第91話 手合わせ
気が付けば辺りには、乾いた色よりも緑が濃くなっている。木々が生い茂り、足元の土も黒く柔らかい。これなら倒れても衝撃は軽減されそうだと思いながら、イフレニィは場所を選定する。
繁みの合間が不自然に揺れ、そちらへ目を向けた。枝を踏み折る音が聞こえたかと思うと、あちらこちらへ移動している。猪に出会ったときのようだと思っていると、突如、藪の合間から頭が生えた。いつもの如く、バルジーの行動は獣並みだ。
「ほら、選んで」
頭から葉っぱを撒き散らしながら、バルジーは両手に抱えていた枝を放り投げた。益々蓑虫らしい、などと考えている間に、バルジーは一つを選んで掲げる。
「真剣勝負だから」
そう言って睨んでくるが、ただの棒切れだ。
落ちている大小の枝を見る。枝を折る音は、わざわざ木から折ったのではなく、落ちていたものの長さを調節したためだったようだ。その中から、なるべく歪みのない、一般的な直剣ほどの枝を拾って虫を掃う。太めのものを選んだため掴みづらいが、細いものだとすぐ折れるだろう。
得物を選んだ二人は無言で、ある程度の距離を取り向かい合っていた。
イフレニィは両手で掴みなおし、構える。自然とトルコロルの剣術の構えを取っていた。いたって単純な構えだ。両足を肩幅に開き上半身をやや屈め気味に立ち、左右どちらにも反応できるよう足先にのみ力を込める。枝を握りこんだ両手は顔の高さに位置し、真正面を見据える。刃先は、前方ではなく、やや天を向く。騎士の構えであり、守りや制圧に重点を置いているものだ。
片やバルジーは、いつもの大鉈を振り回すときと同じく、半身に構えた体の陰で、斜め下方に刀身を下ろしている。振り切ることで、剣に力を乗せるためだろう。攻撃に重点を置いている。
眼前に集中すると、風がやみ静けさが訪れたように感じさせる。瞬きの後、バルジーが飛び出した。力を乗せる間合いを考えれば、バルジーは先制攻撃しかない。飛び出すバルジーの踏み込みに合わせ、イフレニィも構えたまま一直線に間合いを詰める。バルジーの刃が振り切れる直前、その肩口へとイフレニィの腕が届いていた。
まずい――考えたときには、しっかりと手応えが伝わってきた後だった。
「ぅぶへっ……!」
バルジーが口を突き出して妙な音を漏らしながら、背中から地面に落ちていく。真正面から突き飛ばした形だ。そこをさらに追い打ちをかけるよう体が動き、首元を抑えこんだまま突き倒した腹に、膝を入れようとしていた。そういう流れの一つを無意識に取っていたのだ。危ういところで逸らしてイフレニィは地面に膝を着き、すぐに飛び退いた。
「大丈夫か」
目を剥いて、地面に貼りつき動かないバルジーを覗き込む。反応はない。柔らかな地面の草地を選んだとはいえ、石などが落ちていないかと手を伸ばす。
「呪うなよ」
突如、邪悪な眼がイフレニィへと焦点を合わせる。
「……まだ、生きてる」
憎々しげな視線を無視して、頭を引き起こすと下を見た。石など硬いものは見当たらない。状態はともかく、当人の気分はどうかと見る。
「くそっ……妄執の念が足りなかったか。我に宿れ禍々しき力よ……」
「寝てろ」
またバルジーは、その場に両手を広げて倒れこんだ。呪詛を呟き始めたバルジーに呆れた溜息を零すと、荷車に腰かけて見物していたセラの元へ向かう。荷車から水筒を取り出し、水を呷った。
「改めて見ると、あんたも、なかなかの腕のようだな」
「改めて?」
「会った時は、よく見るどころではなかったろう」
出会い方は安穏とは程遠いものだった。そしてイフレニィは、バルジーの戦いを知っていたことを思い出す。そんなことを話していると、背後に暗雲が垂れ込める気配がして振り返れば、バルジーが起き上がって、のろのろと戻ってくる。悪霊めいた佇まいだ。項垂れたまま、自分の荷物から水筒を取り出している姿に声をかけていた。
「気を落とすな」
「慰めなくていい。負けは、負け」
「こんなもん、勝負なんかじゃないだろ」
バルジーは頬を膨らませた。
「普段、重い武器を使うだろ。軽い棒切れなんかでは調子が変わるだろうし」
「それを言ったら、あなたは」
「重さに変わりはなかった」
珍しく取り繕うように慰めるようなことを言うのは、イフレニィ側の条件が緩かったと気付き、少し申し訳ない気がしたからだ。
「こっちは、お前の戦い方を知っていた」
悪い想像を膨らませていたことで半ば八つ当たりでもあったのだと思うと、つい本気になっていたことに、きまりが悪い気分でいる。
「悪かったな」
「だったら」
「勘弁してくれ」
もう一度と、バルジーが言う前に遮り、両手を上げ降参してみせる。抗議の不満げな顔が返った。
「暴れたけりゃ、もう一人いるだろ」
苦し紛れにセラを指す。そうすれば諦めると思ったのだが、そうはならなかった。
「それもそうね」
良い案とばかりに笑顔になったバルジーは、目をぎらつかせてセラを見る。
「とんでもないこと言わないでくれ。不得手なんだ」
矛先を向けられたセラは慌てだした。その言い分には首をかしげる。謙遜のつもりだろうか。
「剣を使ってたじゃないか」
殺傷力は弱くとも、頼りない細身の剣で盗賊達相手に、うまく立ち回っていたようだった。前に出ることはなかったが、代わりにバルジーの大雑把な力任せの動きを、背後から補助していたのだ。技量が無ければ難しいことだろう。
「それは……工房に属していれば移動もあるし、みんなそれなりに学ぶもんだ」
「知らなかったよユリッツさん! こんな近くに手合わせできるひとが居たなんて」
「あー、いや、だから形だけでだな……」
詳細に思い出せるわけではないが、少ない動きで的確な判断をしていた姿が浮かぶ。手こずっていたのは、力の押し合いくらいのものだったように思えた。手先も器用だし、賢いと何をやらせてもそれなりに出来るのだろうか。羨ましい限りだと、イフレニィは胸中で嘆息する。
「遊ぼう」
「仕事がある」
「休憩」
「余計疲れる」
言い合っている二人をぼんやりと眺める。
セラの欠点といえば、精霊力がないことくらいだろうか。イフレニィから言わせれば、それも欠点などとは呼びたくないものだ。人と比べても仕方がないとはいえ少し落ち込みかけたが、思い直した。一見簡単そうにこなしている者が、陰でどれだけ努力しているかなんて知れないのだ。
――俺なりに、やるさ。
そこで、何についてだと自身に問う。
情けないことかもしれないが、特に人生の目的など考えたこともない。ずっと目の前の事で精一杯だった。思い返しても、出来ることを堅実にやってきたつもりだ。そして、それを卑下したことはない。
――これが、俺の生き方か。
望むものは、コルディリーに戻って組合の依頼を受けながら生きることくらいのものだ。
ならば、今も昔も変わらない。コルディリーに一人残ると決めた日から同じく。
これからも目の前のことに、せいぜい精一杯取り組むのだろう。元の、落ち着いた生活を取り戻すために。
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