67:アベシュー探検隊

「あそこ、チワワがいるよぉ! チワワが立ってる! ヨーゼフー! へぶっ」


 ノアの喉輪で愁は我に返る。


「落ち着いてください。なにがどこにいるんですか?」

「ご、ごめん。あそこにチワワが……ってあれ?」


 愁が指さした先に――なにもいない。【感知胞子】の領域内にも気配は感じられない。


「タミコは見たよね? 見間違いじゃないよね?」


 幻覚でも見たのかと不安になる愁。チワワいたもん。


「たしかになんかいたりす。でもよくわかんなかったりす」

「シュウさんがいきなりさけんだから逃げちゃったんですかね」

「そっか……」


 いたことは間違いないようだが、警戒させてしまったようだ。


 愁は厳然たるネコ派であると自認している。しかしながら犬をその対極の存在であると信じるような人種ではない。

 どちらのモフも恒久の平和を実現するものであり、人類普遍の幸福である。寝る前に見たネコや柴犬やチワワの動画が残業続きでくたびれた心身にささやかな癒やしを与えてくれた恩は忘れない。


「ていうかシュウくん、チワワってなに?」

「ボクも初めて聞くんですけど、メトロ獣ですか?」


 二人ともチワワを知らないのか。人生の何割か損している説。


「ちっこい犬だよ。こんくらいで、フワフワで、手足が短くて目が大きくて。古代マヤ文明あたりの小型犬がルーツとされてて、愛玩犬として世界中で大人気で人懐っこいけど怖がりで寒いのが苦手で冬の散歩には服とか」

「シュウさん」

「ご、ごめん。喉輪はもういいから」

「犬の種類かあ」とクレ。「センジュにはセンジュイヌって犬種がいるよ。おっきくて強くて番犬にぴったり、狩人のパートナーとしても人気なんだ」


 元の世界にはいなかった犬種だ。そうか、狩猟犬を連れるというのも当然の選択か。盲点だった。


「イケブクロにもペット犬はいますけど、チワワっていう犬種は初耳ですね。他のトライブとかにはいるのかもだけど。ていうか、シュウさんって意外と動物好きですよね。ユイさんのこともチラチラ覗き見してたし」


 バレていた。


「アベシューはドーテーのくせにヤリチンりす。ウワキショーりす」


 頬袋を膨らませてプリプリするタミコ。愁としては彼女をないがしろにしているつもりはないが、そう感じさせてしまったお詫びをこめてたっぷりこしょる。「こ、こんなことしても……だまされないん……りすからぁ……!」。クレが羨ましそうなのは無視する。


「でも、こんな深層に普通の犬がいるわけないよね。メトロ獣かな」


 それこそ古代マヤ文明を模したようなこのフロアにチワワとは、偶然なのか、メトロによる必然イタズラか。

 木陰からおそるおそる窺うあの眼差し、多少騒いだ程度で逃げてしまう臆病さ。獰猛で凶暴な類ではなさそうだが、だからと言ってペットのように人に懐くなんてことを期待するのは無謀だ。


「まあ、探索を続けたらまた出くわすかもしれませんね。シュウさん、くれぐれも油断したり手心を加えたりってのはやめてくださいね?」

「……うん、肝に銘じるよ」


 獣と狩人、狩るか狩られるかの関係。そこは相手がどんな姿をしていたとしても変わらない。

 当然だ。当然……だがしかし――。

 あのモフっとした毛並みを目の前にしたら。

 あのつぶらな瞳で見上げられたら。

 あまつさえ命乞いをするように「きゅうんきゅうん」などと鳴かれたら。

 それでも無情に刃を振り下ろせるだろうか。


「ぐうっ……大丈夫、俺は狩人……たとえ相手が……チワワでも……!」


 血反吐を吐く思いで決意をかためる愁だが、ノアとタミコの目は明らかに信用していない。

 

 

    ***

 

 

 準備を整え直し、改めて再スタートを切るアベシュー探検隊。

 ひとまず次の建造物を見つけるのが目標だ。


「ゾンビにしろ生モノにしろ、さっきのグレムリンくらいなら苦労はしないだろうけどね」

「そううまくはいかない気はしますよね。隠しフロアだし」


 ノアの予感どおり、一行の目の前に新たな怪物が現れる。

 ドスン! と重い音とともに、大木が降ってくる。

 メキメキと枝の腕を軋ませ、振り下ろす。地面が爆ぜるほどの威力。散開して体勢を立て直す愁たちだが、続けて重い落下音が周囲に響く。合計五体。


「トレントです! しかもでかい!」


 ゲームに出てくる木のモンスターか。確かにぱっと見は動く木そのものだが、実際は巨大昆虫――ナナフシだ。枝葉まで完全に再現しているところが芸が細かい。


「ふっ!」


 すかさず【火球】。木属性には火属性がゲーム世代のたしなみだ。

 だが――直撃して爆ぜるも、表面が多少焦げたくらいだ。全身に延焼して一撃死とはいかない。さすがに血と水の通った生き物、簡単には燃え上がってくれない。


「シュウさん、一体でいいんで燃やさないで倒しましょう! いいお土産になります!」

「マジ!? おっしゃがんばる!」


 俄然張り切る愁、とはいえ一筋縄ではいかない。

 体高にして十メートル以上。振り下ろす手足は遊園地のバイキングかという勢いだ。樹状の外皮の奥に素の【戦刀】では一息で断てないほどの骨格を持っている。

 リスカウターによるとレベル45、下手すると三十階のゴーレムより強い。それが五体同時だ。


「クレ、一体頼む! タミコとノアはサポート!」


 右手に【戦刀】、左手に【大盾】。見上げるは怪獣映画に出てきそうな巨大昆虫四体。


 多少腰が引けるような思いがなくもないが、結局のところいつもと同じだ。オオツカメトロで【光刃】や【阿修羅】の習得前にオニムカデの大群とやり合っていた頃とくらべれば遥かにマシだ。


 なんてことを考えるとちょっぴり笑えてくる。

 未だにときどき「自分はなにをやっているんだろう」などと思うときがある。

 百年後の世界で、地下に広がる不思議な迷宮で、怪物相手に手から生やした刀を振り回している。五年経って「これが当たり前の日常」になっても、そんな思いがふと脳裏に浮かぶことがある。

(けど、これが現実だ)

(俺は現実に生きてる)

 いつものセリフで命を奪う意思を告げ、愁は光る刀を肩に担いで跳躍する。

 

 

    ***

 

 

 五体すべてを倒しきり、あたりの安全を確かめてから、ノアの指示に従って解体作業に入る。トレントの表皮や骨格は衣類や防具向けの良質な素材になるという。


「こんなにおっきいトレントは初めてですよ。いい素材になりそうです」


 素材の採取には「クレが関節をへし折り首をねじ折った個体」が一番綺麗ということで採用。愁としてはちょっと悔しいが、むしろサブミッションで巨大昆虫まで仕留める彼を褒めるべきか。トゥンクされるので口には出さないが。


「ゾンビじゃないみたいですし、胞子嚢もいただいちゃいましょう」

「これのゾンビとかさすがに怖いね。でもありえるんだよね?」

「わかんないですけど、胞子嚢を持ってるメトロ獣ならありえるんじゃないですかね」


 痛みも恐怖も忘れてがむしゃらに襲いくるバイキング船。想像してさすがにぞっとする。


 解体と採取にわりと時間がかかる。その場で昼食も済ませ、探索を再開。


 愁からすると代わり映えのしないジャングルの風景が続くだけだが、ノアに言わせると「天然資源の宝庫」らしい。

 傷薬になる草、ぶつけると催涙効果のあるプチトマト、炒めると脂の乗った牛肉のようなうまさを発揮するキノコ。金色のクモがつくる金色の繭玉、強力な眠気対策になる黒いブドウ(ものすごく酸っぱい)、調味料代わりになる芋虫やら葉っぱやら。愁たちがオオツカメトロで見つけた真珠エンドウもゲット。これは売ると結構おいしい。


「真珠エンドウは密生してる中で一つか二つしか採れないんですよね。栄養を他の株やさやに回した不純物の塊って言われてます。地上で栽培されてるやつよりメトロの天然もののほうが価値が高いです」

「これ不純物なんか。しかたない、うちで引き取ってあげよう」

「他の実は塩茹でして今日のごはんですね」

「今日の寝床もさがさないとか。安全なとこがあるといいけど」


 出没するメトロ獣のレベル帯は、オオツカメトロ五十階とほぼ同水準だ。

 レベル40以上の強敵としてはトレント、ミノタウロス(二足歩行の牛だが、白黒のやつも混じっているのがシュールだ)、バジリスク(空気に触れるとかたまる液を吐くカメレオン)、マンドレイク(頭に花冠をつけた巨大モグラ)、それに若干トラウマのレイスなどなど。身体中傷だらけのミノタウロスで記録した55が最高だ。


 【退獣】も効かないレベル、しかもこいつらはなぜか必要以上に飢えているような気がする。遭遇即襲撃となるので、必然的に応戦せざるをえない。愁が先頭に立って対処していく。「晩ごはんがどんどん豪華に」とノアはテカテカ。


「うおっ! レベルアップ来た! これで51!」


 とっさにクレが服を脱ぎ捨て、筋肉を膨張させてポージング。彼なりのレベルアップ時の儀式らしい。


「前回からまだ二週間も経ってないのに……ありがたいことに、シュウくんといるとレベルアップが早そうだ」

「またおこぼれそだちがふえたりす」


 代わり映えのしない風景、コンパスも使えない環境。何度も木に登り、頭を覗かせる建造物を確認しつつ、ようやく午後三時頃に二つ目の建造物にたどり着く。


 開けた場所には最初に見たのとよく似た石柱と、やはり石造りの建物が数棟。それに広場の隅には泉もある。「安全を確保できるようなら、ここが今日の野営地ですかね」というノアの提案に満場一致で賛成。


 建物の中を物色する。最初の建物と同様、干し草やキノコなどの備蓄が放置されている。それにロフトには藁でつくった寝床のようなスペースも。


「シュウくん、これ――」


 クレが拾ってきたのは、布切れだ。ハンカチくらいの大きさの、ボロボロにほつれた動物の皮かなにか。それだけでなく、別の建物から石器のナイフのようなものや土でつくった水瓶の残骸も見つかる。もはやメトロが用意した飾りつけとは思えない。


「やっぱり、ここに住んでたやつがいたのか」

「でもだいぶ長いこと放置されてる感じだね。住んでたのは魔獣か、あるいは人間か……」


 愁の脳裏にチワワの姿がよぎる。

 あれ以来一度も見かけていないが、もしかしてあれはメトロ獣ではなく魔獣なのでは。

 ここもあるいは、彼らが住処として使っていたのでは。

 万が一そうだとしたら――意思の疎通が可能かもしれない。


「アベシュー、かおがキショいりす」

「絶対変なこと考えてるよね、姐さん」

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