第95話 経由地

 静かに、何事もなく歩き続け、次の街へと到着した。イフレニィは言葉もなく、入り口を見渡す。そう高くはない、なだらかな山が連なる行き止まり、谷あいを無理やり区切るように、出入り口は丸太を組んだ柵で遮られている。しかし頑丈そうではあれど、イフレニィの背なら柵の向こう側が見える程度であり、防犯のためならば些か不安になる作りだ。たんに境を示すだけのものなのだろう。

 どう見ても小さな街のようで、場所がないのか柵の外にまで荷物が積んである。反して人通りは多い。東の港や南北へと続く街への経由地とのことで、まるで騒然としているようだった。自警団ですら存在しないのか、出入り口には正規軍の黒服がうろついている。どこでやることと変わりなく、身近な挨拶を交わして街の中へ入った。

 中心の通りから山の方へと道を逸れながら、セラはイフレニィへ問いかける。

「ここには特に用はない。一晩宿を取って体を休めるだけになると思うが、あんたはどうする」

 明朝出立なら仕事をするどころではない。同じく休むことを伝えて、セラの案内に任せて進む。宿の手配はセラに頼り切りだった。やたらと妙な場所を知っているが、どこもイフレニィでさえ格安と思える宿なので助かっている。知識の出処は工房の用事で出かけた際のものだというから、前の親方が禄でもない、もとい、好奇心旺盛だったのだろう。

 緩やかな坂道を登り切ると、小屋が幾つも建ち並ぶ一角に出た。

「ここだ」

 訝し気に見るイフレニィにセラは、この一帯が宿だと説明する。 小屋同士は人一人すら通れないほど密着しており、掃除も行き届かないのだろう。蜘蛛の巣が張っている。それらから離れた場所にあった、特に他と違いのない小屋の一つが受付らしく、そこで手続きを済ませると出かけることにした。依頼を受ける気はなくとも、組合で何か情報が得られるかもしれない。

「組合を見てくる」

「俺は符を増やしておこう」

 二人と宿で別れてイフレニィは一人、来た道を下る。

 宿は山の中腹にあるが、そう高くはない。まばらな木々の狭間から見下ろせる街並みは、すぐ足元にあるようだったが、それでも一望できる本当に小さな街だった。

 街道からそのまま伸びた中心の通り沿いに、主だった施設は揃っており、旅人組合も苦労せず見つかりはした。他の建物の狭間の路地に立て看板があったから、辛うじてといったところだったが。不審に思いつつ裏手に回る。

 ――なんの小屋だ。

 片開き扉は漬物石のようなもので開いたままにされ、入口脇には簾が大して差しこまない日を遮るように吊るされている。外の壁沿いに木製の長椅子が置いてあり、上に並んだ幾つかのザルには食材が積まれていた。どう見ても民家の軒先だ。

 本当に街によって様々だと、戸惑いながらも軒をくぐった。その漬物組合ならぬ旅人組合の窓口へと一歩踏み出そうとして、足が止まる。狭い。

 室内には待合の為に利用できる空間はなかった。依頼掲示用の板すらなく、薄汚れたむき出しの板壁に、そのまま情報が張られている。壁は穴だらけだ。まともな受付窓口もなく、数歩先には細長い作業台と古びた椅子が置いてあるだけだ。以前に通過した北の街にも、食堂を改造しただけといった場所はあったが、まだ事務所的な体裁を整えてはいた。ここは、そこらの余りを寄せ集めた物置きに等しい。作業台に床から立てかけられている黒く塗られた廃材のような板には、急ぎの依頼らしいものが書き殴ってある。繁盛しているのかしていないのか、よく分からない雰囲気だった。

 一通り視線を巡らせると、受付にだらしなく腰を掛けていた壮年の男に声を掛けた。

「この辺の地図を見せてくれないか」

 男は、新顔を物珍しく見るでもなく、緩慢な動作で手元の書類から顔を上げる。人の出入りだけは多そうだから、珍しくもないのだろう。

「地図か。しばらく見てないが、どこ行ったかな」

 管理はどうなっているのだかと思うようなことを呟きつつ、男は腰を上げて、すぐ背後の壁際に並ぶ木箱の上を一巡する。そこに無造作に置かれてある四角い竹籠を掴むと、台にどさりと乗せた。埃が舞い、イフレニィは手で払う。

 意に介さずに、男はガラクタの詰まった箱を掻き混ぜ始めた。物が傷むぞと口を出したくなり、別の話題を上げた。

「受付嬢はどうした」

 今まで、どこの窓口も受付には女性が座っていた。ここもそうだろうと思ったのだが。

「あぁん? そんな洒落たもんはねえなぁ。おお、俺の記憶力もまだ捨てたもんじゃないぞ」

 何がどう洒落たものなのかは不明だ。男はわずかに声を弾ませ、端々の擦り切れた紙切れを引き摺り出す。薄汚れた地図だ。古いのか、単に保存状態の悪さ故かも分からない。前者だと困るが、この辺りを散策する用事はないため問題はないだろう。心配しつつ手持ちの地図と見比べていると、座り直した男が台に頬杖しつつ話し始めた。

「ここにゃ俺ともう一人の部下がいるだけ。それも今は人手が足りないから、依頼に出払ってる」

 思わず顔を上げていた。人はいるように見えるのに、そんなものなのかということや、そんな状態でも組合は機能しているのかと不思議だった。

「外から来た者らは、意外そうに言うがな。経由地だ。人は留まらない」

 そんなものかと頷いて見せた次には、あることに気付く。そうなると、この男の立場は限定してくる。

「支部長、なのか」

「おっ、よく分かったな坊主」

 誰が坊主だと、疲れたような顔を綻ばせている男に心で文句をつけた。

 しかし支部長と副支部長だけ。そんな場所もあるのかと驚いていた。仕事もせずに情報だけ仕入れる。今までは、一人くらいそれでもいいかと思える程度の規模はあった、と思っている。今回ばかりは多少、罪悪感が湧く。特に地図に違いは見当たらないため、礼を言って返した。ふと表の籠が気になり尋ねる。

「あの食材は、売り物なのか」

「そんなところだ。近所の奴らが余ったもんを持ち寄ってくれるもんでね。組合の維持費に充ててるよ。悪いね!」

 支部長らしき男は、しめしめといった笑顔を浮かべた。思う壺だったろうか。どのみち食事は摂るのだし、損ということはない。幾つか火の通り易い根菜などを買って小屋を出た。帰りに寄ることがあれば、その時は依頼を受けるよと、胸中で呟いた。


 宿への戻り道。手頃な飯屋はないかと見ながら歩く。晩飯時だ。人で溢れている。普通の食堂なら何軒か通り過ぎた。野菜は手に入れたことだし、肉だけ買えたらいいと思ったのだが、鉱山の串焼き屋のようなものは見当たらない。見て回る内に、渋い気持ちになる。

 ――ここもか。

 どの店を覗いても、黒い制服が目に付いた。初めは、狭いから目立つのだと思おうとしたが、それが一カ所ではないのだ。このような、住人よりも通り過ぎる人間の方が多い経由地ならば正規軍も配備されるだろう、見かけてもおかしくはないと思っていた。それにしても、多いように感じられる。柵の外の荷を、整頓していたり守る様に立ってもいた。あれが移動用の物資なら。恐らく、この街に留まっているのではない。何処かへ、移動している。

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