世界の頂で 3

 マスターTとA・ファーレンハイトは熊の毛皮のコートとブーツに飛行帽という完全防寒装備でF国に入国した。

 戦闘をするつもりがないマスターTはコートの下にスーツを着ているが、ファーレンハイトは不測の事態に備えて寒冷地仕様の戦闘服を着ている。さらに彼女は銃も極低温で動作不良を起こさないように寒冷地仕様のものを用意していた。


 現地の天候は曇りだが、それを考慮しても昼間にしては暗すぎる。まるで日が落ちた後のよう。むべなるかな、ここは北緯70度、極寒の地。


「話は聞いている」


 二人と同じく完全防寒装備のF国の使者に案内されて、二人は海底資源掘削基地へと向かう小さな砕氷船に乗りこむ。



「温暖化で騒がれていたころが懐かしいね」


 砕氷船の操舵室でF国の使者は世間話をしようと二人に話しかけたが、反応はもらえなかった。


 世界中の地下資源が尽きはじめると、まるで示し合わせたように太陽活動が弱まって、地球は寒冷化へと向かった。

 各国が孤立主義を選択した裏には、国家間の争いを最小限に食い止める意味もあったが、相変わらず中小国は大国に翻弄される運命だった。

 そして冬眠するかのように人類の歩みは止まってしまった。……まだ目覚めの春は来ない。


 使者は一人語りを続ける。


「このまま人類は緩やかに衰退していくのかね……。南の地方はすごしやすいって聞くけど、俺たちは生まれ育った土地を離れられない。本音を言えば、今の暮らしを良くしてくれるなら、上に立つ奴は誰だって良いんだ。今だってちゃんと給料はもらえてる。でも……」


 彼は何を言いたいのか、おそらく彼自身も分かっていないだろう。

 四方を水平線に囲まれた海の上にいると、まるで世界には自分たちしかいないと錯覚してしまう。穏やかな気候であれば前向きな気持ちにもなれようが、ブリザードの吹き荒れる極寒の世界では絶望感しか湧かない。

 世界を覆う閉塞感は鬱病で引きこもる精神状態に似ている。

 ふと足を止めると絶望に気づいてしまうから、人々は何かに夢中になってそれを忘れようとする。仕事だったり遊びだったり色恋だったり酒や薬だったり……。

 このままでは良くないと誰もが分かっていながら、目先のものに集中して本当の問題から目を逸らすことばかりに必死になっている。


「こりゃいけねえな。こんなだから地方に飛ばされんだ」


 使者は懐からスキットルを取り出してあおった。

 きついアルコールの臭いが二人の元にも漂ってくる。



 やがて砕氷船は海底資源掘削基地の船着場に停泊した。

 邪悪な魂の構成員と思しき数人が寄ってくるが、防寒装備のために一見してそれと分からない。彼らは丸みを帯びた見慣れない形状の拳銃――おそらくはNAの技術を利用して製造された特殊な銃――を向けて、船を降りたマスターTとA・ファーレンハイトに尋ねる。


「Tってのはどっちだ?」

「私だ」


 その問いにマスターTは小さく手を上げて応じた。

 次に邪悪な魂の構成員はファーレンハイトを見て問う。


「お前は何だ?」


 ここで騒動を起こしたくないマスターTは、慌てて彼女の代わりに答えた。


「待ってくれ、私のつき添いだ。手を出さないでくれ」


 彼はどちらに対して手を出すなと言ったのか?

 ファーレンハイトは無言のままコートの袖の下で射撃の準備をする。この状態からでも彼女は全員の先手を取って殺せる自信があった。

 しかし、その腕を披露する機会はなかった。邪悪な魂の構成員たちは銃を下ろして二人に指示する。


「ついて来い」


 二人は基地内に案内された。

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