91:リクギ村

 意気揚々とした足どりのクレのあとを、小首を傾げたノアがとぼとぼとついていく。イケブクロに向かう二人の背中を見送った愁とタミコは、家に戻って自分たちの支度をする。


「久々にお前と二人きりのメトロだな」

「ビシバシしごいてやるからカクゴするりす! シャバでなまりきったクソだめのクソめ!」

「急に上官スイッチ入ったな」

「クソシュー! へんじは『イエス』または『りっす』りす! ……ああっ……じょうかんのおなかこしょっちゃらめぇっ……!」


 それにしても、二人を説得するのはなかなかに骨の折れる作業だった。


 クレなら有事の際の護衛として申し分なく、ノアにちょっかいを出すような心配もない。機転も利くし意外と気も利く、変態に目をつぶればお目付け役として彼以上の適任者は他にいないのだ。


 しかしながら、クレは愁たちのクエストのほうに同行することを望んだ。「そっちのほうが面白そうだし、力になれそうだから」「せっかくまた会えたのに離れたくない」と。案の定初交渉は決裂し、ご褒美の授受を条件として再交渉する羽目になった。


「せめてシュウくんのパンツ一枚。それで手を打とう」

「昨日買ってきたのをやるよ」

「君はいつから下着売り場の店員になったんだい?」

「……新品を風呂上がりに一回履いてやる。それ以上の譲歩はできない」

「成分の含有量が足りない。日常的に使っているものにこそ魂が宿るんだ」


 百三十年の人生で最もクソな交渉の末、愛用の肌着を一枚譲ることで合意した。クレ曰く「これを着るだけで毎日ごはん三杯いける! 無限おかずだ!」だそうなので梅雨の間にカビることを望んでおく。


 そんなやりとりを目の前でされた当事者(ノア)の「なんでこんなのを連れて里帰りしなければいけないのか」という不信感も当然だろう。「最近なにかと物騒だから」「弾除けくらいにはなるから」「なんならイケフクロウへの供物として置いてきてもいい」と説き伏せ、ようやくチームを二手に分けることに成功した。ちなみにイケフクロウは形を変えて健在らしい(ちょっと気になる)。


 なんだかんだノアとクレは「意外と話は合うのでは」と愁は思っている。二人とも知的好奇心の高い人種だし、オウジでもしばしばメトロやメトロ獣について談義していた。手続きは長くても二・三日くらいで済むそうだし、うまくやるだろう。


「よし、行くぞ。夕方までにはリクギ村に着かないと」


 仰向けでビクンビクンしている上官をべろんと肩にかけ、いざ出発。スガモ西門を出て、向かうはリクギ村だ。

 

 

    ***

 

 

 コマゴメ市に続く西の街道の途中で馬車から降りて南の林道へ。大家のパン屋で買った新作「くるみ入りふわもこメロンパン」をかじりつつ(くるみはすべてタミコにほじくり返される)、てくてくと歩くこと一時間と少し。夕方前には泥水を流した濠と柵で囲まれた集落にたどり着く。


 入り口付近を見張る村人に声をかけ(前回見なかった顔だ)、狩人ギルドの認識票を見せる。「あたいのも! あたいのもみせてりすー!」とぺしぺし催促されてタミコの認識票も提示。村人は丁重に迎え入れてくれ、村長のいそうな場所を教えてくれる。


「一カ月ぶりだなあ」

「りすなあ」


 リクギ村。

 スガモからの方角と位置からして、文京区にあった六義園に由来されるのは想像がつく。しかし実体としては徳川ゆかりの瀟洒な庭園の面影はなく、畑と家畜と茅葺き屋根の家が並ぶのどかな農村の風景が広がっている。


 人口は二百人ほど。自由民の集落としてはわりと大きいほうらしい。農業や畜産業の自給自足だけでなく、協定を結ぶスガモやコマゴメとの交易も行なっている。特産物はリクギメトロ産の菌糸植物を用いた薬剤、そしてダチョウや馬などの非食用産業動物だ。


 道すがら、仕事に精を出す村人たちを眺める。鍬を手にあくせくと土を耕す人。梅雨時期で勢力を拡大する雑草と格闘する人。厳しい目で作物のカビや傷みを観察し、脇芽を摘んで回る人。ダチョウの羽毛をせっせと刷毛で撫でる人、放牧場の柵を直している人もいる。ムシムシしているせいでみんな汗だくだ。


「昼間は平和そうだよな」

「なんかいいにおいするりす」


 なにか煮物のにおいが漂っている。夕ごはんの支度をしているのだろう。前回ここでいただいた料理はどれもうまかった。肉も野菜も新鮮で、独身男のマインドにしみるほっこり家庭の味だった。


 今日は村で用を済ませたらそのままメトロに向かうつもりだ。ご相伴に与る機会は仕事が全部終わってからになるだろう。しんどい仕事になりそうだし、ささやかなご褒美と思えばいっそうやる気も出てくるものだ。


「あ、アベさん! タミコさん!」


 ぱたぱたとダチョウの手綱を引いて農道を駆け寄ってくるのは、麦わら帽子をかぶった女性だ。


「どうも、カヤさん」


 カヤ・ノゾミ。

 確か二十二歳と聞いている。栗色の髪を後ろにまとめ、鼻の周りにはそばかすが散っている。笑うとえくぼが浮かぶ。素朴で健康的な美人だ。


 ノアとそう変わらない小柄な体格だが、有事の際には【白矢】を手に村人の先頭に立って戦う〝狙撃士〟でもある。そしてなにを隠そう、この人がリクギ村の現村長だ。


「お久しぶりだっぺ! また来てもらって嬉しいごんなあ!」

「ブルッフゥ!」


 ダチョウが荒い鼻息で相槌を打つ。

 カヤは、見た目は可憐だし可愛い。性格も気立てがよくて快活だ――けれど気になる点として、どうしてもスルーできない点として、ものすごく訛っている。どこ訛りが原型なのか判別できないほど変幻自在に訛っている。


「タミコちゃんも相変わらずふわっふわでめんこすなぁ! また一緒にどんぐりかじろうすなぁ!」

「りすなぁ!」


 訛りが伝染っている上につられて声がでかくなっている。


「あんれ、イカリさんは一緒じゃねえべか?」

「あ、今回は別件で」

「そうだかぁ。残念なだなぁ。今度会ったらうちのすいとん汁のれせぴ、おせーてあげるっつー約束だったけんどなぁ」」

「レシピですかね。また今度ってことで、今日はギルドの要請で来ました。コロニーの現状調査と討伐部隊の捜索で、これからメトロに向かう予定です」

「あんれまぁ……あの人たちなぁ……」


 カヤが顎に手を当てて表情を曇らせる。


「うちらもちょくちょくメトロには行っちょるんだがな、あの人たち、浅層では見つからんで。気になっとったんだがや。無事を信じたいとこだけっちょ、さすがにうちらだけじゃふけえとこまで潜れんがや。アベさんが行ってくれるんなら安心だすなぁ」

「ひとまず駐留してる狩人と情報共有したいんで、案内してもらえます?」

「お任せだばぁ! んじゃあこっちゃ来いやっち!」

「ありがとうございます」

「カヤ、あいかわらずへんなしゃべりかたりすね」

「うん? うん」


 ダチョウにくさい息をかけられながら、カヤのあとをついて民家の並ぶ一画に向かう。

 見た感じ、シン・トーキョーのダチョウはダチョウよりエミューに近い。首や頭まで長い毛に覆われ、胴と首は灰色と黒、頭にワンポイントの白い模様がある。翼は退化し、意外と足が太い。目がくりっとして大きく、正面から見ると恐竜感がある。


 おそるおそる腹に触れると、てのひらをモフッとした感触と生温かさが包む。はわわ。

 触っても嫌がるそぶりを見せないので、タミコが意を決して背中に飛び乗る。頭のてっぺんによじ登り、腕を広げて風を感じる。


「ああ……あたい、とんでるりす!」

「沈没フラグか」

 

 

 

 集落の西側にある民家。ここにスガモの狩人が四人間借りしているという。

 行田に生まれ育った身としては懐かしさマックスの古民家感。上りがまちの先は囲炉裏を中心に据えた居間になっていて、そこに男が四人、銘々の姿勢で寛いでいる。


「あれ?」


 その中に見知った顔がある。愁に気づいて慌てて起き上がり、行儀よく正座する。


「あ、お疲れ様です! アベさん、いやアニキ!」


 名前はなんだったか。

 ああ、確か、クラノ・アツシ。

 愁たちと同日に狩人の面接試験を受けた、つまり同期生だ。

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