這い寄るのは宵と負け Ⅰ

 この間夏が来たばかりだというのに、私はもう長袖を着ている。北海道の夏は短い。誰かが言っていたけど、きっとその誰かももう死んでしまっているだろう。このところ、見かける顔の種類が随分と少なくなってきた。暑さがぶり返すこともあるから、一応は半袖の作業着もしまわずに置いてあるけど、冬が来る前に出番があるかどうかは分からない。


 とある秋の午後二時頃、昼食後のパトロールの当番が予定より早く終わり、私は商店街へと繰り出すところだった。特に欲しいものがあった訳じゃないけど、もし甘いものが残っていたなら分けてもらいたい。望み薄なのは分かってる。要するに暇つぶしのようなものだ。

 階段の扉から外に出て、二号棟と商店街を結ぶ道の途中、背後から声をかけられた。振り向くとそこには奇抜な服装をした見慣れない女が立っていて、私の訝しむ表情を見ても狼狽えずにはしゃいでいる。


「千歳でしょー!」

「え、え?」

「やー、丁度良かった! あのさ、あたし」

「え……えっと、ちょっと待って、由仁!?」

「そこから!?」


 服装の傾向がまるで違うし、サングラスをかけていたので全く分からなかった。というか彼女とは少し前の作業で知り合ったきりだ。だというのに、誰だか分かってもらえなかった由仁は、不機嫌そうに腕を組んで分かりやすく膨れている。

 向けられた怒りを少し理不尽に感じる。前に会った時にはシンプルかつ上品な格好をしていた子が、ふざけてるのかってくらい全身真っ黒に着飾っていれば、私じゃなくてもすぐにはピンと来ないだろう。こちらに非は無い筈だ。むしろ声と喋り方で察したことを褒めて欲しいくらいなんだけど。


「いや、今のは私そんなに悪くないしょ……」

「フツー声ですぐ分かるじゃん。あたしは千歳がどんな格好してても気付けるよ!」

「スカート履いてても?」

「それは無理」

「こら」


 呆れた声で形式的に由仁を叱る。すると彼女はたっと数歩駈けて、私に並んだ。彼女も暇なんだろうか。私は由仁を横に見ながら歩きだした。


「千歳、どこ行くつもりだったの?」

「雑貨屋さんだよ」

「あっ、あたしも!」


 昼食後はパトロールだったと説明すると、由仁は虫でも見たような顔をしてうげっと言った。どうやら彼女の嫌いな当番らしい。私は物資捜索の方がイヤだけど。まぁ私の場合は、三國さんと絡む機会が多いからという、特殊な理由があるけど。


「嫌いなの? 声掛け」

「う、うーん……ほら、死んでた時とかさ、気まずいじゃん」

「それは、そうだけど」


 明るい声色とは対照的に、今日の由仁はとてつもない威圧感を放っている。すれ違う人達がみんな彼女を見ていく。首の可動域いっぱいいっぱいまで振り返って見つめる人も少なくない。

 ここに子供がいれば、きゃーぎゃー言いながら歩調を合わせて付いてくるだろう。体が小さい分、ガスの回りが早いのか、小さい子はもうほとんど居ないけど。

 しかし彼女は素知らぬ顔で歩き続ける。気にしていないというより、元から見えていないみたいだ。服装を指して、それは何かと聞いてみると、カラス族ごっこと言って彼女は笑った。


「由仁って、勇気あるね」

「なんで?」

「だって、私ならそんな格好無理だもん」

「だろうね」


 由仁は私の言葉を肯定して、揶揄するようにこちらを見た。確かに今のは私の言い方も悪かったと思う。だけど、そんな言い方して、そんな顔する?

 私はむっとするよりも先に驚いてしまった。こんな強い敵意を唐突に他人にぶつけられる人がいるのかという驚きだ。

 今のやり取りに私が胸を燻らせていると、彼女は手を打った。


「あっ。千歳と会えてちょうどよかったって言ってた理由、まだ話してないよね」

「ん……? あ。あぁ、そういえば」

「千歳が遮ったからだよー」


 今度は冗談めかして私を責める。とはいえ、話の腰を折ったのは事実だ、あれはタイミングが悪かった。

 適当にごめんと謝ってしまおうとしたところで、体が引っ張られる。見ると、由仁が私の腕に絡みついていた。ちなみに、私達は背丈は大して変わらないから、極端に腕が下に引っ張られたりすることはない。だけどやめてほしい、このままじゃ私は真っ黒い女を従えてる変な女だ。

 離してと言おうとした瞬間、由仁のファッションを貶した罰なんだと、彼女のイタズラっぽく歪む口元から察した。貶したつもりは、ないんだけど。ただ、ちょっと奇抜だなぁと思ったってだけで。


「はぁ……で、何?」

「あたしね、千歳と暮らすことにしたんだ」

「へぇ」


 ん。え……?

 間抜けな声を上げて隣を見たけど、彼女は私に絡みついてから今まで、表情を崩していない。サングラス越しでも分かる彼女の楽しげな表情を見て、やっと私は完全に振り回されていると自覚した。

 突飛な発言について色々と聞きたい事はあるけど、時間切れだ。なぜなら、目当ての場所に辿り着いてしまったから。


「あら、千歳ちゃん。と……? あんま見ない子だね」

「こないだも物資受け取ったっつーの」

「ん〜?」


 雑貨屋の前、配給物資の段ボールを抱えたまま、栗山さんが首を傾げていた。由仁の言葉には棘があったが、笑いながら発せられる甘い声に、そこまで嫌な感じはしない。栗山さんも大して気にしていないようだ。地べたにあった段ボールの上に、持っていたそれを重ねて手を離すと、両手をぱんぱんと払うように叩いた。

 由仁は腕に絡みついたまま、私の顔を覗き込むようにして言った。


「で? 千歳は何を貰いに来たの?」

「いや、半分栗山さんの顔見に来ただけって言うか……」

「なにさ」

「由仁は何しに?」


 私の用事など有って無いようなものだ。二号棟と商店街は近いし。それに比べて、三号棟は商店街から最も遠い号棟だ。なんとなくここに来たというのは、少し不自然な気がした。


「あたし? あたしは食器とかないかなーって思って」

「え?」

「だってこれから一緒に暮らすのに、亡くなった家族のお茶碗とか使うの気まずくない?」

「待って待って、ちょっと由仁。あのさ、どこまでが本気なの?」


 驚くことに、彼女は私と暮らすための準備をする為にここを目指していたと言う。くらくらする頭を押さえて、どういうつもりなのかを問うと、彼女はさっきと同じ表情を浮かべた。腕を組んできたときの、あの顔だ。


「最後までだけど」


 どうやら本気らしいということは分かった。逆に言うと、それ以外のことは何も分からない。栗山さんの心配そうな顔を視界の端で捉えながら、私は何とか立っていた。


「これから同棲するんだしさ、千歳も一緒に選んでよ、あっお揃いとか」

「しないし、いや……あの、なんで私の家に来るの?」

「え? 寂しいから」


 彼女の口から飛び出した意外な言葉にまた翻弄される。由仁の家族はどうしているのだろうか。いや、もう死んでしまったのだろうか。亡くなってしまったばかりだと思うと、彼女の発言の意味も通る気がした。

 だけど、だからと言って私をルームシェア相手に選ぶ理由には直結しない。というより、私は由仁のことを何も知らない。彼女は三國さんから色々聞かされているようだけど。それだってあの人の理想と妄想の押しつけのようなものだろう。きっと由仁だって、今となっては彼の言ったことなどろくに信じていない。私達は、お互いに何も知らないようなものなのだ。


「っていうか、棟を移るなんて、そんなのさ。他の棟には意味なく入るなって言われてるくらいなのに」

「だから意味なく、でしょ。あたしの他にも他の棟に移った人はいるし、あたしはまだ動けるから労働力にもなる。もー、千歳がオッケーしてくれればそれで済む話なんだよ。他の事情を持ち出して断ろうとするのはやめてよ」


 本当に、この子はめちゃくちゃを言う。サングラスから覗く愛くるしい目とふくれっ面を見てしまうと、なんだか私も弱い。とりあえず棟を移るということが許されていることを知れて良かった。でも、それとこれとは話が別だ。

 言葉に詰まっていると、栗山さんは新しい玩具を見つけたような顔をして言った。


「で、新婚さん。どーすんのさ? 食器ならあるけど、そんなの欲しがる人居なかったからしまっちゃったよ。持ってくるかい?」

「千歳はあとで説得するとして、とりあえず見してー」

「う〜ん……ま、いっか。待ってて」


 そう言って、栗山さんは店の中へと消えていった。きっと食器が入った段ボールを抱えて、まもなく姿を見せるのだろう。それまでに話しておかなければいけない事が山ほどあると思った。


「由仁、ご両親は?」

「大体分かるでしょ」


 目は見えないけど、分かる。彼女は真剣な表情をして、今の言葉を吐いた。そう、吐いた。吐き捨てるように、つまらない話だと言うように。

 涼やかな風が沈黙をあざ笑いながら、私達の間をすり抜けていく。一緒に暮らしたいなどと言い出した理由を問おうにも、全てが先ほどの「寂しいから」という言葉に集約されている気がして。何を言っても野暮になる気がして。私はじっと風に身を晒し続けた。

 配給を受け取りに来たものの、栗山さんの不在を察して店の前から立ち去る人を二人見送った頃、由仁がぽつりと溢した。


「遅いね」

「大変なんじゃない? 食器って重いし。私、手伝ってこようかな」

「いやかえって迷惑でしょ。倉庫なら部外者は入れたくないだろうし」

「それは、そうだけど……そこまで苦労して持ってきてもらうんだったっけ、やっぱりいらないですって言いにくいね」

「そだね。言わなきゃいいんだよ」


 話せば話すほど逃げ道が塞がれていく気がした。それでも栗山さんはやってこない。五人目の客の背中を見送ると、由仁はまた呟いた。


「あのさ、大丈夫? 中で死んでない?」

「大丈夫でしょ。多分」


 言いつつも、私も心配になってきた。いくら重たいと言っても分けて持ってくるとか、いくらでも方法はあるわけで。こんなに待たされるのはやっぱりちょっとおかしい。

 あと五分待って戻ってこなかったら、様子を見に行こう。そう決めた少しあと、栗山さんの明るい声が店の奥から響いてきた。


「ごめんお待たせー」

「待ったよー!」


 大きな段ボールをどんと置くと、栗山さんはごめんごめんと言って頭を掻く。戻ってくるのが遅くなった理由なんてどうでもよくなった。さっきまで栗山さんが被っていたキャップを目深に被り、一緒に荷物を運んできた見慣れない女性が、私の意識を掻っ攫ったのだ。


「……その人は?」

「あぁ、新しくうちで働いてもらってる桂沢さん」

「はじめまして。お手伝いをさせていただいてます、桂沢と申します」


 桂沢と名乗った女性は軽く頭を下げて笑った。胸の辺りまで伸ばされた緩いパーマは天然なのだろうか。愛内団地の理髪店の店主はかなり前に亡くなっている。パーマをかけられる人なんていない筈だ。大人しそうな目に、小さな口、透き通るような白い肌。彼女の全てが儚げで、栗山さんとは対照的な印象を受けた。

 彼女の挨拶を聞いて、何故か栗山さんが驚いた顔をしている。目をぱちくりさせて、念でも送っているのかと思ってしまうほどに、桂沢と名乗った女性を見ていた。

 そんな視線を無視して、桂沢さんは段ボールを開ける。


「新聞紙ならいくらかあるから。包むなら持ってきます」


 私達が段ボールを覗き込むと同時に、先ほど出直すことになった客の一人が栗山さんの名前を呼んだ。彼女は張りのある声を出しながらそちらへ向かい、私達は三人で中身を確認することになった。


「あっ、これいいなー。このマグカップいいですか? このお茶碗も!」

「いいんじゃないかと。栗山さんはあげたくないものをわざわざ持ってきたりしないでしょうし」

「お茶碗なんているの?」

「え? 千歳はそういうの使わないの? やば」


 別に素手で炊飯器から米を掴んだりしないから。私は呆れた顔で由仁を見て言った。いや、炊き出しじゃん、と。

 器は各自それぞれ持ち寄るスタンスを取っているが、炊き出しで茶碗という食器を使う場面はなかなか無い。もう少し大きいどんぶり等の方が、使い勝手がずっといいのだ。

 彼女を見ると、目を見開いて固まっていた。


「……は?」

「なんで? そうでしょ」

「……で、でも、いつか使うかもだし、一応もらっときたい」

「どうぞ。この団地の中、使われなくなっていく食器はたくさんあるでしょうけど、貰われていく食器はなかなか無いでしょうね」


 桂沢さんはそう言って優しく微笑んだ。会ったばかりだけど、控えめでいて優しい人だ。私はそれに安堵しつつも、この会話に疑問を抱かざるを得なかった。


 ん?

 なんか一緒に暮らすみたいな流れになってるな?


 私が首を傾げている間に、由仁と桂沢さんは食器を新聞紙に包んで、由仁が背負っていたリュックにそっとしまっている。リュックまで黒いのは流石というべきか。

 接客から戻ってきた栗山さんはこちらへと歩み寄りながら、思い出したように声をあげた。


「炊き出しといえば。三笠さん、こないだ初めて食べた時に口に合わないって言ってたよね」

「ちょっ、夕!」

「まぁまぁ、いいじゃん」

「よくない……本当に、悪口言ってるなんて思われたら、私……」

「ちょっと、ごめんって。私はただ、自分達がガスの影響で味覚までおかしくなってるのかなって思っただけっていうか」


 なんだろう。痴話喧嘩を見せられているような気分だ。目当ての食器は手に入れたし、できるだけ早めにここを去りたい。桂沢さん、泣きそうだし。

 ひんやりとした視線を向ける私とは逆に、由仁の顔は真剣そのものだった。少し前までのヘラヘラとした軽卒な感じは一切ない。その表情に、心が少しひりついた。


「桂沢さんの味覚の方を正常だって信じる理由は?」

「……事情があって、彼女はずっと室内に居たから」

「へぇ……」


 由仁は桂沢さんの全身を舐めるように見ている。その視線を嫌うように、桂沢さんがさりげなく栗山さんの後ろに移動したことを確認して、私は由仁にそろそろ行こうと声を掛けた。っていうか、栗山さんもわざわざあんなこと、私達に言わなくて良かったのに。わざと泣かせる気があったとは思わないけど、そういう気遣いに人一倍うるさそうな彼女が、人の境遇を勝手に他人に洩らすのは意外だった。

 とりあえず、今日のところは彼女を泊めることになりそうだ。そう観念すると、私は栗山さんと桂沢さんに会釈をして別れて、来た道を歩き出した。


 二号棟に戻る道の途中、雨竜さんを見かけた。隣にいるのは赤平さんだ。旦那さんが亡くなってからやけに美しく着飾るようになったと、おばさん達が面白おかしく噂していたことを知っている。

 何か事情があるのだろう。私は意味なく人を悪く言ったりすることがあまり好きじゃないので、その噂話には参加しないようにして、そう思うことにした。幸せそうに雨竜さんの隣を歩く赤平さんを見ると、当時の私の判断は正しかったと思える。二人でヘルメットを被っていることが少し気になったけど、きっと何かの当番だったのだろう。


「あれ、誰?」

「赤平さんだよ。綺麗な人だよね」


 由仁が雨竜さん達を見ながら言ったので、誰というのは赤平さんにかかっていると思ってそう言った。雨竜さんのことは二人で前に話したし。


「あたしらのやりとりはさ、冗談で済まされるけどさ」

「うん?」

「あの二人が付き合ってるって言われても、あたし普通に信じると思う」

「あー。ね」


 由仁の声色は揶揄するようなものではなかったので、私も笑って返事をした。亡くなった旦那さんには悪いけど、確かにお似合いだ。もちろん、そんな関係ではないんだろうけどさ。


 相手が同性だろうと何だろうと、幸せならそれでいいじゃん。

 そう思って二人の横顔を眺められる自分が、なんだか誇らしかった。

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