48話 勝者の表情

「うおっしゃあああああああっ!」


 俺が雄叫びを上げると、ロゼッタも喜びの歓声をあげる。その横でスカルツヤもエルナンドも絶叫していた。


 勝ったんだ。

 ロワードがデビュー戦を勝利で飾ったんだ、こんなに喜ばしいことはない。


 俺も転生する前、本田であった時のデビュー戦の事は今でも覚えている。忘れるわけがない。

 前日の計量を終えるまで緊張のあまりほとんど眠れなかった。

 計量をパスして、すぐに食いに行ったのだがラーメンである。本当に美味かった。

 その夜は、これまでの緊張が嘘のようになくなりよく眠れた。

 試合当日は、緊張よりもワクワクとした期待感の方が大きかった。

 遂に俺もプロボクサーとしてデビューできるのだと、引き籠りだった俺が漫画の主人公に憧れて飛び込んだボクシングの世界。そこで俺も遂にプロとして、リングに上がれると思うと、本当に嬉しかった。

 夢の一つが叶った瞬間だ。そんな大きな一歩を踏み出した瞬間を忘れるわけがない。


 ロワードは、自分が勝利したことすらわからないくらいに、消耗しているように見えた。

 フラフラと自分の出てきた選手入場口に向かって歩き出すと、バンディーニが慌てた様子で駆け寄ってくる。

 ロワードは遂に力尽きるとその場で前のめりに倒れるのだが、それをバンディーニが受け止めて退場となった。


「だ、大丈夫かしらロワード?」

「試合には勝ったけど、かなり危険な状態に見えた。俺ちょっと様子を見てくる」

「私も行くわロイム」


 スネークからダウンを奪う直前、ロワードはほとんどノーガードの状態で十数秒間、滅多打ちにされていた。

 正直、現代のボクシングであればレフェリーストップが入り、TKO負けになっていてもおかしくないくらいの状態に見えた。


 俺とロゼッタは階段を駆け下りると選手控室へと向かう。

 しかし、ロワードの部屋に入ろうとした所で、ボンゴエ教官に止められた。


「ロイム、今は中に入るな!」

「なんでだよ! そんなに酷いのか?」

「わからない、あの後ロワードはすぐに気を失ってしまった。今はバンディーニが見ているから、ロゼッタお嬢様も」


 ボンゴエの表情はかなり険しかった。

 俺達のことを叱るような感じではなく、ただただ今の状況に困惑している、そんな風に感じられた。


 仕方がないので俺とロゼッタは大人しく待つことにする。

 ロワードの控室の前で二人、壁に凭れながらバンディーニが出て来るのを待つ。

 しばらくすると、バンディーニがボンゴエ教官に中に入るように言った。

 俺とロゼッタには、もう少し待つようにと、それだけ言って扉をバタンっと閉めてしまう。

 それでも俺達は待ち続ける。

 いつしかその場に二人座り込み、ロワードが回復するのを待ち続けた。

 頭上からは観客達の歓声が響いて来る。

 5000人の声が大きな波となり押し寄せ、コロッセオ全体を揺らしているように感じた。


 どれくらい待っただろうか、もう拳闘大会も終わりを迎えようか、そんな時間になっていた。

 いくらなんでもこんなに待たせるなんてと、俺は沸々と胸の内に沸きあがってくる嫌な予感を抑えつけるように待つ。

 すると、廊下の向こうから誰かがやってきた。

 何人かの従者を引き連れて現れたのは、トーレス・マスタング、ロゼッタの父親であった。

 トーレスは部屋の中に入るとすぐに出てきて、座り込んでいる俺とロゼッタのことを見下ろした。


「立ちなさいロゼッタ、帰るぞ。今回は残念な結果になった」


 トーレスはロゼッタの腕を掴み強引に立ち上がらせると、引き摺るようにしてその場から去ろうとする。


「ま、待ってパパ。残念な結果ってどういうこと? ねえパパ? 待ってよっ!」


 俺はその様子をどうすることもできずに茫然と見つめているしかできなかった。

 そして、少し離れたところでロゼッタが叫ぶ。


「嘘よそんなのっ!」


 父親の手を振り払うとロゼッタはこちらに駆け戻ってきた。

 そして選手控室の扉を開け放つと中に飛び込む。


 俺は気が付くとフラフラと吸い込まれるように部屋の中に入っていた。

 バンディーニとボンゴエが肩を落として、椅子に座っている姿が見える。


 その奥、木で出来た長椅子の上に横たわるロワードの姿、胸の上で両手を握り眠っている。

 腫れ上がった顔が痛々しい、でもそれは試合後のボクサーの表情かおであった。

 やり遂げた、成し遂げた、そんな誇らしげな勝者の表情をしている。

 俺にはそんな風に見えた。


 ロゼッタがボロボロと涙を流し始める。

 なんで泣いてんだよ?

 しゃくり上げながら俺の胸に飛び込んでくると、大声を上げて泣き始めた。


「うぁぁあああああ、死んじゃったよ! ロワードが死んじゃったよロイム、ああああ、どうして? どうすればいいのロイムぅぅぅううっ!」


 は? 死んだって。誰が?


 何を言っているのか理解できなかった。

 ロゼッタの言っていることの意味がわからずに俺は呆ける。

 すると、バンディーニがゆっくりと立ち上がり、俺の方へ向き直る。


「バンディーニ? 言っている意味がわからないんだけど?」

「そのままだよ……ついさっき、ロワードは息を引き取った」


 悔しげな表情を浮かべるバンディーニ。

 ボンゴエも声を押し殺しながら涙を流している。


「はは、冗談だろ?」

「本当だロイム。ロワードは……死んだんだ」

「馬鹿言ってんじゃねえ! ロワードは勝ったんだぞ! デビュー戦を勝利で飾ったんだ! それが、死ぬわけがないだろっ! どうして試合に勝った奴が死ぬんだよっ! そんなふざけた話があるかよっ!」


 俺はバンディーニを押し退けると、横たわるロワードの肩を掴み揺さぶる。


「おいロワード! いつまで寝てんだよ? おまえ勝ったんだぞ! 早く起きて皆に自慢しろよ! 拳闘士として俺達よりも先に……先に行ったって」

「ロイム! やめてロイム! もう……やめて……」


 ロゼッタが俺の背中に縋り付いて泣いている。

 バンディーニも堪えきれずに涙を流している。


 俺は皆の姿を見つめながら、これは本当に現実の出来事なのだろうか? と思うのであった。




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