第33話 金策

 傾く日を仰ぎ見て、イフレニィは立ち上がった。川面の煌きも黄色みが強くなっている。馬車のむき出しの荷台から、隣の岩に腰かけていた男に視線を戻し声をかけた。

「組合には、あんたらの宿に連絡するよう伝えといた」

「え」

 なんでそんなことを、という目を向けられる。くどいようだが、本当にこいつは商人なのだろうかと何度目かの文句めいた疑問が湧き、つい咎めるように目を眇める。

「俺はここで見張っておく。それとも代わってくれるのか?」

「ああ……。だが、一人だろう」

 納得したらしい商人は、立ち上がりはしたが気遣うような態度を見せる。荷物を押し付けて逃げようとしていた男の言葉とは思えない。

「怪我人がいるだろ」

 そうイフレニィが強く言えば、躊躇ったような沈黙の後に頷いて、戻っていく商人の背を見送った。実のところイフレニィは、出来る限り宿代を倹約したかったこともあり、野宿の丁度良い口実になってありがたく思っているほどだった。

 せめてもと御者台に横になる。地面よりは、平らな分だけましな感触だ。

 日が落ち、空から降る金色の飛沫が強まるのを眺める。

 風に薙ぐ葉擦れも、虫の音も、馬の息遣いも聞こえてはいる。街の外の方が、様々な音に溢れているようだ。

 それにしても、あまりに静かな夜だと思えた。

 頭に浮かぶままに、思考を委ねる。

 周りが、自分の思い通りに動くことなどほぼない。

 幾ら前もって考えを巡らしたところで、結局は、その時に提示されたものを見て判断するしかない。推測だけで、印の信号を追えば糸口は掴めるはずだと、そう信じて進んできた。実際、目標への接触で印の痛みは消えた。

 その目標であった、旅人の女が原因なのかは、正直疑問のままだ。

 かなりの魔術式使いのようではあったが、何かを企んでいるような気配はない。それどころか、旅人という以外の接点がない。

 外見は、肩口で揃えた真っ直ぐの黒い髪と、真っ黒の瞳。

 そう、真っ黒なのだ。

 瞳にトルコロル特有の青みは見られなかった。

 姓名も共にアィビッドのもので、王の印どころかトルコロル共王国に関連することなど一つもないのだ。

 精霊力は平均以上だが、他には何も特別なところはない。女で護衛依頼を受けていたのが珍しいということくらいのものだ。

 では、印は何を示していたのか。

 ただ助けることが目的だったとすれば、長いこと無視してきた期間に死んでいてもおかしくない。いや、そもそも助けろと喚くような警報と、毎晩起こった痛みが、同じことを指しているとも限らない。

 こう動いたことは正しかったのか、どうか。今は分からない。

 原因の究明なんか糞喰らえだと、泥沼にはまりゆくような思考の霞を追い払えば、全身が軽い。

 痛みのない夜なのだという現実感が、徐々に伴ってくる。

 数年ぶりに開放されたような清々しい気分に、細かいことはどうでも良くなっていた。

 ――これで街に、コルディリーに帰れる。

 その期待だけが膨らんで、全ての憂いも懸念も覆い隠していった。


   ◇


 夜明けの柔らかな日差しで、イフレニィは目覚めた。普段ならば、まだ暗い内に目覚めるのだが、知らず疲れが溜まっていたのか、憂いがなくなったためか。ともかく、よく眠れた。街の外だというのに、気の抜けきっている自分に呆れもしたが、こうして無事に目覚めた。それに二度とこのようなことはないだろう。

 御者台で体を起こすと両腕を上げて体を伸ばした。

 飛び降りると、木の枝に干して置いた幌を回収し、多少荷台を整頓して街の入り口まで移動を始める。取り引きは門前のやや開けた場所で行う予定だ。警備兵は押し付けた手前か、渋ることなく許可をくれたが、なにより盗賊のねぐらに人が出ていて忙しいのだろう。そこそこ金のある商人ならば、店は持たずとも倉庫街に一軒は置場を持っているものだ。

 人通りの少ない景色を眺めながら待ったのは、そう長い時間ではない。眠そうな商人、セラが、旅人組合からきたという連絡を伝えにきた。朝の内に、現物を確認しに人が訪れるという。それだけで戻っていくセラを、怪我人もいることだしと止めはしなかった。

 それから間もなく、旅人組合からの紹介状を見たという買い手が現れた。早く片付けたかったイフレニィは、相場の半値ほどで依頼しておいたのだが、それで半信半疑ながらも見に来てくれたらしい。

 これまで小ぶりの馬車を使っていたという商人は、二頭立ての大型の馬車を見て、しかも馬付きなことに喜んでいた。もう一人は店持ちの商人とのことだ。護衛が乗っていた頑強そうな馬二頭を、目を細めて撫でている。

「ほう、これを売るのか。なかなか良い馬だぞ。お前さん旅人だろう、本当に使わんのか。勿体無いねえ」

 まったくだと、頷き返す。

 どうせなら一頭引き取れば、コルディリーに早く帰れるし、戻ってから売り払えばいい。そんな考えも掠めたが、一応、引き取り手は知り合ったばかりの二人組だ。惜しむ素振りを見せるどころか嫌がっていたくらいだから、イフレニィが貰ったところで文句は言わないだろうが、まとめて片付けた方が二度手間にならない。

 こうして馬車と馬、それぞれ別の人間が買っていった。

 さっさと売れて本当に助かったと肩の荷が下り、緊張が一気に解けていく。知らず安堵の溜息が漏れた。

 急ぎ、売買終了の書類を組合へ届けた。

 多少は組合に手数料を取られるが、それでも通常依頼を幾つも受けたような金額が、一括で手に入ったのは有り難いことだった。しばらく仕事などするどころではなかったことだし、これで戻った後も多少は余裕が出来る。街の中で片っ端から声をかけても、こう早くは売れなかっただろう。こんなところは、地域に根付く組合の存在は心強い。手にした金を懐に収めて表へ出ると、道の向こうを見る。その先にある街、コルディリーを想っていた。

 既にイフレニィの頭は、帰ることで一杯だった。

 残念なことに今から旅立つのはもう無理だ。また暫くは野宿になる。今晩はしっかり休んだ方が良い。幸いまともな街だ。金が入った。戻りの準備は、ここでしっかりしておいた方がいいだろう。宿を取ったら、まず金を届けて、それから店を回ろうなどと、つらつらと考える。すっかり気が抜けてしまっていた。

 組合の入り口で、ぼんやりとそんな算段をつけ、安宿の場所でも聞こうと受付へ踵を返した時だ。

「おお良い所で会ったな」

 横から聞こえた声に頭を向けると、すぐ側に警備兵が二人立っていた。声をかけてきたのは、詰所で散々イフレニィに愚痴った男だった。あからさまに作った笑顔を貼り付けている。

「ちょっと君、詰所まで来てもらえるか」

「は」

 突然、任意の同行を求められ、その意味が分からず焦る。慌てるイフレニィに何を思ったのか、宥めすかすようだが大して心のこもらない言葉が投げかけられる。

「まあまあ、悪いようにはしないし時間も取らせないから」

 ――その言い方は悪いだろ。

 両側を挟むように移動を促される。どう見ても連行中だ。盗賊達が苦し紛れの出鱈目でも吹き込んだのだろうか。余計な口を挟めば藪を突くことになりかねないと、やむをえず黙って従った。


 本当に、悪いことは何もなかった。それどころか良い話だ。

「被害に遭った住人が、報奨金を用意していたんだ。多かないが受け取ってくれとよ」

 イフレニィは微かな腹立ちを込めて睨むが、兵は笑って誤魔化すだけだ。単に、この担当の警備兵が、気まずさから妙な態度を取っていたようだ。

 尋問中のことなんて仕事の内だろう、文句はねえよ。紛らわしい事するな。焦ったじゃねえか。そう、内心でぶつくさ言いつつ、大体そんな金が出るまでとは、どれだけ放置されていたのかと呆れる。

 ともかく、そういうことならば取り分を主張する立場にない。イフレニィはただの通りすがりだ。

「当事者の二人に渡してくれ。宿にいるはずだ」

 商人と旅人女の宿を告げる。

「そうか、では頼む」

「頼むって、あんたらの仕事だろう」

 持ち逃げするとは考えないのだろうかと、さらに呆れた。

「盗賊どもが大抵のことは吐いたからな、これから潜伏していた先に向かう。手が空いとらんのだ。その当事者は怪我を負ってると聞いたぞ。それに馬の売買に手を貸してんだろ。ついでじゃないか……」

 手が空いてないと言いつつ、しっかり調べている。イフレニィの動向も予め組合に確認して、待ち伏せていたのだろう。組合から咎められずに利用しているのだから、確かに旅人であるという証明でもある。一度詰所から解放はしたが、それとなく動向を追われていたのだと分かった。

 それで本当に疑いも晴れたのか、ゆったりとした態度で増えた仕事の八つ当たりを、くどくどと続ける警備兵を遮る。 

「分かったから」

 心底面倒臭くなり受け取りの署名をすると、ようやく解放された。

「泡銭が入ったからって、また調子こいて無謀な真似はするなよー!」

 イフレニィの背を、そんな逆なでする声が追う。余計な憎まれ口を叩く前に、出来る限りの急ぎ足でその場を離れた。


 詰所からは、組合より二人の宿の方が近い。知らない街で他人の金を持って歩き回るなど落ち着かないため、先に向かうことにした。

「そんなわけで金が増えた。良かったな」

 組合の売買成立証明書と金を置き、その横に預かった報奨金を置く。金を確かめてもらうと売った金の方を三等分して、それぞれの前に置き、その一部を手に取った。

「これは貰う。悪いが、俺が手配したんだ。手数料と思ってくれ」

 二人は顔を見合わせ、商人の方は渋い顔で俺を見た。その表情に警戒する。金で揉めるのは無しだ。これ以上、面倒事に関わりたくはなかった。商人が口を開く。

「報奨金を忘れてるぞ」

 その言葉に女は頷いている。忘れるなんて馬鹿なのかといった表情でだ。

「俺は横槍を入れただけだ。それを掠め取る気は無い。面倒なんだ。もういいだろ」

 何か言いかけた商人を遮って、吐き捨てると背を向ける。

「元気でな」

 そのまま振り返らず、言いながら部屋を出た。

 ――安心しろ。もう会うことはない。


 綺麗さっぱり二人のことを頭から追い出し、必要な物を買うことへと切り替えた。まずは食料。この街ならまともな携行食もあるだろう。石鹸も買い足しておこうかと考えながら歩いていると組合へ着く手前で、そこそこの宿を見つけたため、そこへ泊まることにした。二人の宿とも遠く、早朝から発てば会う機会もないだろう。後は、あの煩い警備兵が門の当番でないことを祈った。

 普段泊まるような宿よりも値段が良い分だろうか、小奇麗な寝台に横になり、帰りの道筋をどうするかと考える。

 大して離れたわけではないなら、多少でも慣れた同じ道を戻ったほうがいいだろう。

 どれだけ彷徨うことになるのかわからない。そんな当初の不安が嘘のようだった。

 二日目の晩が来ても、もう印が疼くことはなかった。痛みはなく、眠れる夜。それだけで満足だと思った。

 原因に好奇心が湧かないこともないが、面倒事を背負ってまで追求する気はない。少しでも早く、日常を、平穏な日々を取り戻したかった。

 毎朝クライブの背を見て、皮肉屋の受付嬢から仕事を受け、ディナの明るい声を聞きながら昼飯を食い、夜は組合仲間と飲んだくれて寝る。

 何ものにも代えがたい幸せなことだったと、それらの日々を噛みしめるように、思いを馳せて瞼を閉じた。

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