紙とペンとデジャブ

昼柄広保

第1話 紙とペンとデジャブ

 紙の本を読むとき、ある人はペンで全文書き写せと言った。

 試しにやってみたが、あんまり手間が掛かるので止してしまった。

 またある人はペンでアンダーラインを引いておけと言った。

 試しにやってみたが、これは癖になった。

 学校の授業のせいもある。


「ここは試験に出るぞ。教科書に線でも引いておくように」

「はあい」


 教師はよくそう告げて、教え子達がめんめに線を引くまで見守っていたものだ。

 なので、書斎で読書する際には長いこと赤ペンと栗まんじゅうが手放せなかった。

 これは、いつだか脳みそには糖分が必須だと聞きかじったので、そんならと好きな栗まんじゅうを喰いながら頁をめくるのがルーティーンになったのだ。

 ところが、あんまり喰いすぎて近頃は胃弱が持病になってしまった。

 

「あなた、折り入って話したいことがあるんですけど」


 妻がやってきたので、こっちも思うままにくっちゃべった。


「近頃は何だね。電子書籍というのが出来て便利になったね」

「さいですか」

「でも何だね。こいつは紙の本とは勝手がちがってペンでアンダーラインが引けやしない。どうも困ったもんだ」

「さあ、あたしはちっとも困りませんが」

「何だね。作者の方であらかじめ、ここはのちのち大事な文になるんだからよく覚えといてくださいよってな調子で、アンダーラインを引いておいてくれるとこっちも大助かりなんだがな」

「どうだか。そんなことよりもあなた……」


 妻が話題を転じて、切り出してきた。


「……例の胃腸薬、こないだ一年分買い置きしておけと言うものだから言う通り買ってきたっていうのに、ちっとも服用されないじゃありませんか。水屋ん中で埃かぶっちゃってますよ、ほら」

「あれはいかん。これからは別の胃腸薬にする」

「そんなわがままなことを。それでもほんこないだまではよく利くよく利くといってご自分はおろか知り合いの誰彼さんにも吹聴するほどだったじゃありませんか」

「こないだまでは利いたんだよ、この頃は利かないんだよ! 」

「また駄々っ子みたいなことを」

(⁉ )

「おい、いまデジャブが来たぞ? 」

「は? どこの洋菓子ですか? そりゃ」

「ちがう、ちがう。既視感という代物だ。前にもこんな会話をやったような気がする」

「思い違いというヤツでしょうよ。あたしは何ともありませんわ」

「はて、どこだったかな」


 少し記憶をたぐって思案投げ首してみる。


「そうだ! あの小説の一節だ。まさかこんな処ろで実際に口から吐いて出るなんて我ながら可笑しいじゃないか」

「おかしいって、そりゃ、本の読み過ぎでしょ、あなた」

「おい、おまえにもわかるのかい? 」

「何が可笑しいって、あたしが言ったのはそんな意味じゃありません! 」

(コトン)


 つっけんどんに言い放って、妻は胃腸薬と水の入ったコップが載ったお盆を鼻先に突きつけてきた。


「さあ、四の五の言わずにさっさとこれを飲んじゃってください」

「やっぱり本を読む時にはアンダーラインを引くに限るな。デジャブとは聞いていたが、まさかこんな形で実体験できようとは思ってもみなかった。さっそく日記にでもつけておこう」


 そして、彼が言った。


「おい、紙の帳面とボールペン、どっかに余ってなかったかな? 」

「いつも三日坊主じゃありませんか。あたしだって、あなたのその台詞は聞き飽きましたよ」

「ふむ。それをデジャブって言うんだ。決して洋菓子の名前なんかじゃない」

「威張ることですか?」


 妻はあきれて、プンプンしながら書斎の外へ出ていってしまったのだった。

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紙とペンとデジャブ 昼柄広保 @rakuo33

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