第152話 進みを変える機会

「出発するぞ」

 イフレニィはセラに向けて声をかけた。

 移動すべく荷車の取っ手を握る。いつもの出発の合図だが、セラは急に動きを止めた。

「少し待ってくれ」

 そう言いながら屈むと、取っ手側の荷台側面、その下部にある何かへ手を伸ばす。手を捻るような動作をすると、がこんと低い音が鳴った。

「そろそろ、改良したいな」

 セラの口から恐ろしい言葉が呟かれる。

「準備できた。行こう」

 改めてセラは取っ手を握る。足を踏み出すや、今呟いたことを話そうとしているのだろう開きかけた口を見て、それを遮るべく尋ねた。

「今の操作はなんだ」

 イフレニィは頭を押さえる。話を逸らすつもりが、音の出処について尋ねてしまっていた。もちろん好奇心はあった。これまでにも、ときおり何かをしていることはあったのを見ていたのだ。だがイフレニィが訊きたいのは、狭い範囲の簡潔で短い答えである。無論セラが、それだけで終わるはずもない。

「変速機構を操作してたんだが」

「へんそく……そうか」

 やはりセラは頷くと、流れるように改造の話に移っていった。

「人を乗せた分の調整をした。ただ、あまり良い出来とは思ってないもんでな。次はどう改良しようか頭を悩ませている……だから部品の噛み合わせを……それで……」

 すぐにイフレニィの脳はそれらを危険な信号と捉え、排除すべく処理を始めた。視線は固く前方に据え、頭だけは適度に頷きを返す。

 この旅で身に付けた技術だ。専門技術と言えば格好良くさえあるが、他で役に立つとは思えない。

 荷台から物音がした。頭を覗かせたのは小僧だ。ちょうど良いところに起きだしてくれたと、イフレニィは即座に振り向いて調子を確認する。

「体調はどうだ」

 小僧は足をさすりながら答えた。

「良いわけないだろう」

 疲労で倒れ、妙な符で恐怖を味わい、果てはバルジーの蹴りを喰らっていた。ひ弱そうだが、思ったより頑丈なようだ。

「そこの引き手。あの常識外れの符はなんだ」

 小僧はいつもの調子を取り戻し、不遜な態度でセラを咎める。しかしセラは人の態度など気にする男ではない。聞かれた通りのことを、そのまま馬鹿丁寧に返そうとする。

「大まかにいえば精霊力の制御機構を組み込んだ符で」

「それは聞こえていた!」

 小僧はセラの説明を遮った。言いたいのは文句であって、本当に概要を聞きたいわけではないだろう。セラも気が付いたようで言い方を変えた。のだが、残念ながらやはり真意は汲み取れなかったようだ。

「ああ、常識から外れて見えたのか。そんなことはない。ただの基礎式の組み合わせだ。まあ基礎式同士ではあるが、各層間に発動に跨る起爆式を仕掛けた。僅かな時間差を出すための式を、他の式に影響しないように挟み込んでいくのは骨が折れたが、地道に組み込んでいっただけのものだよ。その狭間の式で精霊力の流れを留めておき発動後に全ての抑制を解くようにした。ただ、おかしなことに、効果発動後に一時滞留していた精霊力が力を増すように注がれてしまった。本来なら発動には発動時点までの精霊力が使用され、その後の流れは無効となる。その仕組みを利用して過剰分を散らすようにしたはずなんだ。それが効果を及ぼした時点――あんたの体を魔術円が包んだ時、余剰分さえも有効化されてしまった。何を見落としたのか分からないが……一から組み上げなおすよ。害はなかったようだが、驚かせてすまなかったな」

 横で聞いてしまったイフレニィも、思わぬ被害をうけてしまった。眩暈を感じ目蓋に指を添える。小僧を見れば、頷きつつも険しい目でセラの後姿を見据えていた。

「ふんッ! なかなか小細工に長けているようではないか。理屈は確かに聞かせてもらった。もういい」

 イフレニィは目を見開いていた。セラの催眠術に掛からないとは、悔しいが見直すべきだろう。元老院で育ったのだから話が理解できて当然かもしれないが、己の地位に胡坐をかかずに学んでいたのであれば、そこには敬意を払うべきだ。目障りな人物だからといって、彼らの努力まで否定すべきではない。

 セラの目は、これまでにないほど輝いていた。

 話を聞いてくれたのみならず、返事が返ってきたことがよほど嬉しかったのだろう。空恐ろしい光景だが希望も湧いていた。

 これならもう、イフレニィに対して「弟子にならないか」とにおわせた話題は上がらないかもしれない。

 小僧の言葉にセラは幾度も頷くと、めくるめく魔術式の世界へ没入していった。どこか遠くを見ている状態のことだ。いつもと違うのは、鼻歌交じりなことだった。

 この数ヶ月を共に旅して初めて聞いた気がするその声は、首を絞められた鶏のようで、イフレニィはそそくさと荷台の後方まで撤退した。

 小僧と目が合い素直に賞賛を述べる。

「元老院で育っただけはあるじゃないか」

 しかし小僧は眉間を寄せて口を歪め、複雑そうな気分を飲み込んだような表情を浮かべる。ちらとセラの背を見たあと、目を尖らせてイフレニィを見上げると声を落として言った。

「あれが理解できるわけないだろう!」

 俺の感心をどうしてくれると、イフレニィが表情をなくして見おろせば慌てて言い訳が続いた。

「私は魔術式使いだ。技術者でも研究者でもない! 符の力を最大限に引き出す使い手なのだ! その結果を元に研究者も進歩や改善ができるのだぞ」

 精一杯踏ん反り返り、イフレニィを下目に見ようと努力しているが荷台に詰められたままでは、うまくいってないのが哀れだ。

「その忌々しい目付きはなんだ。今は貴様が気後れするところだろう!」

「そうだな、十分落ち込んだ。もういいか?」

 イフレニィは荷車から数歩離れ、定位置についた。

「貴様も符使いなら、よく覚えておけ!」

 さらに小僧は口角から泡を飛ばし、喚いている。残念ながら、符使いなどという金のかかる技術は持たないことにしている。大抵の旅人同様、お守り代わりに数枚でも持っていれば十分だ。

『異常だから一枚で十分』

 バルジーの言葉が頭を過ぎる。

 厄介な精霊力のお陰で、数枚あれば十分の意味が、今では違うものになっていることを苦々しく思う。

 気が滅入りそうになるが、今は無心に歩こうと雑音も雑念も、意識から排除すべく深呼吸した。


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