80:死地にあがく者たち
「――どうしてあのとき、飛び出したんですか?」
ショロトル族の砦に招待された日の夜。ふとノアがそう尋ねてきた。約束どおりというか、勝手にマッコを助けた説明を求めてきた形だ。
「あ、いや、別に責めてるわけじゃないですよ。いや、責めたほうがよかったんでしたっけ。独断専行してボクたちを危険に晒したわけだから」
「サーセン。サーセン」
クレは風呂というか水浴びに、双子はなにか食いものをと物色しに、ギランとショロトル族はなにやら別途話があるようだった。タミコは愁の太腿の上でヘソ天してぴゅーぴゅーいびきをかいていた。
「あのとき、マッコちゃんは『ニゲロ』って言いましたよね。ジャガーの強さもわかってたはずなのに、なんで助けたりしたんですか?」
「いや、えーと……」
どう答えたものか、と愁は言いよどんだ。頭の中に適切な言葉をさがしてみる。
「俺も最初は手出ししないつもりで、部下の子も見殺しにしちゃったし……だけどさ、ジャガーにやられる寸前、マッコと目が合って、あの子は『タスケテ』って言おうとして、それを呑み込んで『ニゲロ』って言ったんだ。本人に確認したわけじゃないけど、俺にはそう聞こえたんだよね」
「ボクは気づかなかったです」
「なんつーか、自分が死にかけてるときによくそんな言葉吐けたなって。俺ならそれこそ必死こいて助け求める気がするし。なんか気高さ? 漢気?(メスだったけど) 思いやり? みたいのが伝わっつーか……」
「それ、あの一瞬でそんなことを?」
「あーいや……厳密にはそう思ったときにはもう飛び出してたんだけど」
「それって、マッコちゃんがそのまま『タスケテ』って言ってたとしても助けてましたよね?」
「まあ……かもね……」
ノアがくすっと笑った。
「いや、でもさあ……なんか自分的にも微妙なんだよね。偽善的だったかなーって。俺が本当の正義のヒーローとかだったらさ、もっと早くに助けに入ってただろうし。かと言ってさ、じゃあやっぱりこっちの仲間を巻き込むんじゃんって。なんかいろいろ中途半端っつーか」
ノアは小さく首を振った。
「でも、そういうとこも……シュウさんらしいじゃないですか」
彼女の細い指がタミコの腹をちょいちょいとつついた。ぴくぴくっと反応するタミコを見て、彼女はまた笑った。
愁は、彼女には言わなかった。
『ニゲロ』とつぶやいたマッコに重なるものを感じたことを。それはかつて、オオツカメトロで初めて会ったときのノアの姿だったのだと、あとになって気づいたことを。
さすがにそれを察しているとは思えない。だが、彼女は愁の手に手を重ね、小さくうなずいた。
「誰がなんと言おうとも……初めて会ったときから、シュウさんはボクのヒーローですから」
***
「おおおおおおっ!」
そのヒーローは今、六本腕の美女魔人相手に鼻水を吹かんばかりのテンションでくらいついている。
ギランと左右から挟み込む形で斬撃を繰り出し続けている。【光刃】が描く四条の光線は、ことごとく三振りの黒い靄に阻まれ、そのたびに光の粒が削られる。それはギランの振るう赤い刃も同様だ。
「あははっ! すごいすごい! 息ぴったりっ!」
レベル70クラスの同時挟撃。間断なく叩きつけられる斬撃を完全に捌きつつ、なお笑う余裕が彼女にはある。
(くそがぁあああっ!)
(当たんねえええええっ!)
(どうなってんだよおおおっ!)
手捌きのスピードもさることながら、それを処理できる脳みそが信じられない。最新のCPU何個積んだらそんな処理ができるのだろう。
しかも目がぎょろぎょろとカメレオンのように左右独立して動いている。なにこれ怖い。どこぞの実戦空手家かよ。
光が瞬いては散る。途切れることのない硬質な衝突音。
手に伝わる現実の重み。徐々に肺を締めつける苦しみ。
「くぅ……あああああっ!」
愁の脳みそに霧が湯気に変わりそうなほどの熱が溜まっていく。
しかしそれでも、届かない。
ほんの数センチ先の骨が、ほんの数ミリ先の皮膚でさえ、絶望的なまでに遠い。
――いや、余裕なのは見せかけだけだ。これだけの猛攻、凌ぐだけでも見かけ以上に消耗するに違いない。たぶん。そうであってお願い。
「じゃあ今度は、こっちのターンねっ!」
「ですよね(死ねる)」
二人を一度大きくはじいたあと、アラトが両手を地面に置く。
「避けろっ!」
ギランがさけぶのと同時に愁も後ろに【跳躍】している。愁たちのいた場所に、幾筋もの白い串が地面を突き破って生じる。一歩遅ければ穴だらけにされていた。
「じゃあ、これはどうかな?」
【戦刀】を手放した六本の腕がきゅっと指を内側に畳む。見慣れた形だ。
とっさに愁は【火球】と【雷球】を放つ。しかしそれが到達するより先に白い線に撃ち落とされ、空中で爆ぜる。アラトの【白弾】だ。
そして、愁の四つ腕マシンガンを超える六つ腕マシンガンが火を噴く。
「うおおああああっ!」
もはや足を止めていられない。と思ったら前につんのめりそうになって慌てて【大盾】の陰に避難する。
「ヒャッハーッ! 蜂の巣じゃーーーっ!」
ご機嫌な美女によるここぞとばかりの狙い撃ち。ガガガッ! と盾越しに全身を殴りつけられるかのような衝撃が響く。【光刃】をまとわせているが、このままでは確実に射抜かれる。
――そのとき、【感知胞子】が、思わぬ挙動を捉える。
(……まだ生きとったんかワレ!)
愁はそちらには目を向けず、口の端に小さく笑みを浮かべる。
盾から転がるように身を投げ出し、名ショートのように菌糸玉をジャンピングスロー。
直線ではなくあえて弧を描く軌道で放ったそれだが、やはりアラトに到達する前に撃ち落とされる。
そして、大量の煙がばらまかれる。【煙玉】だ。
「合わせろっ!」
さけびながら愁は煙の中へと【跳躍】。再び【戦刀】+【光刃】四刀流に替え、灰色の視界の奥にいるアラトへと斬り込む。
「おっとぉ! よく見えんねっ!」
彼女は二人の挟撃を認識するために目を別々に動かしていた。煙の中でも正確に敵影を捉える愁とは異なり、【感知胞子】に類するものを持っていないようだ。
「おおおおっ!」
ようやく一つのアドバンテージをつけた――そう思っていた時期が俺にもありました。
この視界の悪さでも、愁の魂ごと投げ出すような連撃を、アラトはそれでも凌ぐ。一発たりともかすらせまいという執念すら感じる防御力だ。
だが――それでも愁の気迫がわずかに上回る。黒い刃が顔や身体をかすめても、獣のような咆哮をあげて前に突き進む。
アラトの背中が灰色の雲から飛び出す。そこに待ち構えている者に、愁は先に気づいている。
刹那、反応したアラトがでたらめに菌糸腕を背後に振るう。それをかいくぐったギランの一太刀が背中から腰にかけて深く斬りつける。
「ぐっ!」
痛みに顔が歪む、その隙をつこうとした愁の追撃だが、寸前でアラトが大きく横に飛び退く。切っ先が彼女の太腿を斬り裂いたが、浅手だ。それでも――届いた。ようやく届いた。
「やっといいのが入りましたね」
「ああ……だが……」
横に並んだギランがぐらりと揺らぎ、刀を地面に刺して耐える。苦しげなうめきが喉の奥から漏れている。
「ギランさん!」
「……あの黒い刃……毒だ……これでも【毒耐性】持ちなんだがな……」
言われてみると、愁も傷口がびりびりと痛む気がしてくる。動けなくなるというほどではないが。
「【解毒】です」
「ありがとう」
ぴっと指から放った緑の菌糸玉を、ギランはぱくっと口でキャッチする。なんとなく餌付けした感。
その間、アラトは自分の傷の確認を優先している。余裕だ。
「あーもー……傷物にされたのなんて何年ぶりだろ? それこそあの巨大ヘビ以来な気がするわ」
愁の一刺しはともかく、ギランの一振りは結構深く入っていたのに。ぽたぽたと血が滴っているが、痛がったり気にしているそぶりはない。
「……魔人は【自己再生】、いや【不滅】以上の再生能力を持っている。ちょっとやそっとのダメージは無意味だ」
「なにそれずるい。つかもはや不死身じゃないっすか?」
「いや、弱点はある。頭だ」
「いや、まあ……」
大抵の生き物はそうだろう。それを言ったら愁だって頭をやられたらどうなるか試したことはない。
「正確には脳の奥にある小さな石、〝菌石〟……それを破壊できれば魔人を完全に殺すことができる。頭を刎ねれば肉体を動かすこともできなくなる。さっきも狙ったんだが、まんまとかわされてしまった」
きんせき? 菌の石、だろうか。魔物における核のようなものだろうか。
「決して不死身の存在などいない。どんな生き物もいずれは死ぬ、必ず殺せる。完全な不滅などこの世には存在しないのだから」
「休憩タイム終了、ってことでいい?」
身をよじるようにストレッチしていたアラトが、腰に手を当ててうなずいてみせる。
「にしても、そっちの童貞くん。普通の狩人じゃありえないくらい多彩よね。【壊刃】の毒も効かないみたいだし……興味出てきたわー。つーわけで、第二ラウンド、準備はいい?」
ぺろりと舌なめずりする美女に、でも人間じゃないんだよなあ、と愁はもったいなく思いながら【戦刀】を構える。
***
ノアを物陰に寝かせ、クレはそこから激しい戦場と化した広場に目を向ける。
シュウとギランは、必死に食い下がっている。どちらかと言えばシュウが前面で、それをギランが補う形で間合いをとっている。卓越したバランス感覚と広い視野のなせる業、伊達に修羅場をくぐってきていないということか。
だが、そこいらの獣などその前に立っていることさえできないような猛攻も、魔人アラトは一人で完全に凌ぎ、逆にシュウたちに対して着実にダメージを植えつけつつある。
しかもクレの見たところ、彼女はまだ本気を出していない。いや、本気になっていない、と言うべきか。命を脅かされるような危機感を持たず、遊びに興じているかのような立ち回りだ。
「ノア……ノア……」
目を覚まさないノアに、タミコが声をかけ続けている。その目には涙がにじんでいる。
「きっとだいじょぶだよ、タミコちゃん。出血は止まってる、いずれ目を覚ますさ」
実際はどうなるかわからない。目に見える傷はふさがっていても、肉の奥にどれだけの損傷と影響が残っているか。医者でも〝付術士〟でもないクレには判断がつかない。今は心配そうなタミコにそう言うことしかできない。
「アベシューは……?」
「戦ってるよ、必死に。だけど……相手は強い、底が見えないくらい」
物陰から三人の目まぐるしい攻防を見つつ、タミコはぽろぽろと涙をこぼす。
「……あたい……なんにもできないりす……アベシューも、ノアも……こんなになってるのに……」
ちゅんちゅんと鼻を鳴らす彼女の背中を、クレはそっと撫でる。
――唇を噛みしめ、自身の内側に向けてうなずく。
「君にできることがあるよ、タミコちゃん」
振り返ったタミコに、クレはポケットからとり出したものを渡す。
ノアが持っていた、シュウのチャージ【火球】だ。
「……これなら、あいつたおせるりすか?」
「いや、違う。使う相手が違う」
頭の上にハテナを浮かべるタミコをよそに、クレは上着を脱ぎ捨て、盛り上がった胸筋と六つに割れた腹筋を見せつける。
「タミコちゃん、それを僕に投げるんだ。シュウくんのタマを、僕のこの身体に」
両手で【火球】を抱えたまま目が点になるタミコ。この人間はなにを言っているんだろう、とそのつぶらな瞳が訴えている。
「……自分でやってもダメなんだよ。不思議なことに、自傷ではこのスキルは発動しないんだ。僕の真の奥の手……【逆境】のスキルさ」
「ぎゃっきょう?」
「肉体がダメージを負えば負うほどに強くなる。燃え尽きる前のロウソク、虚空に一瞬の輝きを放つ火花。長くは続かないが、ほんの少しだけ――シュウくんの隣で戦えるだけの力が身につく。そのためには、タミコちゃん、君にそのシュウくんのタマをぶつけてもらわなきゃいけないんだ」
「あたいが?」
「ああ。自分で自分を傷つけても、なぜかこの菌能は発動しないんだ。だが逆に、敵意や害意がなくても他人の手によるダメージなら発動できる。実証済みだよ」
説明しながら、言葉に説得力を持たせるために胸筋をぴくつかせるクレ。
ようやく理解できたようだが、それでもやはりタミコは躊躇っている。
「でも……これ、すごいいりょくりす。クレがしんじゃうりす」
「……ふふ、心配してくれてありがとう。そうだね、ミノタウロスですら一発で吹っ飛ばす威力だ。生身の僕に耐えられるものじゃないかもしれない。そのまま命を落とすことだってありうる」
「じゃあ――」
「だけど、だからこそ。それじゃなきゃいけないんだ。シュウくんのタマじゃなきゃいけないんだ。というかそれしかないんだ、彼のタマじゃなきゃ!」
その端正な顔が、美しい肉体が、熱を帯びてピンク色に染まっていく。
「僕のこの筋肉は、今日この瞬間のために鍛え上げられてきたんだ! 彼の暴虐なるタマを全身全霊で受け止めた先にこそ、彼の隣に立つ未来が拓けるんだ! 逆に言えば、彼のタマを受け止められない僕など、そのままメトロの灰燼に帰そうとも構わない! 彼のタマとともに散るならそれはそれで本望さ! 知ってるかい、本望という字の中には――ちょっと待ってねタミコちゃん。いいよって言ったら投げてね? 今顔狙おうとしたけどそれはやめてね?」
***
各々、ショロトル族に引きずられ、介抱されるシシカバ姉妹。離れた場所で、同時に目を覚ます。
肘から先を失い、止血された右腕(左腕)。折れた肋骨と痛めた内臓。
それらを認識して、一つため息をつき、そして唇から血がにじむほどに噛みしめる。
そして、マウマウと不安げに鳴く彼らに、やはりまったく同時に命令する。
「「――あたしを、ミドリ(姉ちゃん)のところに連れてけ!!」」
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