第61話 改悪の符
何か、他に重要な議題はないのか。
そう、この提案を逸らせるようなものが。
「夜まで長い、魔術式の話をするのに丁度いいだろう」
休憩を終えて街道へ戻ると、さっそくセラはそう切り出した。イフレニィから教えろと言った。断る理由はない。聞くなら早いに越したことはないのは理解している。だが、セラの長ったらしい話の全てに、集中して聞き続けるのは難易度が高いことだった。
深呼吸し、気合を入れる。唸るような声が出ていた。
「頼む」
そして、魔術式の講義は始まった。その歴史から。
精霊力なるものが実際に活用され始めたのは、数十年ほど遡る。人類の歴史においては、極最近のことだ。
だが、その存在は自覚されなくとも、発見はされていた。民間の伝承や、慣習や、しきたり、祭事など、色んな言葉や様々な形で呼ばれてきたもののことだったのだ。トルコロルでは、方角などを気にしていたようだったことが思い出され、あれもそうなのだろうかと疑問が浮かぶ。
ともかく、あの空の異変が起きる以前には、現在のような発光を伴う視覚的な認識は出来なかった。極々一部の感性豊かな者達から、それらは伝えられ、まとめられたという。
そのことにイフレニィは少し考え込んでしまう。言われてみれば、子供の頃に符や魔術式に関する習い事時に、光を見た記憶はないようだった。しかし、自分の手の平や、肉体に残る感覚の記憶は現在と変わりない。光として目に映ろうが映るまいが、まるで見たのと同じ認識だったのだと気付いた。
確かに、主王家に連なる者が精霊力への感度が高いというのは事実なのだろう。末端に連なるイフレニィでさえ、それほどなら――そこに、体の魔術式の関連が過ったことは頭から追いやった。
元老院にしろ、異変よりずっと以前から研究していた者らは、よくも目に見えないものを信じて取り組んだものだと感心する。イフレニィには理解できないことだ。目に見えぬ事象などと、生きることに関連が見いだせないし、そのようなものに振り回される無駄な時間があるなら寝て、体を休めた方がましに思えた。
それでも、そういうものだと渡されれば、実際、誰もが何も考えずに使った。何も知らずにとは、今考えると恐ろしい状況に思える。
改めて考えれば、精霊力とはあの異変の光、ましてや空の帯とは何の関係もないということなのだろうか。
イフレニィは、転話具が空の帯を利用しているのだと思い込んだ。それも、あの異変に囚われているせいなのだろうか。それとも、子供の頃から、空の帯ありきの世界で生きてきたからだろうか。つい視界に入り込む空の異物を、一瞥する。
セラの昔話には意外にも考え深いものがあり、都度逸れる思考を戻さねばならず眩暈がしてくる。知らなかったこと、すでに知っていることも含め、一息に詰め込まれる情報に翻弄されてしまうのだ。セラの声に耳を傾け直すも、イフレニィは一度目を閉じると深く溜息を吐いていた。
「なあ、少しずつ、区切ってもらって構わないか」
うんざりしているとは見えないように努力しつつ訴えたが、セラから意外そうな顔を向けられる。
「まだ、何も始まってないぞ」
イフレニィは愕然としてセラを見た。それなら今までの話はなんだったのかと。
ゆっくりと片手で頭を押さえる。本当に頭痛がしてきたようだった。
「今まで縁がなかったんだ。一遍に聞いても覚えられん」
イフレニィは大人しく降参する。少しずつ話して欲しいことを伝え直すと、休憩を頼んだ。
ぶらぶら歩いている内に、話に聞いていた街の跡地へと辿り着いた。辺りは薄暗くなり始めており、急いで落ち着ける場所を探す。
そこかしこに人為的な跡を垣間見ることはできるものの、遠目には荒野の一部へと戻っている。周囲を警戒しやすい場所を探すことにした。あえて多少段差のあるところを進み、周りが木々に囲まれている中に踏み入る。森というほどではないが、これだけ密集していれば符を使えそうだ。辺りは舗装路の破片などが残ったままで、それをかき集めて丸く並べる。火を起こすためだ。
イフレニィは滅多に火を使わないからどちらでもいいが、二人は暖かい食事と食後の白湯が欠かせないらしい。いつものように、イフレニィは先に食べ終える。徐に、セラ特製の氷の符を取り出した。
「試させてもらう」
こんな時だけ、バルジーは目を輝かせている。見た目だけの意味でなく、普段は真っ黒だというのに。逆にセラには、やや緊張が窺えた。
改善、もとい改悪したということなら、期待することなどないだろうとイフレニィには思える。なんせ通常の目的とはかけ離れたものなのだ。失敗したところで、評価が下がるわけでもあるまい。なんにしろ出来が気になるものなのだろうか。
念を入れて、力を弱めることに集中しながら精霊力を符へと流した。軽く歯を噛みしめ、眉根が寄る。やはり、弾けるように力が流れ込むのは止められない。
だが、展開された魔術円は、通常の倍程度に抑えられていた。
「おー」
バルジーが間抜けた感嘆の声を上げる。イフレニィもわずかに目を見開き、淡く白い光の円を見上げた。セラに目を向ければ、困ったように頭を掻いている。
そうだった。この男は、精霊力を感知できないのだ。無駄になるが使うしかない。元々セラの好意で譲ってもらったものであり、新作の出来を見せてやることを惜しむ意味はない。立ち上がって、少し離れる。
「発動すれば見えるか?」
セラが頷くのが見えたときには、魔術円を紡ぐ白い光は、黄金に塗り替えられていた。頭から指示を送る必要もなく反応する速さに、不機嫌に口を歪める。こんなところは変わりはしない。
金の光は手を向けた場所で霧のように掻き消える。その木々の狭間、草むらに向けて効果を放ったのだが、霜が焚き火を反射して煌いていた。
「まっしろ」
バルジーの掠れたような呟きに振り返れば、また異常なものを見るような目つきで白くなった草むらとイフレニィを交互に睨んでいる。セラは眉尻を下げ、顔を曇らせていた。
「そんな結果が出るような変更は、していないはずだが……。思ったほど、効果は出なかったか」
それは違うとイフレニィは苦笑してみせる。イフレニィとバルジーが初めの円に驚いたのは、逆の意味でなのだ。大げさながら、本物の天才なのではないかと思えてしまう。
「おい、周りに人の気配はないな?」
イフレニィは視線をバルジーに向け、問う。
呼びかけ方が気に入らなかったのだろう、バルジーは一度口をひん曲げたが、今はそれよりこちらが気になるのか、すぐに辺りを確認して頷いた。イフレニィは再度セラへと声をかける。
「大成功だ。他の符を使う」
イフレニィの言葉に、セラの顔には疑問が浮かぶ。氷の符への流れを止め、手持ちの質の悪い符の中から危険のない補助符を引き抜いた。それを掲げる。
「さっきと同じ程度に力を流した。これが、俺の通常なんだよ」
こんなものが通常になったのは極最近だ。直径が先ほどの倍はありそうな円を見ると、気持ちが沈む。セラのために発動すれば、そのまま金に塗りつぶされ、わずかに目を眇める。本来ならば、そんな光量があるはずのないものだというのに。発動した、全身を包んで余る大きさの円が、それでも全身を覆い巻き付くと光は消えた。なんの怪我もしていないためか、少しばかり全身に薄布を巻いたような感覚があった。
精霊力で作られた、微々たる結果しかもたらさないはずのものが、こうも主張する。
――忌々しい力だ。
「ユリッツさん? 目が開いてるよ。大丈夫?」
毒気が抜ける。バルジーが失礼なのは、イフレニィに対してだけではなかったようだ。焚き火の側へ戻るが、セラを見る事ができず目を伏せて座り込んだ。
「なるほど。これは、改悪した符が欲しくなるはずだな。ふーむ、しかし、そうすると、一層と二層間への細工の方が効果が高まるだろうか……」
しかし心配したように、イフレニィの異常な体質について、セラは全く気にかけているようには見えなかった。いつものように、なにか訳の分からない世界に入ってしまう。こうなったら、しばらく放置するしかない。呆れと、緊張が解けたことで、無意識に詰めていた息を吐く。
「ユリッツさんすごいね」
バルジーは我がことのように喜んで、緩んだ笑顔を浮かべていた。かと思えば、すかさず首をぐるっと回して、鋭い視線をイフレニィへと向けてくる。
「私が提案したんだからね」
――はいはい、そうだったな。
また報酬がどうのと詰め寄られる前にと、再び氷の符を手にして展開時の制御を試みた。練習にはいいが、この感覚で慣れるのはまずいように思う。譲られた氷の符は三枚。一枚使用し、残り二枚だ。当然、イフレニィが求める、普通に感知の符を使用することなど叶う訳ではない。
そう思いつつ少しでも元の感覚を取り戻せないかと、こうして練習するのも、かなり久しぶりに思えた。視界の端でバルジーを見ると、不快なのは相変わらずらしい。だが、もう精霊力を使うなとの文句はなかった。ただ、膝に肘をついて頬杖をしつつ、宙に写し取られた魔術式を眺めている。無感情な黒い瞳で、魔術式を通した別の精霊力を、見つめているようだった。
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