第122話 惑わしの森

 街道よりは、ただの山道といった趣の、森の中を進む。

 残念なことに、心洗われるような静けさは異様な鼻歌で台無しだ。イフレニィは異音の放たれる先を、眉間に皺を寄せつつ横目に見る。バルジーが、調子外れな行進曲を口ずさんでいるのだ。

 実在する歌ではなく、思い付きなのだろう。眩惑の芋道がどうとか堕落の蜜がなんたらとか、いつもの如く内容は不気味なもので、言い回しは怪しいが中身のないものだ。

 それを耳から排除するべく、辺りの景色へと意識を向ける。景色といえど、目に入るのは連なる木々と歩き辛い道だけだ。

 馬車も通れるよう、それなりの道幅はあるのだが、帝国側の手入れの行き届かない場所と比べてさえ見劣りする。よほど利用者が少ないのだろうか。領内で大抵のことが賄えるというなら、それはそれで大したものではある。

 しかし、多くの国と取引のある組織の拠点だ。幾ら最新の魔術具があるといえど、転話具越しだけの取引などできはしない。現物は送り合わなくてはならないのだから。

 それに、新たな港を増やしてまで両者は繋がりを維持した。アィビッドとの物資のやり取りも、頻繁に行われているようだった。大体、幾ら先進的な道具を作り出す頭脳が揃っていようと、原料がなければ役に立たない道具だ。帝国から鉱石を都合しているだろう。代わりに最新の道具を真っ先に渡すような取引があるのではないかとイフレニィは睨んでいた。

 視界に髭面と女騎士が入る。今まで想像に委ねていたものの内容を、知っているかもしれない者がここにいる。それが少しばかり不思議な気分だった。だが尋ねる気はない。こちらは本来の目的のついでに考察しているだけのものだ。仕事の内容について興味本位で尋ねるのは、さすがに憚られる。迂闊に訊ねれば、対価に何を要求されるかもしれない相手だ。緊急を要することでも起こらない限り、最終手段だと心に留める。それより元老院の――新たに考え始めたところ、不快な韻律が遮った。

「理性をかどわかすー、芋に魅せられ、いざ行かんー」

 興に乗ってきたのか、バルジーの鼻歌はしっかりとした声となっていた。考えに集中することで、どうにか意識を逸らしていたというのにと、苛立ちを超えて脱力する。いつものことだと、大きく息を吐いて平静を保とうと努めるのだが。

「たとへ朽ち果てーかばねとなろうと、いざ甦らんー。それは、い・も。芋のためー」

 ――頼むから黙れ。

 思わず横目に睨むと、バルジーは無表情ながら瞳だけは楽し気にぎらつかせ、片手を振り上げながら歌っている。鬱陶しいことこの上ない。

 バルジーの奇行など常なのだが、どうにも癇に障る。違う国へ来て落ち着かないせいだろうか。長閑のどかな場所に見えるが、やはり知らない場所では気が抜けないのかもしれなかった。

 午後もしばらくは、そうして進んでいたのだが、慣れるどころか苛立ちは募っていった。苦しいわけでもなかったが、無意識に服の首元を引っ張っていることに気付く。

「日が暮れる前に渓谷へ着ける。早めになるが、そこで野営するといい」

 髭面が、セラへ提案めいた命令を下していた。声につられて目を向ければ、髭面がこちらを一瞥した。体調が悪いとでも勘違いされたようで、無用の気遣いだと言おうとしてやめた。川があるなら休むには丁度よく、反対する理由はない。

 疲れたのか飽きたのか、バルジーもようやく口を閉じ、森には静けさが戻っていた。それでもなお、何かが絡みつくようで苛立ちは消えない。おかしな歌のせいで呪われたに違いないと、胸中で悪態をついた。


 そろそろ渓谷へ着くかという頃、その違和感にはっきりと気付いた。不快な気分は、なにも歌のためだけではなかったらしい。

 煩わせるものがある。気のせいではなく――干渉している。こういうものの正体といえば、大抵は何かの精霊力。

「速度を落とせ。足は止めるな」

 イフレニィが隣に抑えた声で告げると、バルジーは即座に前方へ走り、セラの肩を掴んで揺すり伝えた。声が届かない距離ではないが、セラは考え込んでいることが多いため、そのような取り決めをしていたのだ。そのままバルジーは、背後のセラを守るように先頭を歩く。すでに鉈を取り出していた。まだ気配があるというだけなのだが、気が早いのか、血の気が多いのか。しかし今は呆れている場面でもない。イフレニィ自身は後方へ意識を向け、他の気配がないかと探った。

「何事か」

 初めの一声で、すでに辺りを警戒していた髭面が問うてくる。

 お前らの手下がへましたんじゃないか、と言いかけて飲み込み、疑いの目だけは向けつつ答えた。

「精霊力だ。こっちを窺っている」

「フィデリテ」

 イフレニィの言葉を聞くや、髭面は女騎士へ声をかけた。その時点で、女騎士から異常な精霊力が発せらる。

「やめろ」

 気付かれたと相手にばれるかもしれないだろうが――そう言おうとして、声は喉に張り付く。女騎士の襟元から、光が漏れ出しているのが見えた。その精霊力は、質が違う。初めて見るはずが、よく覚えのある、自分以外の精霊力だったのだ。

 ――あの光は、喉元にあるのか。

 思わずその光に見入ると、女騎士は柔和な面に微笑を形作る。その理由を、言われる前から分かっていた。その精霊力は普通のものとは違う、印から発せられるものだ。失敗した。視線を逸らすが、女騎士には何から逸らしたのか知れただろう。それが言葉に表れていた。

「大丈夫ですよ。ご存じのように、私の精霊力は些か特殊なのです……確かに、精霊力の流れがありますね」

「遠見の魔術具か」

 女騎士が確認すると、髭面がそれが何かを予想する。イフレニィも同意見だったが、距離があるために気付くのが遅れる魔術具など、他に知識がないためだ。

「直轄領へは、まだ二日は先だったな」

「その通り。物見にしては気が早い。警戒態勢に入ったと報告にはなかったが、変更されたか。もしくは」

「こんなところにまで盗賊か」

 魔術具なんて高い物を使える盗賊など、以前に出くわした行商人もどきくらいのものだろう。物資の定期便があるというなら、その予定を知っているはずだ。

 仮にそんな盗賊がいたとして、こんな寂れたような道を維持に金のかかる道具まで使って、いつ来るともしれない獲物をわざわざ待ち伏せするだろうか。ありえないことだった。いっそ、ここで留まって出方を待つか。いや、相手の縄張りだろう森の中で、様子を見るのも馬鹿らしい。

「進んだ方が、ましか」

「それがいいだろう」

 イフレニィの呟きに髭面も同意する。

「後ろを頼む」

 二人を信用するかは別として、ひとまずのイフレニィの仕事は商人セラの護衛だ。セラの左側背後へ進み、右前方を進むバルジーとで、護衛対象者を挟むよう位置する。イフレニィは剣は抜かず、柄に手を添えたまま辺りを警戒しつつ進む。

「まだ距離はあるが、考え事に浸るのは控えろよ。その間にぐっさりといったら洒落にならん」

 忠告と、気休めの冗談のつもりだったのだが、セラは逆に不安を滲ませた。自分には人を気楽にさせるような才能はないということを、船での体験と共にイフレニィは思い出していた。それ以上は黙ることにして辺りの様子を窺う。セラは荷車に突っ込んでいたらしい細身の剣を荷物の隙間から取り出して、腰の革紐に繋ぎだす。護身具を身に付けずにどうすると呆れる。警戒してもらう分には、イフレニィの気休めも丁度良かったようだ。

 森の半ば、警戒して前の街へ戻るには遠すぎる。相手は道に慣れているだろう。抜け道もあるかもしれない。

 そして、またこの問題――イフレニィらは徒歩なのだ。

 もちろん相手が盗賊とは限らない。人気ひとけがないからこそ、遠くまで警戒のために兵を巡回させている可能性もある。しかし森では視界が悪い。砦もなく兵が遠見具を使うことはないはずだ。だから髭面も否定はしなかったのだろう。

 攻撃を受けるかもしれないと考えれば、撤退して回り込まれるよりは進んだ方がましだと考えた。

 戻れば良かった、進んでいれば良かった。どちらの後悔を選ぶかだけのことだ。

 その筈だった。

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