第27話精霊の見えない俺だが

 朝、目を開けると、約束通りメディアレナはまだそこにいた。




「おはよう、リト」




 うつ伏せでベッドに肘をついていた彼女は先に起きていたらしく、俺が目覚めたのに気付くと身体を起こした。




「…………おはようございます」




 俺の髪を撫でると、彼女がベッドから立ち上がった。




「今日は私が朝御飯作るから、リトはゆっくりしていて」




「先にシャワー行ってからね」と、薄いワンピース型の寝巻き姿の彼女が離れていって、思わず伸ばした手を慌てて引っ込める。




 戸が閉まって一人になると、俺はベッドに半身を起こしたまま両手で顔を覆った。




「…………………うああ、何てことだ」




 昨夜の醜態を思い出して、羞恥でベッドの上を転がった。まるで子供みたいに泣いて彼女を引き留めてしまった。


 これでは彼女の母性は擽るだろうが、異性として意識なんて論外だ。




「ああ、情けない」




 あんな夢を見たばかりに。いや、俺が望んで忘れないようにしたわけだが、それでも思い出したくはないものだ。




「そうだ、俺…………」




 口元に手を当てて考える。


 悪夢にうなされて何か口走っただろうか。




 着替えを済ませ階下に降りたら、メディアレナはシャワー中らしくてリビングにはいなかった。剣を手にして玄関を開けると、夜中に雨が降ったらしく野は湿っていた。




 一人剣を振り、いつものように鍛練をする。悪夢の名残を振り切るように身体を動かしていたら、すぐに汗が滴った。夏の雨上がりの、もわっとした湿気と相まってベタベタした身体が気持ち悪い。




 30分ほどしてから家に戻り、汗を流そうと脱衣場の戸をノックした。シャワーの音も声もしないのを確認してから扉を開けた。




「うな、お!?」




 とっくに風呂から出たと思っていたメディアレナが、脱衣場に付いている鏡を全裸でぼんやりと見ていた。




「………………………ん?」




 強烈な視線に、ようやく気付いたらしい。メディアレナが、ご丁寧に体ごとこちらを向いた。




 水気をたっぷり含んだ黒髪が、白く艶かしい体に流れていた。滴る雫が玉のように輝く肌を伝い、豊かなふくらみ、に……




「ぶふうっ!?」




 ボタボタと赤い液体が俺の鼻から噴き出し顎を伝い、俺はガクリと膝を付いた。




「リト、血が!」




 床に広がる血溜まりに、メディアレナが慌てて駆け寄って来た、全裸で。




「メディ、まっ、来ないでくださ、ふぐ」


「見せて」


「いや、あなた見えて」




 彼女の指が、俺の鼻の頭に魔方陣を描く。


 哀しいかな男のさがで、入り込む液体を荒い呼吸で阻止しながら、俺は目だけは全力で見開いて彼女を映した。


 近い、近いぞ!




「ほら、治ったわ」


「う、うう」




 座り込んで微笑むメディアレナの横を這い、震える手で籠からバスタオルを取り出した俺は、それで彼女の体を包んだ。




「あ………」




 自分が裸だという事実を今思い出したらしく、メディアレナはタオルの前を合わせて、ほんのりと頬を染めて恥じらった。




 く、可愛い、悶え死ぬ!




「ご、ごめんなさいね、ぼうっとしてて」


「い、え………ぐっ」




 正直な体をもて余し、俺は鼻を押さえて這いながら脱衣場をなんとか脱出すると、戸を閉めた。




「なんて…………攻撃力だ」




 前世の俺が見たら、情けなさで頭を抱えるだろう。心は大人でも体はそれに追い付かず、視覚的な刺激が強すぎたのだ。




 それにしても、メディアレナは落ち着きすぎじゃないか。


 俺に見られても緩い反応だったな。子供だからって、俺は男なのに。




 悔しい気持ちと素晴らしいものを見た幸福が入り交じりながら、俺は彼女の作ってくれた朝御飯を食べた。




 隣でジャガイモのスープを飲む彼女をチラチラと気にしていたら、ふいに目が合ってしまった。決まり悪くて俺が俯くより早く、彼女が口を開いた。




「リト」


「はい」


「昨夜は……………」




 言い澱む彼女に、自己嫌悪を覚えながら謝った。




「昨夜は、申し訳ありませんでした。色々と気遣ってもらって、そのガキみたいに泣いてしまって……………」


「いいのよ、気にすることないわ」


「それと、さっきの…………ことも」


「ああ、あれは私がぼんやりしてたから鍵も掛けずに………気にしないで」




 気にしてくれ!


 逆に落ち込んでしまった俺を、メディアレナがフォークを皿に置いてじっと見つめてきた。




「リト、夢は…………どんな夢を見たの?」


「……………………それは」


「嫌だったら言わなくていいの、ただ」


「ただ?何かうわ言で言ってましたか?」




 内心の動揺を隠しつつ、俺は彼女を窺った。




「名を呼んでいたような…………」




 そうか名前………だが現世のメディアレナには分からないはずだ。適当な作り話で誤魔化すか?だがいつか話す時に、それではややこしくなるだろう。いっそ打ち明けるか?


 信じてもらえるだろうか?




 考えると、ふいに疑問が湧いた。




 待てよ、彼女が前世を知ることに意味があるのか?知れば、俺を見る目が変わるとでも思っているのか?




 前世で好きだったから、今も好きになると…………それは本当に今の俺を見ているのか?


 俺は『メディアレナ』をちゃんと好きなのか?




「リト、大丈夫?」


「え、ああ、それで僕は何て言ってましたか?」


「それが………」




 メディアレナは俺の反応を見ながら小声で答えた。




「サディーン様、って」




 そっちか!


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