25話 ミット打ち

 いきなり山の斜面を駆け上がれと言われても無理に決まっている。

 足元は舗装されていない岩肌が剥き出しの地面だ。

 木の根がボコボコと出っ張っている場所や、季節的にも落ち葉が多く滑りやすい。


 俺達が履いているのは革でできたサンダルである。

 当然、トレッキングシューズなんて物があるわけもなく、ツルツルと滑って一歩踏み出すのも一苦労だ。


「くっそ! こんなの、滑落したら死んで終わりだぞ!」


 不満をぶちまけながらもやるしかない。

 バンディーニは俺達をおいて、スイスイと器用に斜面を登って行く。


「先に上で待っているから早く来いよ。ビリだった奴は罰として豚小屋の掃除だあ」


 その言葉に皆は、「げぇ」っと声を漏らして、登る速度を早める。


 それにしても、足腰は鍛えてきたつもりだが、山登りがこんなにキツイものなのかと思う。

 クライミングとまではいかないまでも、トレッキングと呼ぶにはあまりにも過酷なコースだ。

 足を滑らせないように、踵はつかずに、爪先に力を入れて上がって行かないと無理だ。


 バランスを崩さないようにする為に、足だけではなく全身の筋肉も使う。

 確かに、効果的なトレーニングであるとは思うが、こんなトレーニングでは体を痛めてしまうのではないかと俺は不安になった。


 見上げると、他の三人は俺よりも5メートル程先を行っている。

 先頭はロワードだ。


「ちっくしょぉ、負けるかよ」


 俺は気を吐き、なんとか追い縋るのだがどんどん引き離されてしまい、結局皆よりも30分ほど遅れて斜面の上に辿り着いた。


「ロイムがビリだなあ、じゃあ次の豚小屋当番はおまえだ」


 バンディーニがそう言うと、ヤクがケラケラと笑い、ディックはまあしょうがないねといった顔をした。


 次は絶対に一番になってやる。


 息を整えながら俺はバンディーニに質問してみた。


「これは確かに、全身の筋肉をバランスよく鍛えるにはいいかもしれないけど、身体を痛める危険性も高くないか?」

「ん? まあそうだね」

「膝や股関節にかかる負荷が大きすぎるよ。水泳とかの方がいいと思うんだけど」

「じゃあ川で一泳ぎするかい? 関節を痛める前に凍死しちゃうね、温水プールなんてないんだよ?」


 確かにそうだ。

 今の季節は冬。部屋にいても凍死する恐れがあるくらいに寒い。

 あまりにも寒い日には皆で身体を寄せ合って寝ることもあるくらいだ。

 死なない為には嫌でもそうするしかないのである。


「君の言いたいことはわかるよロイム。無茶なトレーニングで故障してしまっては本末転倒だからね。でもねこの世界では、私達が現代で使っていたような安全なトレーニング機材はないんだ。多少の無理をしても、ある物で代用していくしかない。かと言って、オーバーワークを強いるつもりはないから、危ないと思ったらすぐに止めていいんだからね」


 バンディーニの言う通りだ。

 俺は現代の、安全面に配慮された機材に慣れ過ぎてしまっていたのかもしれない。

 この世界の拳闘士達は、こうやって自然の中で身体を鍛えるしかないのだ。


「よーし、それあじゃあ休憩は終わりだ。帰りはこの斜面を駆け下りるぞおっ!」


 そう言うと、バンディーニはとんでもないスピードで山を下って行った。

 ていうか、下りの方が危ないだろうが、足滑らしたらマジで死ぬぞっ!



 練習場に帰り着く頃にはもう足腰はガクガクであった。

 筋肉痛を残さない為に、軽くランニングで流しながら帰ってきたのだが、最早そんなの意味ないだろうと言うくらいに筋肉が張っている。

 流石に他の皆もヘトヘトになっており、ヤクなんかは練習場に着くなり仰向けにぶっ倒れて、もう無理だと文句を言っている。


 それでも練習は続けられる。


「よーし、次は順番にこいつだあ。ロワードからやるぞお」


 そう言ってバンディーニが掲げた手に付けられている物を見て、俺はつい興奮して声を上げてしまった。


「ミ、ミット打ちっ!」

「そうだ。こいつは町の革細工技師に特注で作ってもらったものだ。勿論、私のポケットマネーでね」


 得意気なんだけど、なんだか暗い顔でそう言うバンディーニ。

 相当高かったんだろうなあれ。


 それにしても、まさかミット打ちができるとは思わなかった。

 さっきまでの疲れはどこへやら、逸る気持ちを押さえつつ自分の番になるのを待つ。


 最初はロワードだ。

 ミット打ちはとりあえず基本のジャブ打ちと、ワンツー打ちを行っている。

 ウィービングをしながら、バンディーニの指示通りにパンチを繰り出すロワード。

 時折バンディーニが手を出すと、ロワードの顔面にヒットする。


 ロワードはパンチを戻すとガードが下がる癖がある。

 それを矯正する為に、何度も何度も繰り返し同じ動作をさせている所らしい。

 どうやらミット打ちはまだ慣れていないらしく、まだまだたどたどしい感じではあるが、相変わらず良い右ストレートを打つなと思いながら、俺はロワードのミット打ちを眺めていた。


「よーし、ここまでっ!」

「ありがとうございましたっ!」


 バンディーニは水を飲んで一息吐くと俺を呼んだ。


「次はロイムだっ!」

「待ってたぜっ!」


 久しぶりのミット打ちに俺は興奮しながら前に出る。


「ロイム、様子見はなしでいくけどいいかい? それとも今日は勘を取り戻すだけにするかい?」

「冗談。全力でいくぜ」


 その言葉にバンディーニは口元に笑みを浮かべるとミットを構えた。


「ジャブ!」


 まずは軽くジャブを入れる。


「ジャブ! ジャブ!」


 次にジャブのダブル。


「ジャブ! ワン・ツーっ!」


 次第に回転を早めて行く。


 練習場には、パン! パン! と、リズムよく革を打つ渇いた音が鳴り響き。

 その音に釣られるように、次第にギャラリー達が寄って来て俺のミット打ちを観戦し始めていた。


「ウィービング! もっと早く」


 俺は更に体を揺らす速度を上げる。

 左右に、八の字を描くように。


「ジャブ! リバー!」


 バンディーニがミットを右わき腹に構えると、俺はそこにリバーブローを思いっきりぶち込んだ。


 ドン! と言う音が響くとバンディーニは顔を歪めながら少し後退り、驚いた表情を見せて俺のことを見つめていた。


「これは……参ったねぇ……」


 そう呟くと、バンディーニは嬉しそうに笑みを浮かべて俺のミット打ちはそこで終わり、ギャラリーも解散となった。


 久しぶりのミット打ちで、俺は爽快感とストレス発散をできた気分だった。

 拳に残る、ジンジンとした熱い痛みを懐かしく思う。


 それにしても……。


 俺は拳を見ながら布と革ベルトを捲いただけでのミット打ちはマズイなと思う。

 両手のナックル部分の皮が剥けて血が滲んでいた。

 これではすぐに拳を痛めてしまう為、俺はなんとかしないといけないと思うのであった。

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