第52話 女子高生たちは判断が早い

 雛は真っ直ぐ一階まで降り正面玄関へ向かう。幸いまだ校内にゾンビはやってきていないようで、玄関前の通りを授業が終わったばかりらしい生徒数人が談笑しながら横切っていった。

 別に彼女たちをわざわざ呼び止めて「ゾンビがくるよ」なんて言うほど雛はお人好しではないし、現時点でいたって平和ないつも通りの日常を過ごしている彼女たちが雛の言うことを信じるはずがない。せいぜい頭のおかしな三年の先輩だと思われて終わりだろう。と判断する。

「よい、しょ……!」

 玄関口を閉めながら雛は考える。

 まず、第一に気にかけるべきは雛たちがこれから籠城することとなる今いる校舎『専攻科目棟』を完全に外から隔離すること。

 そして今、雛と薫子以外に内側にいる生徒がいないかをチェックすることだ。いくら雛たちが施錠しても他の者たちが扉を開けては本末転倒なわけで。


「あ、あのー……」


 そうこうしていると、背後からすごーく控えめな声をかけられた。

 振り向くと少し離れた位置から雛を窺う小柄な生徒……中等部だろうか? おさげ髪がよく似合う、いかにも文学少女といった感じだ。どこか幼さを残した可愛らしい天使のような美少女が一人立っていた。

 さっき授業が終わったばかりでもうクラス棟から専攻科目棟の中まで来た? いや、きっとこの子もサボりだったのだろう。授業をサボりそうな子には見えないのだが、それよりも。

「あなた、ひとり? 中等部の子?」

 だったら、と雛は詰め寄る。

「えっ、は、はい! 芝です……しばちとせ……中等部三年です。あの」

「オーケー芝さん。とにかく今は手を貸して欲しいの! 私は一階の出入り口を塞ぐから芝さんはまず一階全部の窓の鍵をかけてカーテンも閉めてくれる? それと他にも生徒がいたら絶対外に出さないで!」

「あっは、はい!」

 どうして? という云返は出なかった。

 たしかに中等部の少女、ちとせにとってはいきなり高等部の先輩に鍵を閉めろだの外に出るななど言われ何がなんだかわからない状態なのだが、それ以上に、あまりにも真剣な顔だったので彼女は本気で言っているのだと、ちとせは理解した。

 加えて彼女はあまり人のお願いを断れない性格だったのも功を成したのだろう。

 言われたままに一階の窓という窓を閉めていく。

 その最中で校庭の方から男の悲鳴が聞こえたが、ちとせはそれを無視して雛に言われた通りの作業を続けた。




 何が起こったのか。どうしてこうなったのか?


 聖エーデル女子学院の生徒たちが初めて、ようやくそれをだと認識した頃にはすべてが手遅れだった。校内の三分の一の人間はゾンビ化し、クラス棟の一階は完全に崩壊していた。

 校舎のあちこちで文字通り引きちぎられるような悲鳴が上がり、恐怖と絶望が波及していく。

 それでも多くの、ほとんどの生徒が校舎外を目指しパニック状態で玄関口に雪崩れ込む中、涼風葉乃すずかぜ はのは友人たちを含むクラスメイト数人と共に玄関とは逆方向にある二階非常階段扉から外の踊り場へと出ていた。

「なんなの!? ねえ! なんなのあれ!?」

「やばいって絶対やばい! やばいよやばい!」

 非常階段に集まった誰もがパニック状態で、中には大泣きしながら他の子に介抱されている者もいる。葉乃はグループのちょうど中心あたりにいた。階段の手摺りから少し頭を出して下を覗けば、真下の駐輪場ではゾンビが数体で何かに群がっている。

 奴らの間から見えたソレはおそらく人の足だろう。教師なのか生徒なのかは、すでに皮膚を纏っていないグロテスクな肉塊からは判断できないが……その光景はどこか、道端でたまに見かけたバッタに群がる蟻の群れを彷彿とさせた。

「とにかく屋上に行こう。それで鍵をして助けを待とうよ!」

 クラスの委員長が先導しようと立ち上がり、その時であった。ガガンッという音が彼女たちの丁度真下から鳴り響いた。

 何の音だ、とは誰も言わなかった。言わずともわかったからだ。一階の非常階段扉がゾンビに破られたのだと。

 ──瞬間、彼女たちは蒼褪め


「いやああああああ――――!!!!」


 グループ内の、泣いていた子が発狂して階段を駆け上がっていく。それに続いて全員いっせいに走り出した。校舎は四階建てだ。しかも非常階段から屋上に直接行くことはできず四階内部の階段を経由しなければならない。一階から、おそらくこちらに上ってくるだろうゾンビに捕まる前にはやく屋上へたどり着かなければとグループ内で押し合いへし合いが始まった。


「何してんの早く行ってよ!」

「ねえはやく走って! はやく! おせえんだよ!」

「このブスまじうぜえんだよどいて! どけよおおお!」

「離せよてめえが後ろだろォーがッ!」


 罵詈雑言をわめき散らして、普段のみんな仲良し一致団結といった女子グループの姿などそこには微塵もなく。そしてそんな彼女たちの騒ぐ声は、一階の非常階段扉を破ったゾンビたちを誘き寄せた。

 くぐもった声と共にカン、カン、と鉄製階段を上る足音が鳴るが、騒ぎで彼女たちは気づかない。

 それでもなんとか彼女たちはゾンビに追いつかれるよりも早く四階非常扉までたどりついた。先頭にいた委員長がドアドブに手をかける。


「…………あれ?」


 何度かドアノブを回し、回して、ただでさえ蒼白だった顔がさらに絶望色に染まる。

「何してんの早くドア開けて!」

「委員長! はやく!!」

 後ろから急かされ、しかし委員長はぼろぼろと泣き出して、震えた声で言う。


「ドア……あかない」


 扉は、内側から鍵が閉められていた。

 学校の非常階段や屋上が常に開け放たれているなんて、漫画やドラマの中だけの話なのだ。一体何のための非常階段なのかと問いたくなるが、現実ほとんどの学校は生徒が勝手に出入りしないよう最低でも最上階に通じる扉だけは施錠している。聖エーデル女子学院も同様だった。生徒の安全だか校則だかをきっちり守るその素晴らしき行いは、彼女たちに最悪の結末をプレゼントした。

 わめき散らしていた彼女たちは、委員長の「あかない」という言葉の意味が瞬時に飲み込めず放心したあと

「ああああああああっ――――!!!!」

 爆発したかのように委員長を押し退けドアへとぶつかっていった。

「いやあ! いやだああ!」

「どうして!? お願いあいてえ! 開けてよおお!」

「だれかあ! だれかあけてええええ!」

 全員が狂ったように扉を蹴り、体当たりし、ドアノブを引っ張り、何度も回し、なんとかして壊そうとしている。だがそのすべてが無駄だと嘲笑うかのように扉はびくともしなかった。

 その中で葉乃は、ひとり周囲を見渡していた。決して現状に恐慌していないわけではない。彼女だって皆と同じようにできることなら泣き叫び命を乞いたいわけで、しかしそんなことをしている場合ではないとギリギリの理性が踏み留まらせていた。なんとかして活路を探せと恐怖を押し殺して、探す。

 ふと、自分たちのいる四階非常扉の隣、距離にして二から三メートルほど……だろうか? 校舎壁に取り付けられている排水用パイプの存在に気がついた。それは地上から屋上まで伸びている。そう、屋上までだ。

「…………パルクール……」

 誰にも聞き取れぬほど小さく呟く。

 中学三年頃まで近所に住んでいた大学生に教えてもらって少しかじっただけのものではあるが、それでもこの場所からパイプへ飛び移るくらいなら……出来るはずだ。技なんていらない。ただおもいきり飛んで、掴まればいい。それだけ。

「…………」

 葉乃は振り返る。ドアに必死で体当たりをしているクラスメイトたち。こちらに向かってくるゾンビたちの足音は、もうすぐそこまできていた。

「……いける。いく……私なら、できる」

「はーのん?」

 友人たちの中でも席が隣りということもあり、一番葉乃とよくしてくれていた子が引き攣った顔を浮かべ聞いてくる。

「どうかしたの……?」

「…………あの」

 あそこへ飛び移れないかな、一緒に……という言葉が喉まで出かけて、止まった。ゾンビたちの姿がとうとう三階と四階を繋ぐ踊り場に見えたからだ。

「……ごめん」

 数年間共に過ごした友人たちの悲鳴を背に葉乃はひとり手摺りに足をかけ、飛んだ。

 一度も振り返らず、悲鳴は絶叫に変わり、一度も振り向かず、彼女はそのままパイプにしがみ付いて屋上まで登りきる。


 屋上には誰もいなかった。

「…………鍵」

 まずは屋上扉がちゃんと閉まっているか確認する。大丈夫。こちらもきっちりと施錠されていた。

 しかしどうしたものかと葉乃は小さく肩を落とす。たしかに屋上は安全だろう。今のところは。ここで救助を待つのも手だとは思うが、いかんせん何もないのだ。今あるのはポケットに入れていたスマホだけ……これでは救助が来るまでにここで餓死するか干からびて死ぬか……なんて考えていたら、視界にひらひらと動くものが入ってきた。

 隣の校舎、『専攻科目棟』の屋上から縄梯子が下ろされている。それをしているのは同じ高等部の女子二人と中等部の子が一人。彼女たちは葉乃に向かっておいでおいでとジェスチャーし、連絡通路の方を指差していた。

「……あー、なるほどね」

 二階連絡通路のを歩けば『専攻科目棟』へ移れる。屋根なら三階くらいだし、今いる屋上から少しだけ降りて、あとはうまく受け身をとれば着地できるはずだ。

 たしかに救助を待つならあちらの方がいいかと葉乃は一度制服の汚れをはたいて落とし、呼ばれるままに移動を開始した。





 その学院にはすでにかつてのきらびやかなお嬢様学校という景観はなく、すでに大半のゾンビは外へと出て行ってしまったのだろうか。パッと見た感じ校庭や校舎を数体がうろうろしているだけでそこまでの危険性はなさそうに思えた。

 まあこの場合は俺、山本紘太(異能力チート持ちのおっさん)目線での考察なんだけどね!

 俺はひとまず〈索敵〉をして、そのあと〈探索〉を発動させる。

「…………ん?」

「おいどうした? 敵か?」

 俺が顔を顰めたのに気づいて後ろから声をかけられた。

「ん、いや……少し気になることがあっただけっすよ! あとやっぱり生存者はいるみたいですね」

 どうやら校舎の上の方に四人いるようだ。

 俺があのあたりかな、と指差すとめんどくせえなあみたいな顔をされた。

「めんどくせえな」

「いや言っちゃったよこの人」

 そう。今回の俺はショッピングモールの時と違い一人で聖エーデル女子学院の調査に来ていない。


 ヤスの兄貴と一緒だった。


 え、なんで? なんでこの人ついてきたの? なんでえ? と俺はもうず――――っっと思ってるしめちゃくちゃ嫌だ。あとおじさん異能力チートだけどやっぱりヤクザは怖い。だって何しでかすかわかんないんだもん。ストレスでおしっこちびりそうだよ……

 トホホと肩を落として隣を見れば

「とりあえず行ってみるしかないね、紘太さん!」

「で、ござるよ!」

 チョコ太郎と秋月ちゃんが「頑張ろう!」と励ましてくれた。

 ヒュー! 秋月ちゃんやさしー! おじさんきみの優しさでもおしっこちびりそうだよー!

 そして彼女の手にはここにくる前に〈魔力付与〉と〈強化〉を組み合わせて作った俺特製のとある武器が握られている。自分で言うのもなんだがなかなかの自信作だ。フッフッフ……なんとこの武器は


「ほら行くよ紘太さん、ゾンビがいないうちに」

「ア、ハイ」

「もたもたしてないで進むでござるよ。まったくこれだから中年は」

「う、うるせー!」


 こうして俺たち三人と一匹は聖エーデル女子学院の崩壊した校門付近の瓦礫上をひょいひょい渡りながら、敷地内へと足を踏み入れたのである。


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