第8話:山田村長が、吐血した!

 高速開通後5年目の1981年に、高速道路のインターチェンジによる

観光バブルがはじけて。観光客が減ってきて、特に、冬場に、ほとんど来る人が

いなくなり、毎日暇になった。そんな1981年5月に、山田健一村長が吐血し、

救急車で津久井日赤病院に運ばれたと、加藤工務店に電話が入った。


 加藤吉宗と末吉が急いで、病院へ行った。救急室で処置して病室に運ばれて

面会すると、山田村長が、今迄も何回か血を吐いたが少し休んでいると回復した

と言い、初めて大きな吐血だと言った。処置をした先生が、誰と話したら良いかと

、聞くので、加藤吉宗と末吉が、診察室に入り、担当医の話を聞くと、胃腸癌で

、かなり状況が悪いから、神奈川県立がんセンターに転院させたいと言った。


 すると、加藤吉宗が村長の仕事は無理ですかと聞くと、無理だと言い、直ぐ

入院して、手当てしないと、今年中に亡くなるかもしれないと言った。

 この話を聞かされて、最初は、狐につままれた様な感じで話を聞いていたが、

少しずつ、事の重大さがわかってくるに従い、どう話したら良いか、困った。

 転院を決めたら、担当医が神奈川県立がんセンターに転院させる手はずを取り

、直ぐに、送りたいと言った。それに対して、加藤吉宗が、わかりました、

本人と数分間、話をさせて下さいと言うと、わかりましと答えて、山田村長の

病室へ入った。


 単刀直入に、現状と、今後の対応を話と、村長は、来るものが来たという

感じで、冷静に、やっぱり具合悪いですかと言い、仕方ないですね。担当医の

指示に従いますと言い、加藤吉宗さん、悪いだが、後のことは宜しくと、

まるで、微笑んでるような顔で言った。これに対し、ご苦労さんでした、

本当に御苦労と言い、最後は涙声で、声が震えていた。


 この話を担当医にすると救急車を手配して全速力でサイレンをならしながら

、猛スピードで、病院から、山田村長を乗せて救急車が出ていった。

 加藤吉宗は、何回か、深呼吸をして、気を落ち着けて、息子の末吉に、

この話の内容を冷静に話すと、末吉が、そんな、あれだけ、若くて、元気そう

だったのに、信じられないと絶句した。


 重野副村長は、一人では、村の仕事が出来ないと言い、有能な村長を見つけて

きて下さいと言うばかりで、自分が村長になるとは、決して言わなかった。

 しかし、そんな話には、お構いなく、次の村長を誰にするか、これは大きな問題

だと言い、加藤吉宗が、俺は、年も70歳、近いし、第一、学もないから無理だと

言った。


どうしようかと言うと、末吉が長男の加藤一郎、次男の加藤次郎に、相談したら

どうかと言った。今、近所に学のある、優秀な人材はいない、外から、来てもらう

しかないと言い、今晩、電話入れてみると言った。そうして、津久井日赤病院を

出て、家に帰った。


 夜7時に長男と次男の家に電話したが、まだ帰って来ていないと言われ、

帰り次第、電話するようにお願いし、風呂に入って、夕飯をとって、待った。

 22時近くになり、長男の加藤一郎から電話が入り、山田村長の胃腸癌の

話をすると気の毒にと言った。もし良かったら、地元に帰って村長をやって

くれないかと言うと、僕の一存では決められないから、家族で話し合って、

また連絡すると言った。


 23時過ぎ、次男から電話で、山田村長の話をすると、気の毒だと思うが、

僕は、今、世の中、好景気で、忙しくて、とても、退職して、村長になる

というわけにはいかないと言い、わかって欲しいと言われ、それ以上何も

言えないようで、加藤吉宗が、そうかと言い、電話を切った。


 電話した週の土曜日の午後15時に、長男の加藤一郎から電話が入り、

家族会議をした所、自分自身は、助けてあげたいと思うが、女房が子供の

教育のためにも、八王子を離れたくないと言い、子供達は、父が単身で、

村役場に車で通勤して八王子の家に戻って来てくれば賛成すると言った。

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