第111話 隔たり

 昼間の約束を果たすため、イフレニィは女騎士の泊まる部屋に招かれていた。セラの部屋と比べて、ここには寝室と別に応接用の部屋が分かれている。船内では、広々としていると言ってよい部屋だろう。それだけで、かなり贅沢な客室だと分かるというものだ。

 今イフレニィ達は、部屋の真ん中で、床に固定されている大きな食卓を囲んでいた。一人でとは言われていないためセラとバルジーも連れて来たのだが、半ば予想していたのか、女騎士は戸惑うような微笑を浮かべつつも追い返しはしなかった。セラとバルジーの間にイフレニィが座り、向かいには女騎士だけだ。意外なことに、髭面は席を外していた。警戒させるとでも思ったのだろうが、今さらの配慮だ。

 食卓に視線を落とせば、特別に作らせたのか、まともに調理されたものが数点並んでいる。しかも、二人で話すつもりだったにしては量もあった。さすがに船上のためか、そう豪勢とは言えないが、イフレニィ達が食べているものと比べれば格段に上だ。両隣の二人は、大喜びで喰らいついた。イフレニィは、腹が鳴らない程度に口にするに留める。女騎士も同じ考えのようで、少量を口にしただけで食事を終えると茶を手に取る。イフレニィも温かい茶で喉を潤すと、女騎士は笑みを消し口を開いた。

「二人きりでお話したほうが、良いのではないかしら」

「聞かれて困ることは何もない」

「随分と、その方々を信頼されているのね」

 イフレニィは努めて無感情に、女騎士の視線を受け止める。反応を見るようなつまらないことは、もうせずともいいだろうと思うのだが、別の意図があるのだろうか。それとも、またいつイフレニィが出て行くかと迷い、言葉を選んでいるのかもしれない。

「この面会の証人とでも思ってくれ。後ろ暗いことは何もないという意味だ。あんたが聞かれて困ることがあるってのなら、それは話さなければいい」

「あ、私達にはお構いなく。ご飯食べてますから」

 食べ物を詰めこんで頬を膨らませたバルジーが、顔を上げて横から口を出す。余計な口を利くなと睨めば、バルジーは再び皿にかじりついた。

 改めて女騎士を見る。やはり、違和感は気のせいではない。愁いを帯びた瞳は、不安気にも映る。北で初めて会ったときは、もっと自信に満ち溢れていた。その勝手な正義を振りかざそうと、激情を抑えているようにも見えたほどに。

 思い返せば次に会った鉱山でも、当初と比べればやけに態度は軟化していたようだった。イフレニィが旅立ってからの間に、何かが起こったのだろうか。そして今は、さらに気落ちしているようにも見える。

 何かが起こったとして、回廊の状況が悪化の一途を辿っているということならば、ますますイフレニィ一人に構っている余裕はないだろう。もしくはそのことで、トルコロル跡地へ急いで戻らねばと焦っているのだろうか。縋れるものには全てに縋るその一つとして、ついでにイフレニィを取り込もうと画策しているのかと考えは及んだが、それも不自然なことだ。

 ただ、その陰りを帯びた微笑は、イフレニィとの対面時にある。髭面が話を聞けと念を押して来たのも、その何かが、イフレニィと無縁ではないことを物語っていた。これから聞かされるのだろうか――聞いてしまってよいものだろうか。鉱山街の食堂で聞かされたこととも別の、悪い知らせという気がしてならなかった。

 何故ここまで拗れたのだろうと、ぼんやりと思う。

 単に手を貸せというならば、簡単な話だった。組合に指定依頼でも出せばよかったのだ。そうすればイフレニィも余計な反感を抱くことなどなかった。依頼の指示に工夫は要るだろうが、そこまで面倒は見きれない。

 イフレニィの意識が逸れかけたところで、女騎士は諦めたように、疲れた様子のまま話し始めた。

「こちらの話ばかりで申し訳ないのですが、出来れば今一度、現状を知っていただきたいと思います。予想はついているでしょうけれど、私たちは元老院へ向かっているのです」

 予想したかどうかはともかく、頷いておく。

「今はミッヒ・ノッヘンキィエ元老院と呼ばれる魔術式の研究機関となっていますが、彼の地も元々は一つの国でした。現在も、研究施設としている中央城周辺の街は維持されています。そこに、我ら同胞はご厄介になっているのです」

 つい顔が強張る。この物言いがうんざりするのだ。たまたま同じ国出身というだけで同胞扱い。同郷なのは事実だが、この女からは、志まで同じくあるべきという意味合いを感じるのだ。そこに俺を含めるなと、怒鳴りたくもなる。

 わざわざ生き残った民の現状を、イフレニィに伝える意味は、王の血筋にあるためだ。そこから垣間見えた事情から、女騎士が言うには、同胞と呼ぶ者らを扇動しろということだ。住むどころか向かうことさえ過酷な場所へ、国を建て直す為に進めと。

 イフレニィは、一生城に入ることさえないと考えてきた。王なんぞになるなど、夢ですらみたことのない者に、かなり遠いが辛うじて主王の血筋だからと、皆を騙すような真似をしろと言うのだ。

 怒りが、膝の上で握り込んだ拳を軋ませる。

 普通の感性をしているなら、悪行と言い切ってもいい行為だ。それを平然と言ってのける目の前の女と、祖国を思い出として語り合うことが出来るかもしれないなど、土台無理な考えだったのだろう。

 もし指定依頼を出すとしたら、どのような内容になるだろう。特殊な件とはいえ、通常の配達依頼とそう変わりはないだろう。届けるものが、物か人かというだけの話だ。そんな皮肉を胸中で吐き捨て、衝動を堪えた。今回ばかりは、逃げ出すわけにもいかない。

 そんなイフレニィの葛藤など黙殺し、女騎士は静かに続けた。

「王足りうる者が、共に生きている。それが、どうにか彼らを支えています。ですが、あまりに長い時間が過ぎました」

 イフレニィに聞かせているにしては、視線は遠くへ向けられていた。共にというならば、元老院に預けられた若い魔術式使いのことだろうか。それは当たっていたのだが。

「準備に、これだけの時間が必要だったとも言えます。そこに私が加わることで、力になればと考えていますが」

 再び女騎士は強い視線を向け、声は食堂でイフレニィに告げた時のような熱を帯びる。

「二人の副王が揃うならば、さらに民は主王を望むでしょう」

 不快さを抑え込み、イフレニィは目を逸らさずにいた。わずかに、女騎士は身を乗り出す。

「もし王の中で誰か一人、生き残って欲しいとすれば、それはやはり主王なのです」

 吐き気がした。

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