第144話 吐露

 バルジーの目には深い闇があり、静かな怒りが滲んでいた。反対に表情は、泣きそうに歪む。

「前も言いたかった。あの人たち、悪いことしてるってわけでもないでしょう。なんで少しくらい、真面目に話をしてあげないの」

 バルジーは礼儀を気にしたり、お節介を焼くような性格ではない。無愛想なイフレニィの態度を改めようだとか、窘める意図があって言っているのではないのだ。

 ――だったら、なんだ。

 イフレニィの背筋を、これまでにない嫌な緊張が這い、拳を固める。

「嫌いでも、なんでも、繋がりのある人達がいる。存在してるんだよ……私には、あなたの不満が分からない」

 不意打ちを喰らったように、思考が止まった。女騎士らと相対している間、不機嫌な様子をを見せる時があることには気付いていた。それが何のせいかなど分からなかった。立場が違えば、理解の助けが乏しいのは当たり前だ。しかし、そこまで腹を立てる何かがある。そして、これまでバルジーが頑なに口を閉ざしていたことに関係するのだと直感する。止めるべきか否かと口を開きかけて、別の声に遮られた。

「どうした」

 不穏な空気を見て取ったのか、セラが隣に立っていた。何かあれば仲裁するつもりでいたのだろうが、バルジーの続く言葉に黙した。

「あの異変が、起きたとき」

 息を呑んだ。やはり、そこに戻るのだ。

 家族を亡くしたとしか聞いてはいない。それは多くの者がそうだ。だから、誰もそれ以上のことを聞きもしない。だがバルジーは、怒りに背を押されてか、全てを吐き出そうとしているようだった。

 そんなことをする必要はない――そう言いたかった、イフレニィは止める言葉を飲み込んだ。そこまでしてでも叩きつけたいのならば、受け止めるべきなのだろう。

「この変な精霊力が、なんなのかも分からない時だった。だから信じてたわけでもないのに、なぜか危険だって言われてるような気がして……街から離れた場所で、野草採りの仕事をしてた」

 バルジーの身体にまとわりつき、常に何かを発動し続けているような、精霊力。

 その詳細は、今までバルジーがはぐらかし、イフレニィが知りたかったことでもある。

「空が割れて、息が白くなるほど急に空気が冷えて、振り向いたら、世界は白い靄で曇っていた」

 バルジーが降る雨を受け止めるように、視線と、右の手の平を空へと向ける。その時に、そうしたのかもしれない。

「風もないのに、何かが薙いでいった。景色が欠けながら、砂みたいに流れ落ちていくの。空気まで崩れていっているように苦しくて、止めたいのに、体は動かなかった」


 ――まさか、誰も目にした事のない、精霊溜りの。


「私の身体を、おかしな精霊力が外から閉ざしたから。世界が白く染まり、崩れていく光景が遠ざかっていって、必死に手を伸ばしていた。私だけが、破壊の外へと押しやられていたの」


 ――空が割れるような衝撃の中にいて、生き延びた。


 恐らく、精霊溜りの中で起こることを唯一知る人間だ。

 謎の精霊力は、精霊溜りの中から、バルジーを救いだした。そこには、確かに、誰かの意思が介在している証拠に思えた。

 なぜ、どうやって――多くの疑問は追いやられる。バルジーの声と共に、イフレニィも、その場に居るように体の芯が冷えていく。あの晩に印を刺した痛みが思い出されて、気持ちは記憶の光景へと重なっていく。バルジーと共に、空を見上げた。三色の光の帯から染み出るような金の粉が、体の自由を奪う毒のようだった。

「目に映っていた、すべてのものが粉々に崩れ去り、静かになった。雲も、遠くに見えていた懐かしい街並みも、今採っていた草も、地面から溶けたようになくなって……まるで音の無い空間だった。飛ばされて仰向けに倒れているのだと気付いても、視界にあるのが、白いのか、暗闇なのかも分からなかった。ただ、全身が擦り切れたように痺れて動けなくても――辺りにある命は、私だけだってことだけは分かったの」

 バルジーの視線は空を見上げて揺らぎ、黒いまつ毛を震わせる。その時に、流した涙を拭うこともできず、瞬きで払ったのだというように。

「一瞬だった気もするし、今もまだ、あの場所にいるみたいな気がする」

 頭を戻すと、焦点を遠いどこかからイフレニィへと移し、語気を強める。


「みんな、いなくなった。なにもかも、なくなったんだよ」


 その声も、体にも、小さな震えが覆っていた。恐怖、悔恨、切望――ずっと抑えこんできたものを、表に出すまいとするかのように。イフレニィには、せめてもと視線を逸らさず、バルジーの言葉を受け止めることしかできない。

 バルジーは目を伏せた。そのまま力が抜けたように座り込み、膝を抱えてうずくまる。

 イフレニィが印を使用したときにかかるバルジーの負担。今は、イフレニィにも、その苦痛の度合いが理解出来るようだった。長い間、記憶を頭の奥に追いやって過ごすことのできたイフレニィとは違い、バルジーは、過去の痛みから逃れる術はなかった。謎の精霊力は、肉体は怪我などから守ってきたのだろうが、そのせいで精神の傷は膿んだまま。

 遠ざけたいと思うような者でさえ残らなかった。全てを失ったのだ。それまで生きてきた、痕跡の全てを。

 イフレニィの生き残りの民に対する態度を見れば、苛立ちは無理もないことだろう。現在までの生活で築いてきたことであり、イフレニィ自身の相容れない気持ちが変わることはない。だが、あの晩に受けた衝撃というものは、多くの者が巻き込まれた歴史的な被害であり、共通の特別な問題だ。その上でなお。

 ――こいつには、俺も、誰にも、何も言えはしない。

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