天宮聖羅Ⅳ-3

 山の麓には数件の民家がある。その1つ1つのチャイムを押したり、ドアを叩いたりして人がいないか確認する。だが、すぐそこまで謎の黒い煙が迫っていることに危機を察したのか、ほとんどの住民は避難したのか留守だった。


「やっぱりもうみんな避難したみたいね」


「そうみたいですね……」


「あの家で最後だわ。あそこを確認したらいったん車に戻りましょう」


 道路わきに立っている一軒家に向かおうとしたところ、誰かの携帯が鳴る音がした。優花のものだった。


「颯太!?」


 受話器に顔を当てたとたん、第一声に彼女はそう叫んだ。


「うん、そう。いまは学校がある山の麓の民家で避難活動をしてるの。うん。わかった。とりあえず地図を送るね」


 優花はいくつかの問答をしたのち、携帯を切った。すぐさま自分の位置情報を表示し、颯太に送信する。


「颯太も来てくれるって!」


 優花が嬉しそうに微笑む。あの杉野くんがと天宮は驚いた。あれほどまで頑なに心を閉ざしていた彼がどういう心境の変化から協力する気になったのだろう。だが、いま人が増えることは助かることに間違いはなかった。


「とりあえず、あの家を調べましょう。特に何もなかったら、杉野くんを迎えに行きましょう」


 そう言って天宮は家のチャイムを鳴らした。返事はない。やはりここももう逃げたのだろう、一瞬天宮はそう思ったがすぐにその考えを否定した。中からうめき声のようなものが聞こえ、何かが倒れるような物音がしたからだ。


「中に人がいるわ」


 天宮はもう一度チャイムを押し、なおかつ激しくドアを叩いた。


「誰かいますか?」


 返事はない。ドアノブに手をかけると鍵は開いていた。天宮は一瞬躊躇したが、緊急事態だと靴のまま中に入った。手さぐりに声のした方に向かう。廊下に中年の男性が、咳き込んでいる老婆の肩に手を回していた。老婆はほとんど倒れかけているような状態で手を床についている。


「だいじょぶですか?」


 男もまた苦しそうな表情のまま答えない。2人とも顔色が悪い。天宮は一刻も早くこの人たちを避難させなければと判断した。


「肩を貸します。神那くんと、楠原くんも手伝って」


 秀一たちはうなずき、両脇に立って男性と老婆を支えた。一丸となって2人を外へと運ぶ。


 そこへちょうどよいことにサイレンの音が近づいてきた。


「柊さん、パトカーをこちらへ誘導して」


 優花は「わかりました」と言うと、慌てて道路に飛び出し、両手を頭上高く掲げて左右に振った。警官はすぐにそれに気づいたのか、パトカーを優花の脇に止めた。


 口元にタオルを当てながら、すぐさま警官が降りてきた。警官は老婆の様子を確認すると、すぐに「車の中へ。病院まで運びます」と手を貸した。皆で協力して中年の男性と老婆をパトカーの中へと押し込む。


「助かりました」


「お礼なら橘さんに行ってください。あの人がこっちに知り合いの娘さんが言ったから見てきてくれっていったんです」


「橘さんが……」


 天宮は橘の心遣いに感謝した。


「それよりもあなたたちは平気なんですか?」


 警官が不思議そうに問いかける。


「私たちはだいじょうぶです。向こうに車を止めていて、それに乗ってここから離れます。だから——」


 雨宮は警官の視線が定まっていないことに気づいた。驚愕したように目が見開かれ、口をあんぐりと開けている。心はうわの空で、天宮の話を聞いていないようだった。


 いぶかしげに天宮は警官の視線を追った。


 そこには昨日から何度も見た影のような化け物が立っていた。上半身は人に酷似して、背丈は天宮たちと変わらなかったが、右肩から伸びている2本の腕と思われる部分がその身長よりもはるかに長く、うねうねと揺れていた。足はなく、下半身はナメクジのようで、ずるずると体を引きずりながら、こちらへ向かってきている。


 警官は目を丸くしたまま、絶句している。あきらかに警官の目線は化け物を捉えていた。教頭は化け物に気づかなかったのに、いま目の前の警官ははっきりと化け物を認識していた。


「刑事さん!」


 優花が呼びかけると、警官は気を持ち直したのか、持っていたタオルを投げ捨て、腰から拳銃を抜いた。


「う、動くな!」


 狙いを化け物に向け、銃の撃鉄を下げる。


「やっぱり見えるんですか?」


 天宮が警官に問いかけたが、耳に入っていないようだった。


「動くと撃つぞ!」


 威勢のいいセリフとは裏腹に、銃を構えている手は震え、とても正確に標準を合わせそうにはなかった。


 化け物は向けられた銃口など意に返さず、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

とたん銃声が鳴り響いた。化け物の体がすこしのけぞる。弾はたしかに化け物に命中したようだった。だが、化け物はそれがどうしたといわんばかりに平然としている。


 再度銃声が鳴る。今度は1度だけでなく、2度3度。だが、やはり効果はなかった。化け物の進行は止まらない。


 警官は何度もトリガーを引くが、やがて弾が切れたのか撃鉄がむなしく空を切る音しかしなくなっていた。


「逃げて!」


 天宮が叫び、無理やり警官を車の中に押し込もうとする。警官は最初どうすべきなのか右往左往していたが、結局は車の中に乗り込んだ。


「はやく行って!」


 警官はしどろもどろになりながら、わき目もふらずアクセルを踏みこむと、ものすごい速度で走り去っていった。


 安堵したのも束の間、化け物の長い腕が一気に伸び、天宮たちに襲い掛かろうとしたした。


「みんな!」


 優花の声を合図に、天宮は後ろに飛び退いた。伸びた腕がむなしく空を切る。雨宮はそのまま大きく後ろに下がり、化け物と距離を取った。


「やるわよ」


 天宮は身構えた。


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