第109話 自問自答

 女騎士からの挨拶を受けて、いよいよ腹を括らねばならない時が来たのだと、イフレニィは溜息交じりに項垂れる。

 いっそイフレニィ側から提案することも考えていたのだが、機会を設けるにしろ時間を取るのは難しい。今は一作業員であり、毎日の休憩時間は変則的なものだ。

 今回は向こうも無理に話そうとはしなかったが、まだ日が残っているのだから、何か行動を起こすだろう。

 できるならば仕事を理由に、船を降りるまでは無視を決め込みたかったが、そこで別の不安がよぎった。もし髭面が強権発動したらと考えてしまったのだ。

 ただ、海上では船内の規定が優先されると聞いている。今後のやりとりが気まずくなるようなことは、軍だって避けたいだろう。幾ら末端の一時雇いとはいえ――末端だから、気にも留めないだろうか。ちょっと時間を取らせてほしいと頼まれれば、そのまま陸まで長い休憩を言い渡される可能性もある。嫌な話までさせられた上に、金まで受け取れなかったらと考えると痛い。

 悪い方へ進む憶測を断ち切り、考えを初めに戻した。

 イフレニィら作業員に取れる長めの休憩は、晩飯時くらいのものだ。どうせ回避できないなら、話はその間に限定してくれと暗に訴えてみてはどうかと考えた。無関係の組織に迷惑をかけずに済むことに加えて、乗り気でない側からの初の提案ならば、妥協して飲むのではないかと。些か楽観的ではあるが、他に不快度を最小限に抑える手段など思いつかない。

 それが叶うならば、向こうが話したいらしいことも、情報を限定して聞き出すこともできるのではないか。忍耐力も、それくらいなら持つかもしれないと、幾分希望の混ざった判断を下すことにした。

 零れそうになった溜息を噛み殺す。

 ――何故だろうな。

 とかく情報には飢えているはずで、垣間見たことから推測はすれども、直接聞きたいとは思わないでいる。それで事実を聞かされるとは限らないからということに加えて、本心では知りたくもないのだ。

 なにやら国々の思惑に触れそうな事柄が潜んでいるのは確かで、イフレニィの立場から、聞いてどうなると思わせるということもあった。

 まずいとは思えど、痛みがすっかり消えてから、焦りはなくなり気は緩みきっている。それでも、バルジーから離れれば再発すると分かっているから、旅を続けていた。イフレニィが知りたいのは、痛みをなくす方法だけ。それにまつわる諸々の事柄など、どうでもよかった。

 しかし、コルディリーを出てから、何ヶ月経つのか。

 そろそろ焦り始めてもいい頃合だ。

 焦ったところで船速も、徒歩での進みも短縮できはしない。

 そんな中でも、出来る限りのことはやっているつもりだった。滞りなく二人の旅に付いていけるように、日銭を稼ぎつつ。

 だからこそ他に出来るのは情報を集めることくらいで、ここには重要なことを知っているだろう者がいる。良い塩梅に海の上に閉じ込められて、お膳立ても整っているのだ。あるだけ情報を集めて、取捨選択すればいいだけのことだった。

 それでも、叶うならば、過去に関することを聞きたくはなかった。過去に囚われてどうする。せっかく生き残ったならば今ある生を受け入れて、精一杯生きるべきだろう。そう、頭は強く反発する。

 イフレニィは、あの日、祖国へ戻るという者達と決別した。

 既に、コルディリーに残って生きるという、別の未来を選んでいるのだ。

 過去を取り戻そうとする、女騎士の行く道とは前提が違いすぎる。分かり合えることはないだろう。

 物思いを打ち切るように、箒の柄を強く掴みなおす。

 だが非難めいた声が頭に響いた。ならば何故、過去の事だときっぱりと割り切れない。何気ない世間話として片づけることすらできないのだと。

 過去の決意に自分自身が泥を塗るようで、歯痒くもあった。

「ああ、分かっている」

 自身の頭に、言い聞かせるように呟いた。矛盾していることは、よく分かっているのだ。

「おっそうか? 俺の歌の良さが分かるか!」

 それは一生分かりそうもない。いつの間にやら、相棒がすぐ側で鼻歌を口ずさんでいた。頭が痛い。


 その日の昼休憩は、ちょうど一般的な昼食時間に合った。まだセラとバルジーもいるだろうかと思いながら甲板に上がる。

「お前さんのお陰で、昼飯の種類が増えてありがたいぜ。干物は食い飽きてるけどな」

 なぜか相棒がついてきた。既に、乾燥した魚の身を裂きながら口に放っている。魚主人から貰った干物は、皆に配ってくれるよう料理人に頼んでいたのだ。昨日、相棒は確か、控室の方で他の作業員らと駄弁っていたはずだ。イフレニィが旅の仲間と会うと断りを入れれば、興味が湧いたらしかった。大事な話があるわけではなく、特にうるさい以外の害はないため構わないだろう。

 船の縁に顎を乗せ、緩みきっている姿が見えてきた。それも、二人。セラまで付き合っているのは、バルジーが唆したに違いない。

 声をかけて、イフレニィが料理人に頼んで炙ってもらった怪物を差し出すと、バルジーは奪うように飛びついた。

「洞穴暮らしはどう」

 それでいてバルジーの挨拶はこれだ。

「……大して変わりはない」

 運が悪いことに相棒もお前同様、話していて疲れる。そういう意味で変わりはないと、視線に嫌味を込めたが伝わらないだろう。セラには、平べったい白身魚の干物を渡した。

「鎖にでも繋がれて、必死に漕がされるのかと思っていたよ」

 セラまで物騒なことを言い出した。それには相棒が抗議する。

「俺達の船をなんだと思ってんだ。そんなのは、昔の話だぜ!」

 ――実際にあったのかよ。

「その話、聞こうか!」

「おっ、ノリがいいな!」

 バルジーが目をぎらつかせて食いついた。気疲れを免れてちょうどいい。イフレニィも持ってきた干物とパンを食べようと船の縁に背を預け、手が止まる。

「軍の二人も、よく来ている」

 セラが、白黒二人組の行動を知らせてきた。思えば、昨晩は結局なんの話もできなかったのだが、イフレニィが気に病んでいることは知っているため伝えてくれているのだろう。自分なりの決断はした後だったが、さらに覚悟を促されているようで気が重くなった。船室にこもっていては体も鈍る。ここで顔を見ることになるのも、自然なことだろう。

「言ってる側からだ」

 まさに今、話題にしていた二人が、暗い通路から顔を出した。

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