第9話 北への道

 午後も半ば、街道を進む内に、小さな精霊溜りがぽつりぽつりと見つかっていた。軍は予め役割を決めてあるようで、各隊が順に処理し、他の部隊は歩みを止めずに進む。

 イフレニィが考えたように、人員は十分に足りている。回廊を真っ直ぐ目指して街道沿いに進むなら案内人は不要であるし、領の外に出ればますます旅人の出番はない。選別されたとはいえ十人程度。もしも巨大な精霊溜りが見つかったとでもいうならば、動ける者を片っ端から連れてくるという方がまだ理解できるのだ。それらをまとめると、旅人を連れてきた意味はなんなのかと、一度は脇に追いやった疑問が再び浮かぶ。

 支部長は北の調査をしてこいと言ったが、そもそも人手も道具も足りない上に前情報もなく、副支部長が率いているといえど調査もくそもないのだ。となれば、やはり結論は組合側の事情へと戻ってくる。地元周辺の何がしかに関して、組合が把握していないというのは問題だ。支部長らも、報告はすれど指示ばかりされるのが気に食わないだけ、といったことなどだ。

 考えても仕方のないことだが、ただ歩いているだけというのも暇だった。昼食の後は幾分砕けた雰囲気が戻り、時おり会話も交わされていたのたが、疲れたのか今は静かだった。


 日が落ち始める。

 ふと、子供の頃、回廊を通った時はどれほど掛かっただろうかと考えた。そのように細かなことなど思い出せはしない。イフレニィは干潮時を待たず、遊覧船で海を渡った。こちらの港に降り立ち、白く長い外套が海風に翻る父の姿が浮かんだ。王をはじめ、トルコロルの高官らに特徴の衣装だ。父ボペルは海を仰ぐようでいて、その夏の晴れた空と似た瞳を、故郷へと向けているようだった。

 輝く光景は一瞬で、あやふやな記憶の波間に消えた。意図的に断ったのかもしれない。イフレニィは意識を現在へ戻した。見当をつけたかったのは、現在地がどの辺りかということだけだ。記憶に見当たらなかったのなら、過去の光景を再生することになど意味はない。昼以降は休憩も挟まず移動している。軍は急いでいるようだと思えた。


 伝令が先頭の隊へ走っていった。精霊溜りの処理の報告だろう。

「またか」

 誰かの呟きに同意した。すでに何度目だろうか。北へ近付くごとに、精霊溜りの発生頻度は増していた。しかし今回は、どうも様子が違う。それまでは報告に過ぎなかったものが、先頭の指示を仰いでいるようだった。馬上の男に何事かを報告しながら、どこかを指差している。耳を傾けていた指揮官らしき男は、懐から筒状の道具を取り出し斜め前方を覗き見た。遠見の魔術式具だ。一通りの便利な道具は揃えているらしい。

 今度は野営の指示が聞こえてきた。ようやく休めるのかと荷を下ろしかけた腕が止まる。駆け寄った兵から号令がかかった。

「掃討行動に移る」

 他の旅人勢も形だけの同行であると考えていたのだろう、驚きを見せつつ後に続く。実際は同じように先頭の隊が街道を逸れて移動を始めたため、そこに旅人も含まれていただけだと分かった。

 だから、ようやく先頭の隊まで順番が回ってきたのだと考えた。そうではなかった。特殊な例だったのだ。

 日が沈み、辺りは薄暗くなりはじめている。だが、進む先を見れば、ぼんやりと明るい。遠くからでもその異様さが知れた。

 白く発光する、巨大な柱。

 村で見た、人程の柱が小さく思えるほどのもの。


 傍に到着すると、遠巻きにそれを見上げた。小さな家くらいはあるだろう。感想を口にするまでもない。処理の時間を考えれば気が遠くなりそうだった。

 軍に従って、徐々に距離を詰めていく。

 イフレニィは無意識に、符を取り出そうと渡されていた鞄へ手をかけていた。それを兵の声が遮る。

「符は大量に必要だ。諸君らも、こちらの物資を使ってくれ」

 だから、さっさと行動しろ。そんな、有無を言わさぬ圧力を感じ、旅人勢は渡されるがままに受け取る。

 隊はすでに展開していた。二列で半円に、柱を囲んでいる。装備の違いから、前列が魔術式使いなのだろうと判断する。符の交換が楽なように、腰周りに幾つもの小さな鞄をぶら下げているためだ。後列は一般兵。さらに待機要員が並ぶ。

 ここに来るまでに分かったことだが、全ての兵が符を扱えるようだった。確かに、精霊力がないと言われる者も、体に宿していない者など存在はしない。理屈では扱えない者など存在しようもないのだが、一般市民が金をかけてまで練習する理由もない。恐らく大して精霊力のない者も、コツを掴めるまで訓練するのだろう。

「発動はじめ!」

 軍が行動を開始し、旅人勢も空いた場所に並ぶ。イフレニィはその端に立った。符用の鞄など持たないので足元に荷物を下ろし、口を開いたままにしておく。背中の痛みが出てくる頃合だ。どう悟られぬよう耐えるか考えていたが、これで気も紛れるだろう。


 兵の方を見た。これが魔術式使いかと感心せざるを得なかった。発動された光の円は、一糸乱れぬという言葉が相応しく、均一に並んでいる。わざと精霊力を調整し、揃えているようだ。それで効果は上がるのかと興味は尽きなかったが、痛みが出始める。

 気を逸らすため、先程受けとった符を発動させ――イフレニィは別の理由で冷や汗をかくことになる。

 展開した魔術式は、いつもの倍はあろうかという大きさに広がったのだ。鋭い周りの視線が、向けられる。

 力み過ぎたかと、ばつが悪く、慌てて調整する。いきなり符の耐久を超えては、ただ発動するだけで無駄になるのだ。あくまでも、光の柱から力を奪わなければならないのだから。なるほど、兵の均一化された行動はそれを考えてのものなのだろうと思い至った。

 改めて符を揃え、一枚一枚発動させていく。柱から、すっと力を引き出し始めるのも容易い。使い勝手が違う。符をよく見れば書かれた魔術式に厚みがあった。どうやら顔料を惜しまず使っていることが、精霊力の通りを良くしているのだろう。これなら一般兵達の安定した発動も、こちらを使えとの指示も納得だ。イフレニィが力み過ぎたのも、これまでの符の感覚で使用したためだったのだろう。

 そう考えると、使い比べて感覚の違いを確かめたくなっていた。発動した状態で鞄に手を突っ込み、組合から支給された符を取り出した。また周りから視線を向けられる。今度は、訝しげだった。


 指揮官と例の騎士の女が、こちらを見つつ何やら話しているのが視界に入る。女騎士は、追加の符を手にイフレニィの元へ来た。足りないと思われたのだろうか。彼女はイフレニィが両手に符を持っているのを見て、小首をかしげると、符を足元の鞄に置こうとした。荷が混ざるのは困る。イフレニィは組合からの符を一旦、上着のポケットに押し込み咄嗟に手を差し出していた。

「わざわざ悪いな」

 女騎士は、一瞬驚いた顔をし符の束を手渡してきた。あれだけの魔術式使いがいても、話しながらの発動は難しいのだろうかと、今度はイフレニィの方が怪訝に思う。

「必要があれば、遠慮なく言って頂戴」

 そう言って空いた場所へ立ち、彼女も輪に加わる。周りが精霊力感知の符を使う中、彼女は防御符を使用していた。感知の符よりは複雑で、展開までにやや時間がかかるものだが、彼女はあっさりと展開させた。それなりに精霊力が強いのもあるだろうが、力の流れが滑らかだ。戦闘訓練で使い慣れているのだろう。

 確かに、複雑な効果を持つ符を利用できるならば、その方が精霊力の消費も捗るだろう。しかし、最も簡易の感知を用いるのは、顔料がつきるまで継続して使用する必要があるためだ。

 他の符は、与えられた効果がすぐに現れるため精霊溜りを消すのには向かないのだ。たとえば防御符は、発動した魔術円が体に巻き付くというもので、発動時に込めた精霊力によって効果時間が決まるものだ。その魔術円を体に巻き付く直前の段階に維持し続けるというのは、並外れた操作感覚を持つと言える。訓練の賜物という他ない。

 イフレニィも他の者よりは符の扱いには慣れている。貴族として学ぶ事柄に含まれていたためだ。ならば、より強力な効果を持つ火や雷の符を使用してはどうかと考えたが、失敗すれば周囲への影響が大きい。目の前の特化された兵が感知の符を利用するならば、それが最も効率が良いと判断されているためだろう。魔術式使い達の符へと吸い寄せられる柱の力は、一定の流れを作り固定されていた。燃え尽きる直前に、後衛が符を発動させて前衛と交代し、その流れを引き継ぐ。効果は確かだった。

 余計な考えを追いやって、イフレニィも手元に集中する。

 そして、場は完全に黙したようだった。 

 時折、符が焼け落ちる音が、風に乗って聞こえるだけの、静かで長い夜が続いた。

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