58:クレ・イズホの矜持
ヒカリゴケの色が青から白に変わる。朝だ。
「……うう、うーん……」
低いうめきとともに、両手両足をロープで縛られたクレがもぞもぞと寝返りを打つ。
「あ、起きた」
「変態が起きましたね」
「ヘンタイのくせにねぼうすんなりす」
愁たちの視線に気づき、自分の置かれた状況を目にして、そしてようやく昨夜のことを思い出したらしい。愁の顔を見て「あっ!」と声をあげる。
「……そうか、僕は負けたのか……」
打ちひしがれたようなか弱い笑みを浮かべ、クレは目を閉じる。その様子だけを見ればダース単位で年上女性の保護欲を集められそうだが、残念ながらこいつには無用の長物だろう。
「……ていうか、途中から気づいてたよ。どうあがいても勝ち目はなかった。パワーもスピードも到底及ばず、狩人には縁遠いはずだったこちらの技もほとんど見切られていた。まるで技をあらかじめ知っていたみたいに」
「いや、まあ」
地上波の格闘技番組とエセ合気道家の友人に感謝だ。
「暴れないならロープほどくけど、どうする?」
「……うん、もう勝負はついたからね。君たちに危害を加えるつもりはないよ」
ちらっとノアを見る。彼女は首を振る。
タミコに視線を移す。彼女も首を振る。
しかたなく愁がその作業を行なうことになる。かたく縛ったロープの結び目をほどいていく。
「ああっ……そんなに優しくしなくていいから、もっと荒っぽく扱ってくれていいから……」
「ノア、タミコ、助けて」
「嫌です。触りたくないです」
「アベシューがひろってきたりす。めんどうみるりす」
理不尽だ。なぜこの変態の飼い主ポジに収まらなければならないのか。拾いたくて拾ってきたわけでもないのに。
ロープをほどくというだけのことがこんなにも苦痛に感じる。縄が肌にこすれるたびに「あっ、あっ」とか紅潮して鼻にかかった声を漏らすこいつを再度縛り直して地中に埋めたい。
「あんた、【自己再生】持ちだったんだね。気絶してる間に勝手に治ってくんだもん」
「まあね。〝闘士〟としちゃそんなに珍しくないけどね」
拘束を解かれたクレは座ったまま指や腕や足を動かしている。【白鎧】、【自己再生】、【剛力】、【俊応】。〝闘士〟のコンセプトにふさわしい近接格闘に寄ったスキル構成だ。組投極に偏りすぎたスタイルはさすがにどうかと思うが。
「それより訊きたいのは……君の菌職かな。どうか、敗者が勝者に質問をする愚を許してほしい」
あー、と愁は内心ため息をつく。やっぱりそうなるよね。
「【阿修羅】は〝闘士〟系統のみの超レアスキルだ、僕も習得できていない。なのに君は、〝狙撃士〟しか習得できないはずの〝白弾〟のみならず、多岐に渡る菌職の能力を使用した。そんな手札の構成は上位菌職でもありえない。君はいったい……僕の知る限り、それを実現しうる可能性は……」
愁は頭をがりがりと掻きむしる。ちらっと目をやると、ノアの顔には「やっぱり」と書いてある。タミコの顔には「あさごはんはやくするりす」と書いてある。どちらも正しい。
「……そうだよ、俺は〝糸繰士〟だ」
クレが目を見開く。「まさか……」とかすれた声でつぶやく。
「スガモ支部には〝聖騎士〟で通してるけどね。あんたに使った菌能も、一部は内緒にしてあるし」
「……にわかには信じられないけど……それ以外に考えられないもんね……」
岩壁にもたれ、自嘲気味に笑い、首を振る。
「……敵わないわけだ、創国の英雄たちの力だもんね。僕が目にしたのも君のすべてってわけじゃなさそうだ。今の僕じゃあ、百回やっても勝ち目はないか……」
「人様に知られたくなかったんだけどね。だから俺は、あんたの口封じをしなきゃいけない」
クレは力なくうなずき、目を閉じる。軽く手を広げる。
「……いいよ、シュウくんになら。君にはその権利がある。寝てる間にしてくれてもよかったのに」
愁は首を振る。
「そういうことなんで、黙ってて。未来永劫、誰にも言わないで。つーことで、約束してもらえるならこれで終わりってことで」
「……え? 終わり? それで?」
「俺が勝ったらあんたを好きなようにしていいんでしょ? だから、あんたに俺たちのことを他言する権利を奪わせてもらう。それでおしまい」
「いやいや……そんなの、僕が守る保証ないでしょ? 殺しちゃえば確実じゃんか」
「そうなんだけど……うーん……」
一名はそれを支持してなかなか譲らなかった。「自分の安全や将来がかかってるのに、シュウさんは甘すぎです。シュウさんがやれないならボクが――」と。
「勝負ついて気を失ったやつの寝首を掻くってのも寝覚め悪いし、つーかやっぱ殺しはダメっしょ。あんただって殺し合いのつもりはなかったんでしょ?」
クレは呆れたように笑い、首を振る。
「理不尽な果たし合いを突きつけたのは僕のほうだ。それなのに君は……そんな僕を許すっていうのかい?」
「いや、別に許す気ないし。もう二度と関わりたくないし。顔も見たくないし」
クレがむしろ死にそうな顔になる。
「でもあんたみたいな人って、そういう約束とか誓い? とか形式的なもので自分を縛るタイプでしょ? ガチンコで負けて約束まで破るなんて無様な真似したら切腹もんだよね?」
クレが顔を赤らめ、くねくねと身をよじらせる。
「……嬉しい。僕のこと、そんなに深く理解してくれて……たった一度肌を重ねただけで……」
「こいつゲジゲジよりキショいりす」
「シュウさんやっぱり殺しましょう」
女子二人の評価は辛辣だ。愁としても心情的にはものすごく同意したい。
「……最後に訊いときたいんだけどさ、なんで打撃使わないの? グラップラーつってもわざわざ縛りプレイする必要なくね?」
「……それが僕の生き様だからさ」
クレはあぐらに座り直す。
「センジュトライブでは、外に出ていく狩人は少ない。菌能を持つ人もそうでない人も、己の力を磨き、それぞれの道を極める生きかたを選ぶ人が大半さ。それはとても内向きな作業で、領地から一歩も出なくても成立する。他のトライブ同様、複数のメトロを領地内に抱えてるからね。探求し、研鑽を重ね、それを次世代へとつなぐ……〝魔人戦争〟からの五十年、そんなセンジュの閉ざされた環境が、地中深くでぎゅうっと凝縮された宝石のような、本物の達人たちを育んできたんだ」
てのひらに目を落とし、ぐっと握りしめる。
「僕だって根っこは同じさ。投・絞・極のみをただひたすらに追求する〝クレ式活殺術〟の道。今は亡き父が提唱したこの道を、この技術と理念を、僕の代で完成させる。それが僕の夢だ。だけど……そのためには閉ざされた世界にこもっているだけじゃあ足りないと思った。このシン・トーキョー中を渡り、狩人やメトロ獣との切磋琢磨する。世界は広い、僕たちの想像もつかないような猛者や曲者がひしめいている。それらすべてを投げ飛ばし、腕をひしぎ、首を絞め、腱をぶち切る。あらゆるもののあまねく関節を破壊する。それこそが僕の理想とする〝クレ式活殺術〟だからね」
タミコは涅槃のポーズであくびをし、ノアは【短刀】で地面に落書きしている。
「えっと、メトロ獣も? ってかゴーレムも?」
「もちろんさ。彼らには関節はないが、極めてもげるし、投げて壊せる。それを試すためにこのオウジに来た。外の世界に出て五年、僕はこの信念を一度たりとも捻じ曲げたことはない。たとえどんな死地に追い込まれようとね」
「じゃあスライムみたいなのはどうすんの? そのままじゃ絶対倒せないよね?」
「何度も投げてぶつけてやれば、いずれは死ぬさ」
「マジかよ」
じゃんけんで生涯グーだけ封じるかのような縛りプレイ。なんと非合理的な。
「でなければ死ぬだけだ。信念を通せない生など、僕にとってなんの価値もない。この道を走り続けた果てに土に還るのも宿命ならば本望さ」
「なるほど」
「ホモだけにね」
「やかましいわ」
(こんなやつもいるのか)
狩人のシビアな世界ではナンセンスな価値観かもしれない。女子からしたら理解不能な哲学かもしれない。
それでも――一つの生き様を貫き通すという熱意に、信念に、愁としては多少尊敬の念を抱かざるをえない。
(なんつーか……すげえな、人間って)
そんなことを思ってしまう。
(世界が滅びて、それでもしぶとく再生して)
(そして今じゃ、ただ生きるより貫くことを選ぶようなやつもいて)
――糸は縁、糸は運命。
それは崩壊を経て、それでも未だに紡がれている。
世界は広い。そして――人間に未だ終わりはない。
「……世界は広いね、やっぱり」
まるでシンクロしたかのように、クレはそんなことを言う。
「君のような男もいるって知れて、それだけでも外に出てきてよかった……君と一緒にいたら、もっと違う世界が見られるのかもしれないな。そしたら俺ももっと強くなれるかもしれない」
鼻を掻き、はにかむようにして、続ける。
「……シュウくん、君のそばにいさせてくれ。君たちの仲間に入れてくれないか?」
愁はくすっと微笑む。
タミコとノアに目を向ける。二人ともうなずく。
「死んでも断る」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます