89:スガモの悲願②
三日後。
またしても面接室に通されると、カイケとノマグチ、さらにまた新キャラの中年男がいる。
「スガモ市長アユカワの秘書をやっております、ススヤマと申します」
四角い紙を渡される。名前と肩書きが記されている。この世界で名刺をもらうのは初めてだ。
四十代半ばくらいだろうか。やや薄めの頭髪、ノマグチより細い病的な痩躯、だが小柄。白シャツに背広っぽい上着を合わせている。胸ポケットの万年筆が煌めいている。
「本来であればアユカワ自身が直接みなさんとお会いすべきところなのですが、ただ今スガモ生誕祭の準備に追われておりまして……みなさんにお詫びとお礼をと言付かっております」
大家やコンノからもなんとなく聞いている。今月下旬でスガモは市制施行から三十周年を迎えるらしい。裏では着々と出店や催し物の準備が進んでいるようで、なんとなく街中がみんなそわそわと浮足立っている感じだ。
他のトライブや市からも偉い人たちが集まるとかで、当然ながら市政側も大忙しなのだろう。ちなみにアオモトが忙殺されているのは憲兵団とギルドが共同で行なう市周辺警備についての諸々だそうで、この分では祭りが終わるまで解放されないと思われる。そうと知っていたらモフ自慢などという拷問はやらなかったのに。合掌。
ノマグチとススヤマがソファーに腰を下ろし、カイケはその後ろの椅子に座る。今日はこういうフォーメーションらしい。
「検証の結果――」とノマグチ。「いただいたサンプルの粉末から薬剤を精製し、菌糸硬化症のラットに投与したところ、劇的な症状の改善が見られました。本物に間違いありませんでした」
「おー、よかった」
愁としては真贋を疑っていたわけではないが、本当に薬効があると聞いてひと安心。ユニおも立派なユニコーンだと証明されたわけだ。
ススヤマがぐいっと前に身を乗り出す。今にも飛びかかってきそうなほどに。
「改めてお願い申し上げます。ユニコーンの角、クエスト報酬三千万円にてお譲りいただけますでしょうか?」
愁はタミコとノアを窺う。二人ともうなずく。
「……はい。お譲りします」
ノマグチとススヤマの顔が明るくなる。かと思ったらぐうっと身を縮め、目をかたくつむる。肩を震わせている。積年の願いが叶った、その喜びを噛みしめるように。
「ありがとうございます……ありがとうございます!」
ノマグチはソファーから伸び上がり、愁に握手を求める。肩が外れそうなほど激しくシェイクされる。
「この日が来るのをどれほど待ちわびたことか……これで、これでお嬢様は……あなたがたは命の恩人だ!」
ススヤマはボロボロと涙をこぼしている。愁とノアにハグをし、タミコと握手する。
「あの、その前に一つだけ条件をつけさせてもらいたいんですけど」
愁がそう言うと、ススヤマの表情がほんのわずかに曇る。
「条件というと、報酬額でしょうか?」
「いや、全然不満ないんですけど」
もしかしたら吊り上げられるかな、などという邪な思いがちらっとよぎらなくもなくもなくなくない。やめとこう。
「えっと、薬の使い道についてっていうか」
「使い道?」
愁はユニコーンの角を手にとる。握るとひんやりとした感触がある。
「今日までにいろいろ調べたんですけど、これ一本で二人分の薬ができるって話ですよね? なんで、市長のお嬢さんがちゃんと治ったら、スガモにいるもう一人の子も治療してあげてほしいなって。治療費がかかるなら報酬から天引きでもいいんで」
ノマグチとススヤマが顔を見合わせる。
「なぜですか? お知り合いですか?」
「知り合いつーか……昨日ちょろっとお見舞い行っただけっすね」
この街のもう一人の菌糸硬化症の患者に会いに行ってみた。若干十歳の男の子だった。
彼は五歳にしてその病にかかり、以来一度も病院を出ることのない生活を送ってきた。今では症状はかなり進んでおり、自力で歩くことはすでに難しく、手はずっと震えたまま握り開きするのに数秒かかるほどで、言葉も自由に話せないほどだった。
医者の話ではもってあと二年。両親は共働きで寝る間も惜しんで治療費を稼いでいるらしく、見舞いにはあまり来ないという。
「なぜその子を?」
「いやまあ……助けられるなら助けてあげたいって、そんだけです。深い理由はないです」
元よりユニおの角はもらいものだ。それで救える命がそこにあるのなら、報酬額が多少目減りしようと構わない。
自己満足だとは自覚しているが、子どもに未来を与えてあげられる自己満足なら誰も文句は言わないだろう。
タミコとノアにも相談の上、納得してもらっている。ノアはほとんど呆れた様子で「シュウさんのお人好し、ここに極まれりですね」などと軽口を叩いていた。少し嬉しそうでもあったが。
ノマグチとススヤマがひそひそと耳打ちをし合う。そして、うなずく。
「はい、おっしゃるとおりにいたします」とノマグチ。「お嬢様の治療を優先させていただきますが、残りの薬剤で彼の治療を行なうことを約束します。治療費についてはこちらで持ちますので、アベさんたちへの報酬額はきちんと満額お支払いしますよ」
「あ、はい」
「実を申しますと……」とススヤマ。「我々もそうするつもりだったんです」
「へ?」
「彼はお嬢様の唯一と言えるお友だちですから。一度も顔を合わせたことのない、互いに手紙の上だけでのつながりしかありませんが」
そういえば、少年の病室に開封済みの封筒がたくさんあったのを思い出す。あれは彼女の出したものだったのか。
「お嬢様の希望でもあったのです」とノマグチ。「薬が手に入るなら、彼にも分けてあげてほしいと」
(あかん! そういうのあかん!)
思わず目頭を押さえたくなる。こんなのテレビだったらたぶん泣いている。
「角がほぼ一本まるごと手に入ったので、二人分の薬剤はじゅうぶんに確保できると思います。私はこの日のために数年に渡って準備してまいりました。必ず……二人とも救ってみせます」
ススヤマが改めて握手を求めてくる。
「我々は、二つの幸運に感謝しなければならないようです。一つは、こうして念願のものを手に入れられたこと。もう一つは、それをもたらしてくれたのがアベさんたちのような方だったことです。市長に代わり、また僭越ながらお嬢様の家族の一人として、重ねてお礼申し上げます。本当に――ありがとうございます……」
***
いくつかの書類にサインして、手続きが終わると、ノマグチとススヤマがそろって席を立つ。
「治療が完了するまでに二・三週間ほどかかると思われます。できればそれまではどうかご内密に……」
「了解です」
平身低頭、何度も何度も感謝の言葉を口にしながら去っていき、愁たちもふうっと息をつく。流れはほぼ決まっていたとはいえ、三千万の大仕事だ。初めて営業に行ったときより疲れたかもしれない。
カイケが向かいのソファーに座る。少し頬が上気している。
「報酬は来月末に支払われる予定です。アベさんの口座にお振込みの形になります。もちろん手数料と市税を抜いた額になりますが」
確か合わせて二割ちょい持っていかれるはずだ。二千万以上は手元に残るのでよしとしておくしかない。
「さっきノマグチさんが内緒でっておっしゃってましたけど、つまりクエスト自体はまだ完了にも差し止めにもならず、継続扱いとなります」
「それって、その間に誰かが持ってきたらどうするんですか?」
「アベさんたちと同額の報酬が支払われます。仮にそうなったとしても、薬自体は無駄にはなりませんから」
他の街の誰かに渡ったり、この街に備蓄として残されたりするわけか。
「ちなみにそれ、市長のポケットマネーなんですか?」
「そうですね。お父様である初代市長は私財を擲ってこの市をつくった伝説の商人ですから。十年前に先代が病気で亡くなって、その後住民による選挙でご子息が二代目の市長に就任したんです」
「なるほど」
「先代が豪腕すぎたんで、未だに先代と比較するような声もあったりするんですが、今の市長のほうが庶民っぽい感じがして愛されてると思います。だから娘さんのご病気についても、みんな我が子のことのように心配で……」
コンノにしろ大家にしろ、市長について話を訊くとみんな同じような口ぶりだった。市長を信頼し、その娘の容態を気にかけていた。
ノマグチとススヤマの心底喜ぶ姿を見てもわかる。これはスガモ市民にとっても一つの悲願だったのだろう。
「もしかして、想像以上に大事になったりします?」
「そうですね。おそらく完治が公表されたら、アベさんたちのお名前もスガモ中に知れ渡ることになると思いますよ。まさにスガモの英雄ですよ」
「うーん……もらいものを譲っただけなんですけどね」
いいことをして褒められるのは悪い気分ではないが、自分の力というわけでもないし。
「だとしても、さっきのお話、じゅうぶん立派なご決断だったと思います」
「ですかね」
「あたいたち、ゆうめいじんになっちゃうりす?」
「かもね」
いそいそと頭の宝石を磨くタミコ。
「……最後に、ちょっとだけいいですか?」
カイケの声が若干かたくなる。自然と愁は背筋を伸ばしてしまう。
「お気づきのこととは思いますが……私は【心眼】という菌性を持っています。人の感情を目で読みとる能力です。私の場合、それは色で表現されます」
「はい」
「それで……アベさんが以前、ご自身の身の上話をされたときや、ご自身の菌能を披露されたときなど、少し後ろめたいような感情を見ることができました。言動に嘘が混じるときに生じる色です。先日の、ユニコーンの角をお持ちだった経緯についてお話しいただいたときもそうでした」
「……うーんと……そんなことは……」
予期していたとおりとはいえ、それを面と向かって言われると。
タミコやノアの手前、安易に謝ったりしてそれを認めてしまうわけにはいかない。
「ですが……そこには濁った色――相手を陥れたりあざ笑うための嘘をつくような邪な色はありませんでした。なによりアベさんもタミコさんも、淡く明るい優しい色が根本にあるのはわかっていました。だから……アベさんがお話しになりたくないのであれば、そういう事情があるんだろうなって……ほんとはそれも含めて追及するのが仕事だったけど……」
カイケは顔を上げ、笑う。緩やかな髪がふわっと持ち上がる。
「でも……あのときの判断は間違ってなかったって、今では思ってます。アベさんたちを面接できたのは、私の人生で一番の、グッジョブ! だったかもしれませんね」
愁はタミコとノアと顔を見合わせる。二人ともうなずく。
「あ、じゃあクエスト受注の件はこれでオッケーですかね?」
「あ、それとこれとは別です。アオモトさんの分も働いてください」
「うーん」
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