリは何も答えない。


「今晩、サザンが落ちる」


 男性が静かに一言告げると、貴賓室に設置された大画面のモニターのスイッチを入れた。

 画面には、ヤムナハの部下が飛空挺から撮影したサザン首都近辺の映像が生中継で映しだされた。

 首都のゲート直前まで黒い血管のような蔦が伸び、じわじわと迫っている光景だ。


「サザン大陸では進化したケイオス、土地浸潤型ケイオスが発生した。その増殖スピードは圧倒的。あと2時間もすれば首都は壊滅。3時間後にはサザン大陸は人の住めぬケイオスの楽園となろう」


 淡々と、悦に浸る感情を隠さずに、ヤムナハは話していく。


「その時、私はもちろんノトス・サザンの共同統治者として、ロストから復活したサザンの民を受け入れる。もちろん、貴方の夫、そして娘も助けるさ」


 ヤムナハが口元にサディスティックな笑みを湛える。


「貴方が再会した時には知っている夫、娘と少し異なるかもしれぬがな。なにせ、ロストはどのぐらい記憶が失われるかわからぬ。まあ、たいていは1週間から1か月程度だが、数年ぐらいの記憶があいまいになることも事故として起こりうるからな」


 そこで、ぴくり、とサリの表情が初めてわずかに動いた。


「人格も変わる可能性もあるだろう、致し方ないことだ。それでも奴は優秀、有能だからな。為政者は続けられるさ、私への絶対の信頼をもってな。娘の求心力も有用だ、ノトスへの民の支持率向上と、私へのアピールに活用させてもらうさ。おっと活用とは物のように言ってしまったな、協力であった」

「あ……」


 サリの口から言葉にならない声がもれる。しかし、その一音には隠しきれない絶望が含まれていた。

 頑なに沈黙していたサリがようやく見せた反応に、ヤムナハは醜悪な笑みを浮かべると、白く細い顎をつかんで自分の方へと向けさせた。


「貴方が悪いのだ、貴方がいつまでも心を閉ざすからこうするしかなかったのだ。でも、もう遅い。賽は投げられた」


 ヤムナハの目的はノトス・サザンの勢力を統一させることなのだが、言うことはない。サリを責め立てる言葉をあえて選ぶことで心をなぶり、動揺する様を楽しむために。

 顎に添えた指に触れる口元は引き絞られたままだ。しかし、ヤムナハの顔を映す瞳は小刻みに揺れ、絶望、悲しみなどの感情を映している。

 ふっと満足気に微笑むと、ようやくヤムナハはサリの顎から手を離した。


「サザンは今晩、落ちる」


 絶望の声が女性に再び降り落ちる。

 陽の光は完全に地平に消え、テーブルランプの仄かな灯りが歪んだ笑みを浮かべた男の顔を不気味に浮かび上がらせていた。

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