8:タミコの告白

 第五の菌能、白い菌糸玉改め、治療玉。


 傘を砕いたときに出る液体には、傷を癒やす効果があるらしい。食べる菌糸ではなく汁をかける菌糸だったわけだ。

 その治療能力はかなり高いらしい。そのあとも何度か液体をかけてやると、夜を迎える前にタミコは自力で起き上がれるまでに回復する。


「べんりなきんのうりすね。アベシューがいればケガもへっちゃらりす」

「俺自身は必要なさそうだけど、確かにこういうときには便利だな。つっても無茶はやめろよな、これ結構疲れるから」


 こつこつ備蓄していた食用植物やキノコは、今日一日で半分以上減ってしまっている。愁が再生によって飢餓的空腹に陥ったためと、なぜか治療玉を生むたびに体力を奪われていったためだ。

 菌能も無尽蔵にというわけにはいかないらしい。「菌能の乱用は体力を消耗する」と初期の頃にタミコに教わっていたが、傷の再生のとき以外は今まであまり気にしたことはなかった。この治療玉は他の菌能よりも体力の消費が輪をかけて大きいようだ。「自分で生み出して自分で食って空腹解消」という永久機関の実現は夢と消える。


 タミコもお腹がすいたようで、秘蔵のドングリタンポポを五つもたいらげる。こんなときのための備蓄だし、あの絶体絶命のピンチから生還できた自分たちへのご褒美としてもバチは当たらないだろう。


 翌日。タミコはすっかり元気になっているが、念のため狩りは休むことにする。

 朝に愁一人でこそこそとオアシスに行って水を汲み、野草とキノコをいくらか摘んで戻る。隠れ家からの外出はそれきりにしておく。タミコの聴覚索敵がない状態では昨日のような事故が怖い。

 手持ち無沙汰の一人と一匹、部屋でゴロゴロしてすごす。こんなときにスマホがあれば、PCがあれば、なんて未だに思ってしまうのは現代っ子気質が抜けきっていないからか。


「……そういやさ、タミコ」

「なんりすか?」

「今までなんとなく訊けなかったんだけど……お前の父ちゃんってなにしてんだ?」


 これまでの断片的な身の上話を統合すると。

 タミコはこのオオツカメトロ五十階で生まれた。現在五歳半くらい。

 去年まで「カーチャン」と一緒にこの悪鬼ひしめく五十階の隙間を縫うようにして生き延びてきた。

 タミコに言葉や知識や生きる術を教えたタミコ母は一年半前に亡くなったそうだが、そのあたりの経緯についてはタミコはあまり語りたがらない。

 なんとなく、今ならそういう話もできると思った。


「トーチャンは……ちじょうにいるはずりす」

「地上に?」

「カーチャンはナカノ? のもりでくらしてたらしいりす。あいぼうとであって、もりをでていっしょにぼうけんしてたらしいりす。ナカノにもどったときにオサナナジミ? のトーチャンとさいかいして、ケッコンしたらしいりす」

「リスも結婚すんのか」

「リスじゃないりす。まじゅうりす」


 中野出身なのか。中野の森というと平和の森くらいしか思い浮かばない。


「でも、じゃあなんでこんなとこに? 結婚しても狩人の手伝いしてたの?」

「……このオオツカメトロが、さいごのしごとのつもりだったらしいりす。だけど、カーチャンのあいぼうがしんじゃって、カーチャンはここからでられなくなったりす。そのあとにここであたいをうんだりす」

「ああ……ここに来た時点で身重だったのか」


 てっきりここで出会ったものかと思っていたが、タミコの同族がここにいない理由がわかった。


「あたいたちは、レベルがあがってもたたかいにはむかないまじゅうりす。カーチャンはレベル38で、でもあかゴブリンにかてるくらいだったりす。だから……どうやってもちじょうにもどるのはむずかしくて……」

「でもさ、母ちゃんの話だと、メトロって深く潜るほどメトロ獣は強くなってくんだろ? 逆に上に戻れば弱くなってくわけだから、時間をかけてでもちょっとずつ上に戻ったほうが、ここに留まるより安全だったんじゃね?」


 そういう意味では、オーガやオルトロスや昨日のレイスのような化け物に勝てなくても、やつらから最低限身を守れたり逃げられるようになれば、地上に戻れる芽は出てくるはずだ。


「……アベシュー、ごめんりす」

「ん?」

「あたいはひとつ、うそをついてたりす」

「嘘?」

「カーチャンのあいぼう、このフロアでオーガにやられたっていったりす。でも……ほんとはちがうりす」

「どゆこと?」

「それと――だまってたこともあるりす。あたいたちがうえにいけないのは、りゆうがあるりす」

「えっと、どゆこと?」


 タミコは目を伏せて、少し間を置いてから続ける。


「かいだんをのぼったところには、ボスがいるりす。オニつよつよの、オーガもレイスもかなわない、ほんもののバケモノりす」

 

 

 

 タミコの母とその相棒の狩人は、四十九階のボスと死闘を繰り広げた。

 ボスの強さは想定の遥か上であり、狩人はその場で倒しきることを諦め、逃げることを選んだ。しかし入ってきたほうの出入り口は「外側からしか開かない扉」の仕掛けになっていたため、とっさの判断で五十階の階段へと逃げ込んだ。ボスというのはどうやら「特定の階層を縄張りにする強力な個体」という意味合いで、それを倒さないと先に進めないというものでもないらしい。


 この五十階で二人は負傷した身体の静養に努め、時間をかけて準備をした。もう一度ボスと戦い、勝利し、地上に戻るために。のちにタミコに受け継がれたこのフロアの詳細な情報は、そのとき狩人と母が集めたものだった。


 一週間後、二人は再び四十九階のボスに挑んだ。

 そして狩人は破れた。

 タミコの母は一匹で五十階に落ち延びた。そしてその後、タミコを産んだ。


「……カーチャンは、あいぼうににがされたりす。おなかのなかにあたいがいるのをしってたから」

「ちなみに、タミコには一緒に産まれた兄弟とかはいなかったの?」

「きょうだい? いないりす。あたいはひとりっこりす」


 愁の知識ではリスは妊娠期間一カ月程度、平均して四・五匹は産むはずだ。その差はやはりリスではなく魔獣だからということになるのだろうか。


「そのあと、お母さんはどうなったの?」

「カーチャンはずっとトーチャンにあいたがってたりす。だからきょねん、あたいがおおきくなるのをまって、いっしょにだっしゅつしようとしたりす」

「外側からしか開かない扉なんでしょ?」

「どこかにとびらをあけるスイッチがあるはずって、カーチャンはいってたりす。だけど、それをさがしてるうちにおいつめられて……さいごにカーチャンはおとりになって、あたいをにがして……」


 ぽろぽろと涙をこぼし、ちゅんちゅんと鼻を鳴らすタミコ。


「なるほどね……それからタミコはずっと一人でがんばってたのか」


 愁は壁にもたれ、天井を仰ぐ。


「にしても……ボスか……」


 正直、知りたくない現実だった。つい昨日レイスに四分の三殺しされたばかりだというのに、それよりさらに強いやつが立ちはだかっているなんて。しかも話に聞く限り、スルーできる相手でもないようだ。


「ちなみに、ボスってどういうやつ?」

「スライムりす」

「スライム?」


 ゲームならザコ敵の代名詞なのに。


「それって、アメーバ的っていうか、半透明でドロドロした水の塊みたいなやつ?」

「そうりす。めっちゃおっきくて、まるっこくて、きってもたたいてもしなないやつりす」


 認識は合っているようだ。つまりスライム界のキングなりゴッドなりということか。


「どうしてそれを隠してたの?」

「さいしょにあったとき、アベシューはメンタルもよわよわだとおもったから、こころおれちゃうとおもったりす」

「確かに」


 ボッチだったくせになかなか人を見る目がある。最初の時点でそこまで話されていたら、生きることを諦めていたかもしれない。


「つまり……ここのメトロ獣だけじゃなく、そのボスも倒せるくらいにならない限り、地上に出ることは難しいってことか」

 

 

 

 いったん会話が途切れ、しばらく二人とも黙り込んだまま時間がすぎる。

 すでに傷は完治しているようだが、念のためタミコへの治療玉のシャワーは継続している。「あまいりす、あまいりす」と汁をぺろぺろ舐めるタミコ。飲んでも薬効があるかどうかは今後のネズミによる実験で確かめよう。


「タミコはさ、父ちゃんに会いたいの? だから地上に行きたいの?」

「それもあるりす。あってみたいりす。でも……」


 タミコはこてんっと仰向けになり、天井を見上げる。


「……カーチャンからたくさんきいてるりす。ちじょうはとってもキラキラしたところだって」

「キラキラ?」

「たくさんのニンゲンがいて、めんたまがとびでるくらいおっきなまちがあって。ほおぶくろがおちちゃうくらいおいしいものがあって、てんじょうにはおひさまっていうおっきなひかるキンタマがあって……」

「キンタマじゃないよ」

「よるはほしっていうコケのつぶがピカピカいっぱいひかって……みてみたいりす……」


 想像の中の夜空を、目を細めてうっとり眺めるタミコ。


「それに……ちじょうにはイケてるオスがたくさんいるらしいりす」

「急に色気づいたなあ」

「でもあたいはよわよわだから、ここじゃながいきできないりす。いつかはここをでなきゃっておもってたりす。そんなときに……アベシューにあったりす。これがさいごのチャンスだとおもったりす……ぜんしんツルッツルで、かおもツルッツルで、なんにもしらないレベル1のくそよわニンゲンだったけど」

「がっかりさせて申し訳ないね。つか塩顔には触れるな」

「でも……それでも、アベシューでよかったりす。アベシューはいいやつりす」


 愁が驚いて目を向けると、タミコは何度か小刻みにうなずく。


「なんとなく、カーチャンのいってたことがわかったりす。あいぼうってのは、いっしょにいるとワクワクで、ほっとするりす」


 なんだろう。最近このリスにペースを掴まれているような気がしている。リスに照れ顔を見せるのは癪なので、治療玉の汁をかけてごまかす。「あまいりす、あまいりす」とタミコはやっぱり舐める。

 

 

 

 夜になり、ホタルゴケの光が青っぽく変わる。

 愁も毛皮の布団の上に寝転がる。微妙に腹が減っているが、備蓄の食糧も減っているし、今食べると水も飲みたくなるし、そうなるとトイレに行きたくなるし。ということで寝てしまう。寝るに限る。


「……アベシューは、ちじょうにいったらなにをしたいりすか?」


 隣で仰向けになっているタミコがそんなことを言う。


「俺? つっても……まずは外がどうなってるのか、この目で見て、誰かに会って話を聞いてだよな……伝聞だけじゃあ外が今どんな世界かもよくわかんないし……」


 タミコの話が事実なら、平成最後の年から百年が経過していることになる。一度世界は滅び、糸繰りの民なる人々が暮らしているという。だが(彼女を疑うわけではないが)実際に確かめてみないことには事実かどうかもわからないし、まずはその確認が最優先だ。


「それから?」

「それから……どうだろうね。そのあとはわかんないわ」


 地上がどんな世界かもわからなければ考えようがない。ただ、こまごました欲望のようなものはある。


「そうだなあ……とりあえず焼き肉とかラーメンとかうまいもん食って、ビール飲んでベッドで寝て。あともっとマシな服とか着て、スマホがあれば動画見たいし……あとはこんな危険度ブラックじゃない仕事とか見つけて、あとは……けけ、結婚とか……? あー、なんか考えるとちょっとやる気出てくるわな」

「かりゅーどはつづけないりすか?」


 そういう選択肢もあるのか。職業として狩りを続けると。


「まあ……そのへんは出てから考えるよ」


 それがどういう業態なのか、地上での実入りはどれくらいになるのか。他のメトロはどれくらいの危険なのか。他の狩人の意見なども参考にしないと決められなさそうだ。


「いつかやれるりす、アベシューなら。アベシューはいつかすごいかりゅーどになるりす。あたいのめにくるいはないりす」

「光栄だけど、狩人見るのは俺が初めてなんだろ?」

「だって、あたいがあいぼうだからりす」


 愁は思わず噴き出す。彼女の白い腹を数秒こしょってやる。「そこ、そこもっとさわって!」などと哀願する魔獣リス。


「まあ、ド素人の一人と一匹。この半年、この地獄でどうにかやってこれたんだ。いずれはすごい狩人にでもならなきゃ、こっから出られないしな」

「そのいきりす」

「明日からまたコツコツ鍛えていこう。オオカミを狩って、ゴブリンを狩って。いずれあのクソエテコーにもリベンジを……ってのは怖いからずっと先の目標ってことで。とりあえず、そんな感じで行こうか、タミコ」

「りっす!」

「オッスみたいに言うな」


 天井に向けて、ふうっと息を吐く。

 正直、レイスのトラウマはしばらく残るだろう。

 それでもやるしかない。

 こうなったら、いくら時間がかかろうと構わない。

 力をつけて、邪魔するやつはみんなぶっとばして、絶対に地上に出てやる。

 タミコと二人で。


「それと……アベシュー……」

「ん?」


 タミコが自分の尻尾を抱え込んでもじもじしている。トイレにでも行きたいのか。


「アベシューは……ケッコンしたいりすね?」

「いや、まあ……チャンスがあれば?」

「アベシューはあたいとちがってツルツルだし、あんまりこのみじゃないけど……(チラッ)でもせいかくはわるくないりすし、マジメりすし、かていをだいじにしそうりすし……(チラッ)」

「ん?」

「アベシューがどうしてもっていうなら……ほかにいいオスがいなかったら、あたいがケッコンしてあげてもいいりすよ?」

「無理じゃん? お前リスじゃん?」


 タミコが「邪ッ!」と飛びかかり、「抜刀牙!」的に回転して愁の頬をねじ切る。

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