第71話 経路の変更

「何事もなかったろ」

 まだ不満げな顔付きのバルジーにイフレニィは言った。バルジーへの確認事を済ませると、街に一つだけある大きな工房に真っ直ぐ来たのだが、セラはとうに移動した後だったのだ。早朝から出て行ったのだから当然かもしれない。しかし、職人らが普段どういった生活をしているのか知りはしない。他に、職人や取引のある商人が行きそうな場所を尋ねる。すると意外な話が聞けた。

 原料の入手窓口が、精製窯を持つこの工房から、国の臨時窓口に変更されているという。その場所を聞くと、窯の様子を見ることも出来ず、後ろ髪を惹かれながらも移動した。バルジーが煩いからだ。

 しかし、イフレニィは一人納得する。軍の派遣は、それが一つの理由だろうと思えた。彼らは商人組合の建物を間借りしているとのことだ。最も会いたくない顔ぶれが頭を過り、こちらから軍に近付くのに抵抗はある。だが、こんな場所にそれなりの地位がある者が来るとは思えなかったし、そもそも外から覗くだけだ。心なし警戒心を抱きつつも、街の中心部らしい賑わいのある一角、その外れへと向かう。

 そこには、この街では珍しい辛うじて二階建ての建物が見えてきた。天井がやけに低いのだ。外には正規軍の黒い制服姿が二人立っている。目的地で間違いないだろう。

 丁度荷物の出入りをしており両扉の片側が開け放してあった。荷物を運び出す商人達の側に、警備兵も付いて出てくる。ありがたいことに、その後から見覚えのある覇気のない姿が現れた。

 どれだけ原料が入手可能か分からないからと、荷車なしで出かけていたセラだ。飯時以外で身軽な姿は珍しい。駆け寄るバルジーの後を追う。

「ユリッツさん!」

「無事だったようだな」

 声を掛けると、不思議そうな顔がこちらを向いた。

「治安悪いって聞いてたのに、一人で大丈夫かなって」

 バルジーが、こんな時だけご丁寧に説明しているが、そんなことを警備兵の前で言うから目を引いてしまっている。

「用が済んだなら、戻るぞ」

 彼らに背を向けると二人に移動を促した。

「商人組合、いや、用事の方はもういいのか」

 実際は職人関係なのだが、組合としては存在しないため首を捻る。似た集まりが存在しないわけではない。通常は各街において、商工会や商店会といった名で存在しているが、雑多な職種が入り混じる地元民のためのものだ。領地を越えて機能するものではなかった。

「うむ、これで売る分の符を作るには問題ない」

 セラは両手で麻袋を抱えている。多いのか少ないのかイフレニィには判断付かないが、符の素が入手できたなら何よりだ。荷物を置きに戻るものと考えていたら、セラの足は宿とは別の方へ向いている。

「どこに行くんだ」

「ああ、工房だよ。これを精製してもらう」

 実際に魔術式を書いた時に精霊力の流れを良くするためには、流れを阻害する不純物を取り除く工程が必要だ。単純に材料が手に入ればいいのだと考えていたイフレニィは、工房に特殊な窯がある理由を思い出していた。

 現在の規制とは、原料の量だけでなく、誰が手に入れるのかも合わせて分配が決められているらしい。軍は原料の管理のみ行っているということだ。

 精製が必須なのだから、普段は工房が窓口を担っていたのも当然で、職人ら関係者には面倒くさい状況だろう。イフレニィなどがそれを言っても仕方がないので、大人しくセラに付いていった。

 おかげで、初めは見ることのできなかった工房を、よく見学することはできた。とはいえ好奇心を満たすよりも、セラが精製の仕方やらなにやら注文するのを聞いて、改めて無縁な生活を送れることに安堵した方が強かった。

 その後は、少ない店を回って他に必要なものを仕入れたりしつつ、のんびりと時間は過ぎていった。


 岩窟亭の地下秘密基地ならぬ、宿の一室で晩飯だ。イフレニィにとっては情報交換のつもりでもある。

 席に着きながら、ふと、どうやって換気しているのか気になり辺りを見回す。暗くてよく分からないが、微かに空気の流れは感じる。隅に穴でもあるんだろうが、それも気分的に落ち着かない。

 広さだけはある、薄暗い洞穴の真ん中。小さな机を囲む。部屋は広くとも家具の大きさは変わらない。机の上一杯に今日の晩飯を置く。安いからと奮発しすぎてしまったのだ。串焼きの他には、中に野菜と肉の炒め物を詰めてある丸めたパンも買っていた。

 バルジーが真っ先に、物珍しさに負けて丸い塊に大口でかぶりつき、すぐに舌を出すと涙目でうめく。火傷したらしい。

 それを見てイフレニィとセラは、中は熱いんだなと頷いて、割って少しずつ口に入れる。腹が落ち着くと、セラがバルジーを見、バルジーは頷く。また二人の謎言語での会話だ。

「今日行った工房で、免許も取得したばかりで、どこに構えるかはっきりとは決めてないと話したら、身軽な内に、海向こうも見てみたらどうだと言われてな」

 おもむろに、セラは切り出した。

「初めは国内の街だけを巡る予定だった。定量供給は、こちらの方が優れているが、言われたとおり、技術的な面は海向こうの方が進んでいるだろう」

 技術的な面というのは、元老院のことを指しているのだろう。帝国領土は、弓なりの形をしているが、下膨れだ。ここから南方を周るなら、次はさらに国境沿いを西へ向けて進むはずだった。しかし海向こうに渡るなら、東の港町へ向かうことになる。

「それも、異変で情報の行き来は半ば途絶えている。問題は、向こうの最大の港が封鎖されていることだ」

 そういえば、鎖国しているところがあるという話は噂で聞いていたため、頷く。

「魔術式推進動力技術を採用した船艇は、帝国も手にしてないと聞く。実際は知らないがね。それはともかく、その船のお陰で行き来が楽になっていたと聞くが、今は無いから渡るのに時間がかかるとのことだ」

 魔術式推進船――そんな名前だけは知っていた。まるで未来から来たようだと、本気で聞いたことはなかった。実物を見たらがっかりするようなものだから、あまり世に出てないだけということもありうると思っていた。

 それは別としても、船だ。

「今はどうやって渡ってるんだ」

「昔ながらの帆船らしい」

「へえ」

 それはそれで興味がある。

 自分が渡ってきた時は、どんな船だったかと思い出そうとしてみるが、あまり興味がなかったのか記憶は薄い。そう距離も離れておらず、回廊もあったから、遊覧船といった趣の小型船がほとんどだったように思う。

 しかし、今度は海まで渡る可能性があるのかとうんざりしてくる。考えるべきではないが、いつになれば帰る目処が立つのかと、気落ちせずにいられなかった。

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