杉野颯太Ⅱー4

 颯太は携帯をベッドに叩きつけた。そのままリビングに向かい、机の上に会ったリモコンを乱雑に掴むと、気分転換におもしろい番組でもやってないかとTVのチャンネルを変えた。


 あいにく不倫を題材としたドラマと、通販番組、そしてニュース番組と、どれも憂さ晴らしになるようなものはなかった。


 さらにいうとニュースの内容はどの局も一緒だった。今朝の新聞で一面トップを飾っていた政治家の不祥事についてだった。なんでも年金を私利私欲のために使用していたらしい。画面の中のコメンテーターが怒りをあらわにしている。


 よくこいつらは他人のことについてこんなに真剣になれるなと颯太は不思議に感じた。自分が直接非を受けたわけでもないのに、熱心に口論している。いまこの世界に起こっている多数の問題、議論したところで解決できるとでも、本当に思っているのだろうか?


 そもそも誰も未来のことなどわからない。朝早く元気よく家を出た青年が、見ず知らずの他人に刺され、命を落とすかもしれない。この先どうなるかなんて考えること自体がナンセンスだ。なにもかも適当にやればいい。俺がもしこいつらと同じコメンテーターとしたら、今日食べるステーキ肉のためだけに、うわべだけの適当な偽善を装って、象徴的な言葉ですべてを曖昧にぼかすだろう。


 画面のなかでは顔を真っ赤にした政治家とコメンテーターが、いまにもつかみかかろうかとするような勢いで対立している。


 颯太にはそれがひどく滑稽なことに見えた。


 こいつらにとって未来とはなんだろう。


 そこに希望があるとでも考えているのだろうか?


 すべての物事は一部の権力者が都合のいいように書き換えているにすぎない。弱きものは声をあげることすら許されず、ただ殺されるのみだ。だから、この国では誰もデモを起こさない。何もかも無意味で、何もかも無駄だと知っているからだ。俺もそうだ。将来なんてどうでもいい。こうしたい、こうなりたいという目標もない。ただ適当に毎日を過ごし、何となく生きていければそれでいい。どうにもならなくなったら、そのとき考えればいい。なに最悪、詰んだら自殺でもすればいい。この国で年間に死んでいる人間は何人だ? 別に俺一人いなくなったところで誰も気にしない。誰も気づかない。人身事故で遅れた電車はサラリーマンの苛立ちを増加させるの材料に過ぎない。それも夜にはビールの泡となって消えてなくなるだろう。


 颯太は額に血管を浮かび上がらせ、激しく唾を飛ばしているTVのなかのコメンテーターを侮蔑するように見下した。


 弱者に未来はない。声は届かず、家畜のように死ぬだけだ。


 1つの、かつて味わったことのない不安が湧きおこったか思うと、それは一気に誇大化し、巨大な恐怖となって、啓示のように颯太の頭の中に落ちた。あらゆる衝撃が颯太を襲い、体中を完膚なきまでに打ちのめした。めまいが起き、倒れそうになったのをギリギリで踏みとどまると、彼は小さな子犬のように身震いした。


 颯太は重く鉛のようになった頭を抱えながら、震える手を押さえつけるようにリモコンを強く握り、1チャンネルから順番にチャンネルを変え続けた。


 天気予報。不倫を題材としたドラマ。通販番組。そして政治家の不祥事。何度も何度も繰り返し、チャンネルを一巡させる。


 どの局も、昨日やっていた虐待死した少女のことなど報道していなかった。まるでそんな子供など最初からいなかったのかのように、アナウンサーもコメンテーターも全く違う話題に躍起になっていた。


 もう誰も、あの少女のことなど覚えてはいない。


 目まぐるしく変わる情勢に、皆があの少女を忘れる。記憶から消える。


 そうやって誰にも気づかれず、誰にも愛されず、手を差し伸べられることもなく、抱きしめられることもなく子供たちは死んでいく。


 最後のページに書かれていた言葉が、颯太の脳裏に浮かんだ。


 つたない文字でつづられた少女の叫びは永遠に届くことがない。やがてあのノートも焼却され、灰となって無くなるだろう。


 颯太はクローゼット開けると、上部の棚にある小さな段ボール箱を掴んだ。埃が舞い、それが口に入り思わず咳き込んだ。だが、颯太は段ボールから手を放そうとも、口をゆすごうともせず、埃まみれの段ボールを取り出すとそれを開けた。何枚もの手紙と、いくつかの写真がそこに入っていた。颯太はその中の1枚をそっと摘み上げた。


 そこには小学生の頃の颯太と、秀一と優花となぎさが写っていた。なぎさはピースをしていて、颯太もそれに負けじと両手でVサインをしている。みんながあふれんばかりに笑顔だった。


 優花の言葉が思い出された。


「くそっ」


 颯太は吐き捨てるようにそうつぶやくと、TVを消し、リモコンを放り投げた。彼はベッドの上に転がっていた携帯を掴み、勢いよく部屋を飛び出すと、靴を履き、力強く玄関の扉を開けた。暗い室内を照らすように差し込んだまぶしい日差しに、彼は目を細めた。

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