【書籍発売&コミカライズ決定記念短編】ギルバートとチェス


「前々から聞こうと思ったんだけどさ。姉さんって前世の記憶、どのぐらい思い出してるの?」

 ギルバートのその言葉に、セシリアはビショップの駒を持ったまま目を瞬かせた。

 二人は男子寮の談話室でチェスをしていた。

 夜はもうとっくにふけており、談話室には二人以外の姿は見えない。

 驚くセシリアを目の端に止めたまま、ギルバートは続ける。

「前は確か『ひよの』って名前だったんだよね?」

「うん、そうだけど。どうしたの、いきなり」

「別に、ちょっと気になっただけ。……答えたくなかったら、別に答えなくてもいいから」

 気遣うようにそう告げる。

 ナイーブな話になるかもしれないと、ギルバートは今までセシリアの前世の話をあまり積極的には聞いてこなかった。

 しかしそれが祟って、ダンテルートでは常に後手後手に回り、最終的にはあの誘拐事件が起こってしまったのだ。

 最初からダンテの正体を知っていたら。

 これから起こることをもっとちゃんと聞いておけば。

 この世界ゲームがここまで危険だと知っていれば。

 あの時の後悔は、円満に事が終わった今でもギルバートの胸に巣くっていた。

(これからはもうちょっと気をつけておかないと……)

 セシリアの話だとゲームはまだ終わっていない。それどころか三分の一も過ぎていないらしいのだ。

 つまり、ありがちな物語のストーリーラインに則って言えば、今はまだ序盤で、後半のクライマックスに向けて状況はどんどん悪くなっていくはずである。

 もうそれならば『ナイーブな話』云々などとは言ってられない。早急に話を聞き出すべきだろう。

 しかし――

(前世って事は、死んだことも覚えているはずだしな……)

 彼女の傷を抉るような真似はしたくない。

 それも、彼の本心だった。

 ギルバートの気持ちを知ってか知らずか、セシリアはチェスの盤面を見つめたまま渋い顔をしている。

「答えたくないって訳じゃないわよ。ただ、記憶が抜けてるところもあるけど――ここだっ!!」

 セシリアはビショップを盤面に叩きつける。

 渾身の一撃だ。

 ギルバートは考えるまもなく、近くにあったポーンでそのビショップを刎ねた。

「あぁ!」

「姉さんはもうちょっと状況を見て判断しないと」

 ハンデとしてギルバートのクイーンとルーク、ビショップは落ちている。にもかかわらず、戦況はギルバートが優位に進んでいるようだった。

 再び悩み出したセシリアに、ギルバートは問いかける。

「それじゃ、家族のこととかは?」

 一番身近で思い出しやすいところから攻めてみた。

 これで渋い顔をされたら、次はもう少し回りくどいところから聞いてみる予定である。

 しかし、その考えは杞憂だったようで、彼の質問にセシリアは頬を引き上げた。

「それはもちろん、覚えてるわよ! 今のお父様とお母様みたいにお上品じゃなかったけれど、とってもひょうきんで優しい両親だったわ!」

「……なんか想像できるね」

「そう?」

 ギルバートが苦笑を漏らすと、セシリアは小首をかしげた。

 その表情がかわいらしい。

「意地悪な両親の元じゃ、そんな性格には育たないでしょ?」

「そう、かな?」

「もっと根暗で、陰険で、腹黒いやつに育つと思うよ」

 俺みたいに。

 その言葉は飲み込んだ。

 手元のゲームはどんどん進んでいく。

 家族の話になって嬉しくなったのか、セシリアはギルバートに向かって身を乗り出してくる。

「私、前世でも兄弟がいたのよ!」

「兄弟?」

「そう! 実はうち兄弟が多くて。私のほかにはお兄ちゃんとお姉ちゃんと弟がいたの!」

「四人兄弟か。すごいね」

「でしょ? 弟なんか、ギルにそっくりで! よく一緒に遊んだなぁ」

 懐かしそうにセシリアは目を細めた。

 その表情は可愛らしいと思うが、前世とはいえ、実の弟と同じくくりにされたのが、どうにもいただけない。


 ギルバートはポーンをキングに近づける。

 そして、そのまま顔をセシリアに近づけた。

「俺は姉さんのこと、本当の姉とは思ってないよ」

「へ? ギル……?」

「前にも言ったでしょう? 好きだって」

 机の上に置いてあった手を上から握れば、セシリアの顔は一瞬で赤く染まる。

 ギルバートはゆっくりと目を細めた

「ねぇ、こんなに想いを伝えてるんだから、そろそろ気づいてもいい頃なんじゃない?」

「ギル。わ、私も、実は――」


(なーんて、都合のいい展開にはならないんだよなぁ……)

 ギルバートは先ほどキングのそばに置いたポーンをじっと見つめる。

 セシリアと言えば、明らかに悪手だろう手をニコニコしながら打っていた。

 ギルバートの苦悩を彼女は知るよしもない。

 妄想の中ではいつも上手くいくのに、現実とはままならないものである。

(現実の俺は、まだまだ姉さんの弟なわけか……)

 ひっそりとため息を漏らしたその時――

「でも、ギルは弟とはちょっと違うかも」

 そんな言葉が耳をかすめた。

 ギルバートは顔を上げる。

「なんていうかさ、うまく言葉に出来ないんだけど……」

 セシリアは眉間にしわを寄せたまま顎を撫でる。

 わずかにこみ上げてきた期待でギルバートの呼吸は浅くなった。

「ギルってば男らしいし、しっかりしてるし、頼りがいがあるし!」

「……姉さん」

「前々から想ってたんだけど……ギルって、弟って言うより……」

「……言うより?」

「お兄ちゃんっぽいよね!」

 その瞬間、何かがさぁっと引いていった。

 セシリアはギルバートの変化に気づかないまま笑顔で続ける。

「ほら、『ギル兄ぃ』って呼びやすくない?」

「……呼びやすくない……」

 ギルはポーンでセシリアのキングを刎ねた。

「あぁ!」

「もう、姉さんなんか知らないから!」

「なんで!? チェスが弱いから?」

「知らない! 自分で考えて!」

 ギルバートは乱暴にチェスを片付けると、セシリアを談話室に残したまま、さっさと部屋に帰っていった。

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