10:ガーゴイル
愁は現在までに十三個の菌能を習得している。
第六の菌能、菌糸ハンマー。
オーガ戦での活躍ぶりのとおり、今では菌糸刀と並ぶメインウエポンだ。
第七の菌能、電気玉。
燃える玉の黄色バージョンで、砕けると周囲にバリッと電流が走る。ちょっとした雷魔法だ。
第八の菌能、菌糸大盾。
丸型の小盾である菌糸盾とは異なる、機動隊が持っていそうな長方形の板状の大盾だ。強度的には菌糸盾にやや劣るが、面積のわりに軽くて広範囲を防御できる。飛び道具から身を守るのに便利な能力だ。
第九の菌能、跳躍力強化。
一時的に脚の筋力(あるいは菌糸の強度?)を増大させることができる。効果は一蹴りしか持続せず、連続使用には三秒ほどのインターバルが必要になる。やりすぎると若干筋肉痛になるという副作用もある。
第十の菌能、感知胞子。
胞子を撒き、半径五十メートル内を立体的に感知できる。これも持続時間があり、一度撒いた胞子は三分前後で脳へのフィードバックが止まる。胞子を撒き続けるにも少しずつ体力を消耗する。といった制約もあるが、やはり他の菌能とは一線を画すチート能力だ。
第十一の菌能、謎の菌糸玉。
緑色で十字の模様がある。効果は不明、投げても壊しても食べてもなんの変化も見られない。愁やタミコを含めた動物実験の結果、「食べても毒ではない」「薬っぽいスースーした味」ということのみ判明している。同じく十字の模様がある治療玉と似ているので、なにかしらの薬効があるのではないかと推測される。
第十二の菌能、煙幕玉。
壊れると灰色の煙が撒き散らされる菌糸玉だ。逃亡や目くらましに便利だが、隠れ家で試して大惨事になった。
第十三の菌能、獣除け胞子。
感知胞子のように極小の胞子をばらまいているのは体感でわかる。その際にゴーストウルフやゴブリンが近寄ってこなくなった。オーガやオルトロスには効果がなかったため、「レベル差のある獣をビビらせて遠ざける」的な効果があると推測される。
「別に自惚れてるわけじゃないけど、俺も結構強くなったし、菌能もたくさん覚えた。タミコ母の相棒さんのレベルを超えるって目標も達成した。今ならボスに勝てないまでも、ちょっと戦って情報を集めて、危なくなったら逃げるくらいはできる気がするんだよね」
「カーチャンのあいぼうはレベル53で、それでもかてなかったりす。アベシューもきっとおなじくらいつよくなったけど、もうすこしきたえてからでも……」
「それもそうなんだけど……一度経験してみて、傾向と対策を練ったほうが今後のためにもなるかなって。防御系の能力と再生菌糸があれば最悪死ぬこともないだろうし」
すでにこのメトロでの生活も三年。今さら急ぐわけではないが、このフロアのメトロ獣とは対等以上にやり合えるようになっている。いよいよ新たな目標としてボスを設定しても分不相応ではないはずだ。
それでもタミコは不安そうだ。彼女にとっては愁と出会う前に最愛の母を奪われた悪夢の相手でもある。トラウマになっていて当然だ。
腹をこしょると「まじめなはなしりす! ふざけるなりす! やめろ、やめ……やめないでぇ……!」とあえなく観念。
というわけで、初めてボスに挑むにあたり、タミコは一つだけ注文をつける。
「このかいのボスをたおせたら、りす」
「この階にもボスいんの? 初耳なんだけど」
「ボスっていうか、オニつよの〝はぐれメトロじゅう〟りす」
「はぐれメトロ獣?」
タミコ母曰く、そいつは「本来もっと上の階にいるメトロ獣」だそうだ。それがなにかの拍子にこの階まで迷い込み、元の住処に戻ろうにも四十九階のボスにそれを阻まれ、たった一匹でこの階にとり残されてしまった。そのままたくましく生き延び、力を磨き、いわゆる成長個体――年を経て飛び抜けた強さを身につけた個体として今も孤独に徘徊しているという。
「なんか……どっかで聞いたような境遇だなあ……」
なんとなくシンパシーが湧いてくる。敵というよりむしろ同志だ。
「でも、そいつのすみかはかいだんのほうにあるりす。たおしておいたほうがあんぜんりす」
「なるほど」
そうなると話は違ってくる。ボスチャレンジの道中で強敵に襲われるようなリスクは事前に排除しておきたい。
「んで、そいつはどういうやつなの?」
「ガーゴイルりす」
「おお、お馴染みのやつだわ」
ゲームやマンガでよく見かける。いわゆる動く悪魔像だ。
「いしのひふをもったデカデカコウモリりす。そらをとぶりす、めっちゃこわいりす」
「コウモリかあ……田舎でよく見たなあ」
行田の夕暮れの空を思い出す。なんとなくノスタルジック。
「そういや、今まで飛ぶやつとはほとんど戦ってないね。要注意だな」
後顧の憂いなくボスに挑むために、あるいは前哨戦としてはずみをつけるためにも、狩っておく必要があるかもしれない。
「ちなみに、レベル的にはどんくらいでしょう?」
「カーチャンは53くらいっていってたりす」
単純比較はできないが、少なくともボススライムよりも実力的には下、オーガやオルトロスよりは上といったところだろうか。
よし、と愁は膝を叩き、うなずいてみせる。
「明日行ってみよう。そいつを狩れたら、その次はいよいよボススライムだ」
***
メイン通りの右側はゴブリンやオーガの領域で、左側はゴーストウルフやオルトロス――二つの頭を持つオオカミ――の領域だ。メイン通りはその両方をつなぐ無数の連絡路のうちの一つになっている。
オオカミ軍とサル軍。ゴブリン以外は同種同士での仲間意識は低いようだが、やはり犬猿の仲というべきか、両陣営はしょっちゅうぶつかり合っている。
どちらからでも四十九階への上り階段は行けるようだが、面倒の少ないオオカミ側から向かうことにする。やつらはオラオラ系のサルどもよりも用心深く、多少は相手の力量を測る勘も持っている。加えてこちらには第十三の菌能、獣除け胞子もある。少なくともゴーストウルフのほうから襲いかかってくることはないだろう。
タミコも四年前に一度行っただけということで、完璧に道を憶えているわけではないようだ。なんとなくの方向で進み、行き止まりがあれば引き返す。
鍾乳石のゴロゴロする部屋、水路脇の細い通路、昆虫系のメトロ獣の巣。三時間以上うろうろし、いろんなところに行き当たる。獣除け胞子が効かない敵と一度だけぶつかるも、無傷のまま今日の目的地へとたどり着く。
「ここりす……」
「ここか……」
がらんとした空間だ。天井も高い。
足下にはうっすらと水溜まりが広がっている。そして、等間隔に巨大な柱が並んでいる。コンクリート製の円柱だ。
ぴた、ぴた、とどこからか水の滴る音がする。空気がひんやりとして冷たい。薄暗くてカビくさいが、地下神殿のような荘厳な風情がある。あれを思い出す、埼玉にある地下放水路。
「こんなところもあるんだな……」
改めて〝メトロの氾濫〟とやらの非常識さを思い知る。
「このへんのどっかにいるはずりす」
「オッケー」
感知胞子を飛ばしながら、水溜まりを避けて歩を進める。
半径五十メートル内に動くものはない。奥に、あるいは天井に目を凝らしても、それらしき生き物の姿は見えてこない。
今は留守なのかもしれない。あるいはどこで息をひそめ、闖入者に襲いかかる機会を窺っているのかもしれない。
唾を飲み込み、手汗をしきりに拭う。柱に身を隠し、あたりを見回し、耳を澄ます。どんな異変も逃すまいと身構える。
慎重に、注意深く。
相手は少なくとも互角。下手したら格上。なめてかかればボスに挑む前にここでゲームオーバーだ。
「……ん?」
大きな岩が無造作に点々と転がっている。
崩れた柱の残骸のようなものもあれば、どこからか持ち込まれたかのような無骨な岩塊もある。
ぎぎぎ、とかすかに軋むような音がする。
「……アベシュー……」
「タミコ、終わるまで隠れてろ」
その耳障りな音は反響のせいで方向がわかりづらい。ただ、すぐ近くから聞こえてくるのはわかる。
(……来る)
斜め後ろから放たれたなにかを、愁は一瞥もせずにかわす。風を切る音が通りすぎるのと同時に振り返り、指先に生んだ燃える玉を投げ放つ。
ボンッ! と小爆発。それを飛び上がるようにしてかわしたのは、先ほどまで岩塊に擬態していた生き物だ。
「ギィイッ!」
「……結構でけえな」
思っていた以上に大きい。体高はオーガほどではないが、バサバサと羽ばたく翼を広げれば七・八メートルはありそうだ。その巨体を浮かび上がらせるために、懸命に翼を上下させている。
コウモリというか、顔はドーベルマンのような顎の尖った犬に近い。腕は翼と同化し、足の先には針のような鋭い爪が生えそろっている。薄暗くてよく見えないが、体表は石を思わせる一面灰色だ。口先からぺろりと覗く舌だけが赤く色づいている。そして右目と右耳、火傷のようにケロイド状になっている。歴戦の傷痕だろうか。
(うは、こええ……!)
(こいつ、絶対強いやつじゃん……)
愁にはタミコのリスカウターのような能力があるわけではない。だがこの三年、数えきれないほどの獣たちと命のやりとりをしてきた経験がある。それに基づいた勘が告げている――こいつは強い。なめてかかればあっさり食われる。
愁は左手に菌糸大盾を、右手に菌糸刀を出す。腹の奥に居座るじりじりとした恐怖を、ぎゅっと握りしめる痛みで塗り替える。
「恨みっこなしな」
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