第94話 憂い

 日が傾くと、小さな煙が上がり始めた。食事時だ。イフレニィらも指定された範囲内の隅で火を起こす。バルジーはまだ、腹をさすりながら気分が悪そうにしていた。乾燥した果物とはいえ、馬鹿みたいに食い散らかした結果だ。それでもしっかり食糧を取り出した。どれだけ食い意地が張っているのか。見ている方が気分が悪くなってくる光景に、イフレニィはげんなりし、セラも呆れたように苦笑した。

「ご飯は生命の源!」

 高らかに宣言したバルジーは、穀物の固まりにかぶりつく。少し減らして、謎の元気を抑えたらどうだと思いつつ、イフレニィは静かに穀物片を齧った。

 食後の白湯もほどほどに切り上げる。ここの常連らしき集まりを覗いてみることにしたのだ。そちらへ三人で向かうと、大きめに火を起こして囲んでいる連中に混ざる。昼間とは違い、商人も旅人も関係なく、気の合う者らで集っているようだ。

 イフレニィは、精霊溜りの話が気懸かりでいた。被害が広がっているのか、それとも、話の種に大げさに吹いているだけなのか。なにかしら判断できる話を聞けるかもしれない。

 手近な者に声をかければ、すぐに詳しい者を指さして教えてくれる。西の国々、砂漠の方から取引をしているという連中に声をかけた。

「精霊溜りの被害がどんなもんかって? 今んところは、人里離れた場所らしいがね。ただ符の売り上げなんかを見てりゃ、増えてるだろうと思うんだよ。一つ見つかったってなもんなら、一度売れておしまいだろ? それが、ここんとこは行く度さ」

 別の行商人も、うんうんと相槌を打っている。

 話を聞いた限りでは、北の増え方と似ているように思った。ある日、人の生活圏に現れ始める。気が付けば、数が増えているといった具合に。自分の目で見たわけではないなら尋ねても分からないだろうが、一つ一つの規模も大きくなっているように感じられた。そうでなければ、ちょっとばかり心配だからと符を買い置きしておこうなどとは思わないだろう。自国内ではなく、わざわざ他国からの行商人から買い求めるには多い数だ。

 他の国々がどう対処しているのかなど知りようもないが、どこも前回の大異変後に手順を定められているはずだった。それらは帝国が調べたものを各国へと周知させたと聞く。

 問題は、形骸化していないかどうか。この十年で、国によっては精霊溜り自体、目にすることもない現象らしい。それは目の前で男らが、幾つかの小国について語っている中にも共通することのようだった。すでに憂いの一覧から取り除かれていてもおかしくはないという状況だったことは、北の街にいたイフレニィには意外な事実だった。そうなると、わざわざ他国から買う理由が変わってくる。符自体に需要がないわけでもないだろうが、生活に直接関わりがある物ではない。国も重要視していないとなれば、そもそも作り手が足りないだろう。

「国で作ってないってことか」

 イフレニィの質問に、苦い笑いが起こる。彼らには当然のことを聞いたからだろうかと思えば、別の理由だ。

「どこも転話具なんかの、魔術式具の方に力を入れてるんだ。それに、この国のように鉱山を維持しているところも、そうはないな」

 様々なものを開発しようにも、原料の入手から厳しいということらしい。効果の限定される使い捨ての符よりも、魔術式具へと注力するのは仕方のない環境のようだ。ますます、国境沿いにある鉱山都市の危険度合いというものが高まっていく気がした。

 他国に、いつ起こるともしれない問題の為に、準備をしておける余力がどれだけあるのか。それは、目の前の情報が答えのような気がした。わざわざ行商人から仕入れなければ、追いつかない程度なのだろう。取引相手が国ならば、付き合いと温存のために買い求めることも考えられるが、ここに居るのは街へ売りに出る者たちだ。

 知り得ることは知れただろう。その後は、彼らの珍道中話に耳を傾けて夜は更けていった。

 聞けば聞くほど帝国側は、現状の問題に対して真摯に取り組んでいるように思えていた。実際そうなのだろう。

 だからこそ、拭いきれない不信感がイフレニィの中で存在感を増していく。軍のほんの一部とはいえ、俺に構っている余裕があるのかと怪訝に思うのだ。

 髭面と女騎士。鉱山街での、二人の姿が脳裏に浮かぶ。

 女騎士の言い分を真に受けるなら、髭面に許可を求めイフレニィと会う時間を割いてもらったという。二人の目的は別にあり、必ずしも共に行動しているわけではないのだと考えた。

 女騎士に後ろ盾となる国は既にない。ならば帝国が、保護していると考えられ、それほど自由はないだろう。しかし帝国側に、どんな益があるというのか。残った集団を取り込みたいにしろ、話に聞く限りでは海の向こう側に集めている。ますます帝国側の利が見えない。

 女騎士側の分かり易い目的は国の再建だが、回廊の異常がある。調査の結果、トルコロルも城下町は姿を残していると女騎士は言った。被害はあったということだ。人を送るにしろ拠点を整える必要があるだろう。しかし現在は、巨大な精霊溜りが側に在る。到底、住むどころか、人が近付ける状況ではない。それに加えて、行商人達の話。コルディリーの周りもそうだが、またもや世界に被害が広がりつつあるという。日に日に、悪化の一途を辿っているようだった。そんな中で、人間に、どれだけのことができるというのだろうか。


 翌早朝、奇妙な野営地を後にして、変わらぬ緩慢さで街道を進み始めた。行商人達の話が頭に残っているのか、荷車の周囲を、やけに沈んだような空気が覆っているようだった。セラとバルジーにしてみれば、軍の行動にしても、イフレニィの話の裏付けが取れたようなものだろう。思うところがあるのかもしれない。

 休憩時間も、各々で過ごす。符を作っている最中は無心そのものといったセラも、ふと見ると考え込んでいるような節がある。気になっていたことが頭を過ぎったイフレニィは、声を掛けていた。

「工房は、どこへ構えるんだ」

 故郷のどこかとは聞いたような気もしたが、話の流れでそう思い込んだだけだったような気もしており、改めて確認してみたのだ。

「それなんだが、決めかねている」

 イフレニィは住所といった明確なものを尋ねたつもりだったが、返ってきたのは、そもそも工房を構えるかどうかといった意味合いだ。考える時間ならあっただろう。この期に及んでどういうことだと、口を噤んで待つ。セラは、しみじみと語りだした。

「属していた工房のある街の北側に、生まれ育った村がある。漁で暮らしている小さな村で、他に何もない……何もないからこそ、ひっそり暮らしていくのもいいだろうと」

 気が変わったのかと、真意を探るように目を見る。珍しく、迷いが揺れて見えた。

「どうも、話を聞いてまわる内に、それどころではなさそうだと思ってな」

 精霊溜りの拡大は、職人にとって直撃する問題だ。ひたすら数を作らされることになることが予想された。それでは、色々と試したいという者の自由を奪うだろう。

「こればかりは、いつ目処が付くかも分からない問題だが……しばらくは元居た工房を手伝うのもいいかもしれん。まあ、そう思っただけだ」

 大量生産するなら、一つ所に集まった方が効率はいいのだという。苦労して城まで向かい、工房を開く申請も通ったというのに、世知辛い話だった。

「そうか」

 イフレニィはただ一言呟く。状況が好転するのを、願う他ない。

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