第131話 後退

 もう、女騎士を馬鹿にした気持ちを隠すことはしない。イフレニィは警戒心から横目に動向を窺うだけだ。代わりに、言葉を失くしたように立ち尽くしていた周囲から、非難の声が上がる。しかしそれは女騎士に向けられていた。

「そ、そんな。ようやくここまで来れたというのに、今、貴女が去るなど!」

 女騎士は騒ぐ者を睨むと扉へ向けて一歩近付き、イフレニィの返事がないことを聞こえなかったと捉えたのか繰り返した。

「あなたの旅に、同行すると言っているのです」

「なんの為だ。お前らのせいで滅茶苦茶だ。もう構うな」

「代償を払えと、ご自身でおっしゃったでしょう。しばらくの間、私も祖国へ費やす時間を、あなたの人生を垣間見るべく同行させていただきます」

 今ここが崖なら、後先考えず飛び降りていたかもしれない。イフレニィは頭を抱えたくなるのを堪えて、扉に手をかける。

「そっちは何を払うか選べて、俺は押し付けられる。これがお前の言う等価か」

 女騎士は唇を噛み締める。言葉を飲み込んでいるようだった。

 廊下に出たセラ達だが、どうするのかと問うようにイフレニィを見て立ち止まっている。その背を出口へと押す。

「あなたの言葉は正しい。ですが、今私に出来るのはこれが精一杯なのです。お許しください」

 いい加減にしろと、叫びたかった。つい声を荒げてしまう。 

「別の奴を探せと言った。これだけ生きてるなら、どこかで食うに困ってる奴がいるだろう」

 先ほど問うたときと同じく、周囲が再び息を詰めたように静まったことに、イフレニィは不審な目を向けていた。

 それまで代表の傍らで静かに控えていた補佐の一人が、前に出る。

「回廊の進行が、あまりにも早い。不安に、人の心が散り散りになる前に、生き残った民への求心力が必要なのです。特に、主王の威光が。もちろん総力を挙げて探しておりますが、間に合うかどうかの瀬戸際に来ているのです」

 捲し立てるように説明する様子は、内心の動揺を反映してか、取り乱したようでもあった。男の瞳に、青はない。そこにも違和感はあるが、イフレニィは初めて、元老院側の正直な意見を聞けたと感じていた。

「予備を手元に置いておきたい。そういうことか」

「仰せの通りです」

 どれだけ、探したのだろうか。初めはそれほど気にしておらず、最近になって本腰を入れたのか。ふと、女騎士の様子が変わったことが過った。出会った時はイフレニィの意向を知って引き、居所を押さえるに留めた。過剰な説得が始まったのは、再会後だ。何かが起こったという推測は、当たっていたということだろう。それに関して瞬く間に湧いた幾つかの推測は追い払った。何故か、など、これ以上の詳細など知りたくはない。

「だったら、初めからそう交渉すべきだったな。俺は旅人だ。臨時契約で、組合に出しとけ」

 もちろんイフレニィに引き受けるつもりはない。

 それを耳にした途端に、小僧が息を吹き返したように立ち上がった。

「己の祖国を、そんなものでッ!」

 イフレニィは強く遮る。

「何度言や分かるんだ、コルディリーが俺の故郷だ。お前らは俺の故郷なんぞより、自分達の祖国が大事だと貶めているんだよ。分からねえか」

 扉に手をかけて立ち止まっていたイフレニィは、言いながら廊下へと出た。見送るように後を付いてきた代表が、重い口を開き、軽く言う。

「宣言した通り、我らが引き留めることはない。皆も肝に銘じるように。急いて無理を押しすぎましたな」

 実際、無理に引き止める気配はない。しかし、どこに得体の知れない魔術式道具の罠があるとも知れない。そのせいで悠長にしている可能性を考え警戒は解かないが、もう最後まで聞かずにイフレニィは出口へ急いだ。

 魔術式の大広間は入り口の近くだ。薄暗い通路から、外への大きな扉はすぐに見えた。なぜかセラとバルジーは、イフレニィの焦りに反してゆっくりと歩いている。

「何してる。急げ」

 二人の背を追いたてながらも肩越しに振り返れば、案の定まだ諦めきれないのか、絨毯軍団がぞろぞろと後を付いてくる。結構な見送りだ。鬱陶しいが、行く手を阻むようなことはしてこない。代表の決定事項を守ることで、規律を維持しているのは真実なのかもしれないと思えるものだった。

 いよいよ出口の扉が開かれれば、外から淡い光が差し込む。魔術式灯だ。その向こうには、光の粉が散る夜空が広がっていた。

 その時、足音が響き、首を巡らせる。集団の先頭に出てきたのは人攫い男だった。灯りに浮かび上がる表情には、納得が行かない感情が表れていた。

「それで、こんな夜更けにどこへ行くつもりというのだ。街に用があるのだろう。だが小さな街だ。帝国と違い、宿も早くに閉める」

 引き留めようと食い下がっているようだが、決定事項のためか、直接的な言葉は避けているようだった。しかし、どういうわけか、連れ去ったときよりも拘っているようで、顔には焦りの色が濃い。また無法を働かないとは限らない。イフレニィは再び警戒心を強めながら、入り口の外で男へと体を向けつつ後ずさった。

「工房を訪ねるだけだ。それも用事があるのは、そっちの商人」

 首だけ傾けてセラを示す。振り返ったことで、視界に入った他の者達の向ける視線の違いにも、気が付いた。イフレニィが存在しないかのように話していた会議中とは、明らかに違う。侮り、品定めし、主王家の特徴だけに向けられていたはずの視線は、今や真っ直ぐにイフレニィを見ていた。

 イフレニィの背筋に悪寒が走る。

 思い当たるのは、先ほどの決闘で見せた精霊力――普通でないのは理解していたはずだった。符を使ったことは、予想以上に不味かったのだ。

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