63:ファンファーレは鳴らさない

 こほん、と気をとり直すように小さく咳払いする覆面レスラー・ゴブリンマスク。


「盗み聞きは野暮だと尻突つも、違う知りつつも。シュ――そこの君の声にうっとり聞き惚れてしまっていた。すまないね」


 最初の「しりつつも」のなにが違ったのか不明だ。


「偶然にもこのフロアで君たちの姿を見かけてね。こっそりあとをつk――危ない目に遭いやしないかと見守っていたんだよ。罪なき者たちの安寧を守るのがベビーフェイスの役割だからね」


 ゴブリンマスク。その正体はバレバレではあるが、ここまで愁の【感知胞子】の範囲外から追ってきたようだ。変態の上にストーカーの素質もあるようで恐れ入る。


「俺の知る限り、オウジメトロはここ地下三十階が最深層のはずだ。ところが君たちは、驚いたことに……あるはずのない下層への階段を見つけてしまったようだ。まさに歴史的大発見というやつか、この場に居合わせた俺も光栄だよ。手柄の分け前を要求するような無粋はしないがね」

「はあ」

「だが――タマタマ耳に入ってしまったんだが、君たちは迷っているようだね。この先はこれまで以上の危険を孕んでいるかもしれない。このまま先へ進むのは得策ではないんじゃないか。イキたい! でもイケないの! ってね」


 ノアはうんざりという目をしているし、タミコもぺたっと耳を伏せている。変態担当は愁だと言わんばかりだ。


「それについて、臆病風に吹かれたなどと嘲笑するつもりはない。新たな道を前にして賢明なる者が逡巡するのは当然さ。未知とは喜びであると同時に恐怖でもある、躊躇わずに足を踏み入れられるのは無謀な蛮勇にすぎない」

「そうだね、プロテインだね」

「俺の見たところ、そこのお嬢さんはおよそ20台半ばくらいとお見受けした。確かにここから先に連れていくのはシ――リーダーの君の負担が大きく、万一の事故の恐れもある」


 ノアがぐっと身を乗り出すが、唇を噛み締めるだけだ。反論できない、図星だから。


「だけれどだけど――それをカバーできる人材がここにいる。そう、俺だよ俺、ゴブリンマスクだよ!」


 師匠みたいに言われても。


「俺ならお嬢さんやおチビたちをカバーしつつ、リーダーくんのしr――背中も守ることができる。複数人プレイはあまり得意じゃないが、レスラーは打たれ強さが専売特許。味方の壁役なら僕が適任さ。どうかな、この先へ進むなら、俺を雇ってみる気はないかい?」

「雇う?」

「……もういいですよ、クレ・イズホさん」


 ノアが冷たい声で遮る。


「なにがゴブリンマスクですか、バレバレですよ。もう二度と会いたくないってシュウさんは言ったはずです。本性を偽ってまで近づいてくるなんて、そんな人を信用しろって言うんですか?」


 覆面レスラーに対して真正面から正体を看破してみせるというご法度を躊躇なく突き破るノアに、クレも、そしてあえて付き合っていた愁も思わずたじろぐ。


「シュウさん目当てかお宝目当てか知りませんけど、いきなり後ろから襲いかかってくるような人に背中を預けられると思うんですか? 殺し合いを仕掛けといて今さら仲間面ですか? ボクたちのことはあなたには関係ありませんから」


 ノアの剣幕にみんなが息を呑む。耳が痛くなるほどの沈黙。


 ゴブリンマスクがその緑色のカバーを剥ぎとる。ふぁさっと赤毛が踊り、腹が立つほど端正な素顔が露わになる。当然すぎるほどクレ・イズホなので誰も驚かない。


「……君の言うとおりだ。小細工で自分の姿を偽って取り入ろうなどと、武闘家のすべきことじゃなかった」


 彼が膝をつく。そして、頭を下げる。センジュトライブにまでこの伝統は残っているのか、ザ・土下座。


「まずはこうするべきだった……シュウくん、イカリさん、タミコさん。僕に……チャンスをくれないか?」

「チャンス?」

「残念ながら、君たちの僕に対する心象は最悪だ。それもそうだよね、半ば脅迫じみたやりかたで無理やり果たし合いをふっかけたんだ。自業自得さ、それは自分でもわかってる」

「うん」


 愁が即座にうなずいたのでちょっぴり傷ついたような顔をするクレ。


「僕は君たちと仲よくなりたい。シュウくんだけじゃなく、イカリさんやタミコちゃんとも。だから……まずはプロ同士の契約関係から改めてスタートさせてほしい。きっといい働きをしてみせる。そうして君たちの信用をとり戻してみせる」


 元からないものをとり戻すというのも変な話だが触れないでおく。


「えっと……俺たちと一緒に下に潜って、ノアとタミコを守ってくれるって話?」

「君がそれを望むならそうしよう。もちろん君のしr――背中も守ろう。クレ式活殺術の名にかけて」


 女子二人は白い目をしているが――悪い話ではない。

 感情論を交えたら検討にも値しない提案だが――単純な戦力・労働力として見れば申し分ない。メトロ獣相手となると未知数だが、あれだけの力があればノアたちの壁になるくらいはできるだろう。そして愁としても菌能を隠す必要がないことは大きい。なにかあっても後顧の憂いなく全力で対処できる。

 そしてきっと、契約という形で縛れば、こいつはそれを破るようなことはしない。愁たちに害を加えるようなことも、途中で仕事を投げ出すようなこともしないはずだ。


「対価は?」

「そうだね……じゃあ、成果の一割でどうだろう?」

「一割でいいの?」


 相場がよくわからないが、一割はさすがに控えめな気がする。


「元より金にも貴金属にも興味はないんだけどね。シュウくんになけなしの財産を譲る約束だから、当座の路銀くらいは稼ぎたい」

「じゃあ、三十一階で得た戦利品の一割、もしくはそれに相当する金銭を支払うってことで。おまけにもらう予定の財産も返すってことで(いらねえし)」

「え、いいのかい? 助かるよ。僕はそれで構わない」

「タミコ、ノア、それでいい?」


 二人が顔を見合わせる。二人とも微妙な顔をしている。


「ほんとにいいんですか? 前門の虎、肛門の狼ですよ」

「誰うま」

「アベシューがめんどうみるりす。あたいたちはエサやらんりす」

「当番制にしようよ。みんなで面倒見ようよ」


 クレが立ち上がり、タミコとノアと向かい合う。


「必ず君たちの力になってみせる。君たちの背中を守ってみせる。約束するよ」


 まっすぐな視線を受けて、二人もそれ以上は反発しない。

(まあ、あとは俺次第かな)

(俺がこいつの手綱をうまく握れれば、大きな戦力になる)

(嫌だけど。こいつのなんであれ握るとかマジ勘弁だけど)


「ここはプロの狩人同士の契約ってやつを信用しよう。万一のことがあれば俺がなんとかするから」

「元はと言えばボクの実力が足りないからですもんね。そのせいで結局シュウさんに面倒かけちゃって……ボクもちゃんとエサをやりますから」

「いちばんしたっぱからはじめるりす。あたいのいうことはぜったいりす」

「おい新入り、上官に媚び売っとけ」

「これ、お近づきの印にって途中で拾っておいたドングリです」

「わかってるじゃねえりすか。そのチョーシでやってけりす」

「イエッサー!」

「上官チョロすぎだろ」


 愁は一秒ほど目を閉じ、息を吸い込む。意外と覚悟がいるものだ。


「……じゃあ、契約成立ってことで。今回だけは俺たちのな、な、仲間ってことで。俺たちの指示には従ってもらうけど」

「ありがとう! きっと期待に応えてみせるよ!」


 手が差し出される。タミコとノアに目を向けると、二人とも軽くうなずいて促してくる。

 しかたなくマントの生地越しに握る。さわさわと手の甲をまさぐられるので脛を蹴って離させる。


「よろしくね! シュウくん、イカリさん、タミコさん!」


 ファンファーレは鳴らさない。正式加入などとは認めない。

 それでも、なにはともあれ。実力じゅうぶんの変態を弾除けに加え、今度こそ準備は整った。 

 

「よし、行こうか」

「りっす!」

「はい!」

「ああ、一緒にイこう!」


 ぽっかりと広がる真っ暗な階段へ、四人は足を踏み入れる。

 いよいよ本当の冒険が始まる。

 未知への挑戦、オウジメトロ幻の三十一階へ――。

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