第107話 三度の問い

 セラ達の部屋を出ると、イフレニィは集合場所へと向かう。従業員控室、という名の物置兼井戸端会議所だ。とはいえ操業に関わりのない作業員達のための部屋で、指示や連絡事項などは全てここで伝えられるのだが、どうやら、ほとんどはお喋りの場と化しているようだった。長く働いている者ばかりなのだろう。

 備品などが雑多に詰められた棚や、半端に詰まれた木箱が壁沿いに並ぶ、狭い室内。中央のわずかな空間も柱などが邪魔をするのだが、各々荷物に持たれたり腰かけたりと寛いで会話に興じている。

 イフレニィは腕を組み、彼らの輪の外で壁に背を預け、やり取りを眺める。お喋り交じりで割り振られていく指示の中から、自分の名を聞き逃さないようにと耳を傾けていた。最後に呼ばれて頷くと、待ってましたとばかりに相棒の声が被さる。

「おうい聞いてくれよ。今回の相棒なんだけどよお!」

 何度か注意を受けたことが頭を過る。皆の前で扱き下ろされるのかと、イフレニィはわずかに身構えた。今後、やり辛くなるかもしれないが仕方がないだろう。所詮、イフレニィは臨時雇いに過ぎない。組んだ腕をほどき、お小言を聞こうと僅かに姿勢を正す。見るからに荒っぽい人間が集っていることもあり、警戒のためもあった。

「俺が渾身の冗談を飛ばしてんのに、無視するならまだしも! 可哀相なもんを見るような目で、相槌打ってくるんだぜ?」

 ――は?

 その場はどっと沸いた。周囲から上がる声は明るい。

「新人君よ、なかなか分かってるじゃねえか!」

「こいつの話は薄ら寒いからなあ」

「なんだと? 今までのてめえの笑顔は嘘だったのかよ!」

 呆気にとられて思わず口が開いたが、何事もなかったように口を閉じた。余計なことは言わない方がいいだろう。

 混乱して今朝からの流れを思い返すが、注意されていたと思ったのは確かだった。しかし遠回しの嫌味のような雰囲気はない。イフレニィの困惑を他所に、話は弾んでいた。

 話を聞いているはずの相手だ。冗談を聞かせているのに反応がないことで、話を聞いているのかと注意をされていたのだろうか。実のところ、考え込んではいても、指示を聞き逃すことのないよう完全に遮断するようなことはない。ただ、やたらと口が回る男で話は途切れることがなく、指示以外の種類はひとまとめに聞き流していた自覚はある。慣れない仕事相手に場を和ませようと考えてのことかもしれないのに、もしそうならば悪いことをしたように思えた。

「あっほら、また憐れまれてるぞお!」

「うるせえ!」

 そんなつもりではなかったが、誤魔化すように苦笑が漏れた。

「よっし、夜はお前の面白話を聞かせろ。俺を唸らせる事ができたら、秘蔵の酒をくれてやる!」

「あーあ、お前の負け確定だな」

「なら新人君に晩飯賭けるぞー」

「賭けになるもんか。なんでも笑い転げるやつに誰が賭けるんだよ」

 散々な言われように、相棒は鼻息を荒くする。

「ちっ、見てろよぉ。笑いを抑えるコツを掴んだからな!」

 野次の応酬に、そろそろ解散の気配を感じ取りイフレニィは扉へと体を向ける。

 残念ながらイフレニィは、気の利いたことなど言えない男だ。相棒に花を持たせてやることになるだろう。

「それじゃ、俺達ゃ先に出るぞ!」

 合図の言葉に頷き、夜中の見回りへ向かうべく控室を後にした。最後に呼ばれた方の二組から出発する。扉前の廊下で挨拶を交わして別れた。暗い通路を、相棒の後に着いてゆっくりと進む。相棒が持つ手燭の灯りが、揺らめいて壁に反射した。持ち運びやすいように、硝子を被せた小型の燭台だ。

 船体が重々しく軋む音以外は、静かといってよいものか。通路にお調子者の声が響く。本人は声を抑えていると言うが、地声が大きいのだろう。

「面白い話ってのは、眠気を覚ますのにちょうどいいんだよ。感覚もぱあっと冴えるしよ。遊びじゃねえぞ? ほんとだぞ?」

 持論を展開する相棒に頷きつつ、辺りを点検する。初日は、夜まで続く最も辛い勤務時間らしい。これを新人を含む組に任せるそうだ。

「明日から楽になるはずだ。今だけは気合いれろ。だが腹には力を入れるなよ、漏らされても困るからな!」

 初日の休憩組から、順次交代していくということだった。明日からは普通に睡眠休憩を挟むとはいえ、それでも生活時間は通常とは異なってくる。これは、単に力仕事を続けるよりも、人によっては辛いだろう。相棒が話しているように、急に催しても困る。水は取りすぎていないかといったことが、気になり始めた。なるほど、受付嬢の話していた、片道で値を上げる者が多い理由も納得できるというものだ。

「おおい頼むよ!」

 相棒が振り返って声を上げる。何か、聞き逃していたのだろうか。

「一人で呟いてたら、恥ずかしくなるだろお」

 昼間のことも、そういうことかと納得した。まだイフレニィも、そこまで気が回らないのだ。 

「分かり易い説明だと、感心していたんだ」

「お、そうだろうそうだろう」

 相棒は引き摺ることもなく、また嬉しそうに話し出しだした。今度はイフレニィも、適度に合いの手を入れることにした。

 控室での話を思い返せば、今の話も笑いどころだったのかもしれない。しかし本気とも冗談ともつかない言い方ではあるが、そんな枝葉の中に要点は述べられていた。言い方など関係なく、仕事熱心な男だと思えたから笑えるような内容ではないと、こちらも真面目に受け取っただけだった。そこに不幸な擦れ違いが起きていたようだ。

 言い方に囚われずに考える――バルジーが、髭面と交わしたという話が気にかかった。

 バルジーの妙な話を聞くだけの時間は割いておきながら、イフレニィに関して探ることはなかったという。本心では探りたかったが、この女はやばいと考えて逃げただけかもしれないが。

 なにも体調を尋ねるのが、会話の取っ掛かりのためとは限らない。初対面から体調を尋ねてきたのだ。

 なぜ重要ではないと考えたのか――ついでだろうと、思ったからだ。

 鉱山で二度目の確認をした時も髭面は、それだけで立ち去った。それで気が済んだのだろうと思っていた。体調が良くなったなら北の仕事に手を貸さないのは何故かと、問い質した方が本題だろうと考えてもいた。あの時点では、まだなんとも言えず、イフレニィも明確な答えは避ける他なかった。

 それが、そもそも勘違いだったのだろうか。

 体調を尋ねたのは、三度目だ。

 無論、イフレニィが曖昧な態度を取るせいで繰り返さざるを得ない可能性の方が高くはある。

 だが、体調の方が知りたいことなのだとすれば。それはそれで嫌な可能性が浮かんでしまう。今は考え込んでいる場合ではないと、頭を振った。

 単純に、本当に体調が良くなっているのか、他人の口からも確かめておきたかっただけだろう。圧力をかけるような態度ではあれど、大して興味がありそうには見えないのだ。現に、髭面が話をしろと伝えた相手は女騎士の方だった。もし体調を尋ねる理由があるとするならば、それも女騎士の側にあるということかもしれない。

 女騎士。姿を思い出すだけで気が重くなる。嫌な用事は早く済ませた方がいいものだが、反射的に逃げ出していたほどだというのに話をするなど可能とは思えず、それがまたイフレニィを悩ませる。

 不愉快な過去を連れてくる塊のような存在というだけではない。個人主義のイフレニィとは反りの合わない類の手合いだ。

 話を聞くのが嫌ならば、自分から尋ねるほうがましだろう。問題は、こちらには確かな情報がこれといってないことだった。準備もなく対峙するのは避けたくとも、イフレニィに頼れるのは旅人組合くらいのものだが、それすらもない。ここは海の上なのだ。諦めの溜息は、相棒の声で掻き消えた。

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