A・セルシウス 1

 マスターTの記憶が元に戻った翌日、彼の下に新しいエージェントが配属された。

 黒髪で細身の優男風の彼は、マスターTとA・ファーレンハイトがいる部屋に入室して、右手の拳を胸に当てる敬礼をしながら大きな声で名乗る。


「自分、ここで働かせてもらうことになりました、A・セルシウスと言います! よろしくお願いします!」


 外見に似合わない彼の威勢の良さに、マスターTはびっくりして気圧されていた。


「……えっ、間違えてない? そんな話は聞いてないよ」


 マスターTはファーレンハイトに顔を向けるが、彼女も何も聞いていなかった。


「私も知りません」


 セルシウスは慌てて言う。


「そんなはずは……。あなたはマスターTですよね?」

「ああ、そうだけど……」

「やっぱり間違ってないですよ」

「うーん……誰から配属の話を?」


 マスターTが確認を求めると、彼は堂々と答えた。


「マスターFからです。最近マスターTの様子がおかしいと……あっ! ……あー、お側つきがマスター候補一人だけでは何かと不便ではないかということで!」


 マスターTとA・ファーレンハイトは苦笑いする。

 記憶喪失が周囲にばれないように引きこもっていたマスターTをマスターFが怪しんで、偵察のためにセルシウスをよこしたのだ。


「つまり君は雑用係として来たのかな?」

「そんなところです!」


 マスターTが気をつかって話を合わせると、セルシウスは必死に頷く。

 彼をマスターTがどうあしらうのか、ファーレンハイトは注目していた。


「まあそうだね。一人くらいはそういう人がいても良いかもしれない」

「えっ」


 その答えにファーレンハイトは、誰にも聞こえないくらいの小さな声を上げて驚いた。

 マスターTがマスター候補である彼女に雑用を頼んだことはあまりない。つまり彼は彼女に遠慮していたということになる。


 セルシウスは安堵の表情を浮かべた後に、再び姿勢を正して敬礼した。


「よろしくお願いします!!」

「ああ、よろしく。彼女はA・ファーレンハイト、君の先輩だ。彼女の言うことも聞いてくれ」


 マスターTにファーレンハイトを紹介されたセルシウスは、彼女にも敬礼をする。


「よろしくお願いします、先輩!」

「……ああ」


 ファーレンハイトは何となく彼のことが気に入らず、冷たい態度で返した。

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