第124話 人質

 元老院の制服らしき赤い衣装を纏った絨毯男は、イフレニィが大人しく連行されなければ罪人として捕らえると言い放った。そもそも武器を手に囲んでいるのだから、まともな待遇など期待できはしない。

 男は元老院の使いと断言したわけではなかったが、発言の端々から堂々と連行するだけの権限を有しているらしいことは窺えた。無理にでも話を聞けということなら、女騎士と髭面もそうだったが直接的に脅しはしなかった。彼らとの違いは、ここまで強行するなら解放される見込みがないということだ。

 ただ、初めから捕らえないということは、できるならば穏便に運びたいとは考えているのだろう。もちろんイフレニィのためなどではなく、男の身にとってだ。

「そこから出られる保証はないだろ」

 イフレニィが低く吐き出した言葉に絨毯男は、くぐもった笑い声を漏らしながら、呆れたというように首を振った。その笑いは唐突に打ち切られる。イフレニィも背後に高まった精霊力の流れに気付いて振り返れば、複数の魔術円が展開されている。嵐の符――バルジーが符を片手に鉈を構え、今にも飛び出しそうに腰を落としていた。挑発としか取れない男の言葉に業を煮やしたのか、暗い目はますます陰る。

「止めろ!」

 この展開の滑らかさはイフレニィが渡した質の悪い符のものではない。セラに新しい符を作らせたらしい。そんなやたら通りのいい符で嵐の範囲術式など使えば、敵味方なく巻き込まれる。一足前に出ようとしたバルジーに、イフレニィは手を伸ばす。

「っ……展開!」

 予想外の行動だったのだろう、泡を食った絨毯男が応戦を指示する。同時にイフレニィは、バルジーをセラの方へ突き飛ばしていた。展開された円が掻き消えるのを見て、また振り返り叫ぶ。

「待った、攻撃はしない!」

 既に全方位には魔術円が展開されていた。やはり元老院の者なのか、扱いに慣れている。符の質も段違いに良い。イフレニィはそれらを視線だけで確認すると、剣を鞘に納めた。セラに向き直り、バルジーを抑えていろと目配せする。切れると見境がない。牙をむいて絨毯男を睨みつけ、抑える腕を振り払おうともがいているバルジーを宥めるべく、首根っこを掴んで囁く。

「雇い主を守りたいなら、手を出すな」

 その言葉で我に返ったのか――そうだといいが、ともかくバルジーは動きを止めた。渋々ながら後退し、セラを庇うように立つ。相手も場所も悪い。二人は解放されるだろうが、手を出せばそれも出来なくなる。落ち着いたのを見届けたイフレニィは、改めて絨毯男へ目を向ける。

 目的は自分であることは承知だというような態度で、イフレニィは横柄に告げる。「なんの用か、聞こう」

 余計な戦闘を避けられるならば、ごね続けるよりはましになると考えるしかなかった。

 一人ならば逃げられなくはない。囲まれていてさえ、今のイフレニィには符を使えばどうにかできる確信があった。相手がそこらの盗賊ならば、迷わず撃退しただろう。しかし、まだ仮定ではあれど、元老院という組織からの逃亡となれば話は別だ。

 ここで逃れて海を渡ることができるかどうか。帝国に戻ったところで、どんな理由をこじつけて捕らえるように触れを出すともしれない。

 イフレニィは、溜息を飲み込む。

 自分だけならば、そこまで悩む必要はない。居合わせたセラとバルジーを、最悪の形で巻き込むかもしれないことが、イフレニィの足を留めていた。一度伏せた目を戻せば、絨毯男の訝し気な視線と合う。なにか企みでもあるのかと疑ったようだが、僅かに逡巡した後、渓谷を先へ進めと促され、言われるままに足を向けた。

 バルジーから向けられた不機嫌な視線は、あえて無視した。


 怖れていたことが、現実になりつつある。

 及びうる被害について考えはしたが、実際に目の当たりにすると身が竦む。

 頭が拒絶するのだ。

 ただの考えすぎだった。そんなことが本当に起こる筈はない、と。

 どこまで本気なのだろう。血筋だけで、人を攫うまでのことをするなど。

 悪い方にばかり考えすぎると思っていた。

 その癖、甘く見ていたのだ。人の内に潜む狂気を。傍から見ればいかにも平和に暮らしているからといえど、人の営みに、業に、変わりはない。大昔から、ずっと。

 さらなる問題は、女騎士のような生き残りの民ではなく、元老院がそこまで手を貸すことについてだった。


 大岩に遮られて見えなかったが、橋を渡った先の川原には馬が並んでいた。わざわざ川で待ち伏せていた理由の一つが、これだったようだ。しばらくは、これまで通ってきた森の道と変わりないらしく、手勢とイフレニィらを運ぶための馬車やらの置き場は他にないとのことだ。

 イフレニィら人質は、幌馬車ではなく人を運ぶための箱馬車に詰め込まれた。道幅に合わせて大きなものではないため、五人も乗れば身じろぎするのも難しい窮屈さだ。後ろにイフレニィとセラ、バルジーの三人、向かいに白黒二人が座る。結局、髭面たちも強引に押しかけたのだ。セラの荷車は、他の馬に繋がれ後方に続いていた。

「俺の荷車……」

 セラは気もそぞろに後部の小窓から、背後を覗き見ている。

 ――そっちより自分の身を心配しろ。

 こんな状況でも相変わらずなセラに、自分の苦悩はなんだったのかと思えて、イフレニィは溜息を吐く。馬車は飛ばしており道も悪い。セラの肩に手をかけ、座るようにと目で指示する。不意に転がるのもまずいが、何より、揺れる度に肘が肩に当って痛かった。セラは名残惜しそうに一度振り返った後、前を向いて腰を落ち着けた。

「巻き込んで、すまない」

 顔を向けることはできず、セラの横顔を視界に捉えると、イフレニィの口からは思わず謝罪の言葉が漏れていた。礼のつもりの護衛の筈が、厄介事を持ち込んでしまった。

「いいさ」

 いつものように、セラの表情に変化はなく、返事は短いものだった。

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